ざあ、と薫風が吹き抜けていく。見上げれば、木漏れ日の向こうで樹上の葉が揺れていた。
この道に入る前に「翠歩道」と小さな石碑が立っていたが、その名前にふさわしい。
商店街や住宅の間を縫って、くねくねと続く遊歩道には、五月らしい光りが満ちていた。
ゆっくりと犬の散歩をしている老人や、ベンチの周りに陣取ってはしゃいでいる子供たち。
誰も彼もが、楽しそうに見える。
そう。食い入るように地面のあちこちを睨みながら歩いてゆく、一人の女を除いては。

「……なぁ、松本」
ぶらぶらと後ろを歩いていた日番谷は、ため息と共に女に声をかける。
「なんですか、隊長」
「もう諦めろって。あんな小っさいもん、探したって出てこねぇよ」
「何ですって!」
肩越しに振り向いた乱菊の剣幕に、日番谷はわずかに身を引く。
「……ですよね」
日番谷は常識的なことを口にしているだけだ。乱菊もすぐ思い至ったのか、今度はしょんぼりと肩を落とした。

「……お気に入りだったんです。暗くなるまで、探します。隊長は瀞霊廷に帰っててください」
見上げれば、太陽はすでに斜めに傾きつつあって、風も冷たくなってきている。
夕方の5時前くらいだろう、と判断する。日が沈むまで、もうそれほど時間は残されていない。
「深緑の玉がついた、かんざしでいいんだな」
もう一度振り返った乱菊の目が、見開かれている。やがてコクリと頷いた。
「……もしかして、一緒に探してくれるんですか?」
「今日の仕事はもう片付いてる。やることもねぇんでな。暗くなるまでだぞ」
「隊長っ、大好き!」
飛びついてきた乱菊の両腕を、日番谷はひょい、とかわして前に出る。
もう、隊長たら! と声が聞こえてきたが、無視した。


空座町への出張に一人で出かけた乱菊が、青い顔をして明日非番をくれ、と言ってきたのが昨日のこと。
一日中空座町にいるらしいのが流石に気になって、早めに仕事を終わらせて追いかけてきたらこの体たらくだ。
事情を聞けば、空座町で虚退治をした昨日のどこかで、かんざしを落としてしまったらしい。

乱菊が、自分の持ち物にこだわることは、実は余りない。
気に入った着物も、好物の酒も、相手が欲しがれば気前よくやってしまうところがあった。
それなのに、これほど必死になる理由。
日番谷は、あのかんざしが市丸から乱菊への、おそらく最後の贈り物だということを知っている。
乱菊は、日番谷がその事実を知っている、ということを知らないはずだ。
バレバレだっつーの、と日番谷は心の中で、後ろできょろきょろしている乱菊に突っ込む。
松本乱菊を、これほど動揺させられるのは、市丸ギンだけだということくらい分かっている。
「……ちぇ」
何だか、面白くない。日番谷は無意識のうちに軽く舌を打っていた。

「……すみません、隊長」
背後でしょげた声が聞こえた。どうやら舌打ちが聞こえてしまったらしい。そんなんじゃねぇよ、と早口で言い返す。
だが、直径十キロくらいはある街のどこかに落としたかんざしを見つける可能性がゼロに近いことは良く分かっていた
斬魂刀ならいざしらず、ただのかんざしに気配などないし。染み付いた霊圧を嗅ぎ当てることもできない。


霊圧、ね。
長い間肌身離さず持っていれば、もしかしたら追えないこともないのか?
空気の匂いを嗅ぐように顔を上げた時、慣れた霊圧をすぐ近くに感じ、日番谷は振り返った。
「……黒崎? どうしたんだ、三人揃って」
ジーンズにTシャツ、ジャケットを羽織った一護が、お、と日番谷を見て声を上げた。両手にはスーパーの袋を持っている。
当たり前なのだろうが、私服姿の一護はどこから見てもただの子供で、凄腕の死神には見えない。
後ろからひょいと姿を覗かせたのは、ワンピースの遊子と、スパッツにTシャツ姿の夏梨の二人だった。

「冬獅郎、乱菊さん! ちょうどよかった」
怪訝そうに眉をしかめた日番谷に、一護は一人大股で歩み寄った。そして、身をかがめて日番谷の耳に口を寄せる。
「頼みがあるんだ。あの二人連れて、俺ん家に行っててくれねぇ? 夜はご馳走食わせるから」
「あぁ? 何で俺がそんな……」
「今日、夏梨と遊子の誕生日なんだよ。今から内緒でケーキ取りに行くつもりだったのに、二人とも付いてきて困ってたんだ。頼む!」
「……なんで内緒にしなきゃいけねぇんだ」
晩飯の後にケーキを出して、二人を驚かせるつもりだとは分かったが、なぜ内緒でなければいけないのかピンとこなかった。
日番谷が怪訝な顔をすると、一護はじれったそうな顔をした。
「そーゆー贈り物はよ、サプライズのほうが嬉しいだろ?」
「……そういうものなのか」
とりあえず、一護が真剣だということは分かった。だが、あいにく日番谷も乱菊も今は用事がある。
日番谷が言葉を濁した時、聞いていた乱菊がぽん、と一護の肩を叩いた。
「そーなの、おめでたいわねぇ。任しといて!」
いいのかよ、と言いかけた日番谷にしか聞こえない小声で、乱菊はささやいた。
「いいんです。探したら気が済みました」