夏梨ちゃんにだけ、言うね。あたし、冬獅郎くんのことがちょっと好きみたい。
遊子が夏梨にそう打ち明けたのは、今から十日ほど前のことだった。
晩御飯を終え、二人の自室で勉強をしていた時のことだ。
二人の勉強机は、隣り合わせに置いてある。
蛍光灯の明るい光の下で鉛筆を走らせていた夏梨は、驚いた様子もなく顔を上げた。
「びっくりしないの?」
「うん。遊子ならそうなるって思ってた。だって冬獅郎って一兄に似てるしさ」
あっ! と思わず声を上げてしまった。
外見は全く違うし、性格も似ているようには思えないけれど。ものの考え方や雰囲気が、確かにどことなく似ている。
兄を思う気持ちと、日番谷を思う気持ちも似ていると気づいてから、「好き」という感情は遊子の中で保留にしてある。
でも、乱菊が日番谷と「上司と部下」の関係だと言われた時、ほっとしたような気がする。
そして兄の部屋から顔をのぞかせた日番谷を見た時、パーッと胸の中で花が開いたのは、紛れもない事実。
先頭に立った乱菊が玄関のドアを開ける。同時に、
「遊子、夏梨! ハッピーバースデーーーー!! 愛してるぞ!!」
大音響と一緒に飛び出してきたのは、一心だった。両腕を前に出し、口は今にもチューしたそうに尖っている。
一番前にいた乱菊は、にっこりと笑った。
「ごわっ!?」
一心の顔面に、乱菊の華奢な拳がメリリと潜り込んでいた。
「はいはーい。パーティー始めるわよ!」
玄関に音を立てて倒れ伏した一心の体を乗り越え、三人は部屋の中に上がりこむ。
「松本っ! 一般人に手ェ出すな。どうすんだ、これ……」
いつもの黒崎家の状況を知らない日番谷だけが、幸せそうな顔をして気絶している一心を上から覗き込む。
「いーんだよ。ホラお前もキッチン入れ!」
声を変えた一護が、ひょい、と日番谷の後ろ襟を引っつかんだ。
「人を猫の子みてぇに持ち上げるんじゃねぇ!」
「自分が『子』っていう自覚はあるんだな」
「……黒崎。俺の刀の錆になりてぇのか?」
「おぉ。一度手合わせしてくれよな!」
猫が背中の毛を逆立てるように怒っている日番谷とは逆に、一護は笑っている。
春コートを玄関先のフックにかけていた遊子は、ふたりのやり取りにふふっと微笑んだ。
遊子の知る一護は、友達の中ではクールなキャラで通しているように見える。
友達にからまれて迷惑そうな顔をしていることはあっても、逆はめったにない。
どうしてだろう。遊子は、一護が日番谷の頭に手を伸ばして、さも嫌そうに振り払われるのを眺めた。
「ガキ扱いすんじゃねぇ!」
日番谷の声に、ぷっ、と思わず噴出した。
なるほど、見た目どおりの年齢ではないと分かっていても、一護にとって日番谷は子供なのだ。
普段から妹にやさしい兄だから、子供は基本的に好きなのだろう。
ふくれっ面をした日番谷を見て、ふと思う。
普段隊長としての立場がある彼が、それを脱ぎ捨てられるのは、一護の前だけなのかもしれないと。
「何笑ってんだ?」
ふと気づけば、日番谷の翡翠色の瞳が、遊子を見つめていた。
その大きな目でじっと見つめられると、ドキリとする。大股で歩いてきたりすると、なおさら。
「ホラ、早く中に入れ。今日の主役はお前らなんだからな」
松本の言ったとおり、と肩をすくめた乱菊をチラリと見やる。
そして、夏梨と二人で持っていたスーパーの袋をひょいと持ち上げると、先に立って台所に入っていく。
途端に、立ち止まった。
うわあ、大きなお母さんがいる!
台所を見た遊子の一番の感想が、それだった。おそらく夏梨も同じだったに違いない。
うぉ、と入るなり声を上げて足を止めたから。
壁の半分以上を覆うサイズにまで引き伸ばされた母真咲の写真が、テーブルの向こうに立てかけられていた。
「お前、もう見てるのにそんな驚かなくても」
「驚いてんじゃねぇ、引いてんだよ。デカすぎるだろ、明らかに!」
一護と日番谷がそう言いあいながら、中へと入る。
中に入って初めて、テーブルの真ん中にでんと置かれているケーキに気がついた。
とろりと白いクリームがたっぷりとかけられ、イチゴが円を描くように並べられている。
チョコのプレートには、「HAPPY BIRTHDAY TO YUZU & KARIN」と書かれている。
ケーキの上には、ろうそくが十二本立てられていた。
パチッ、と音を立てて、一護が台所のスイッチを切った。
通りを行き過ぎる車のライトが、部屋の中を照らしていく。車が去る音と共に、台所は何かを待ち構えるように静まりかえった。
「ええと、ロウソクに火をつけなきゃな」
一護がテーブルの上に置いてあったライターを手に取ったとき、乱菊がパチン、と指を鳴らした。
途端に、ロウソク全てに、同時に火がともる。
「魔法みたい!」
遊子と夏梨は同時に歓声を上げた。
「松本……」
「いいじゃないですか、たまには鬼道を楽しいことに使っても」
キドウ、というのが何か遊子には分からないが、死神の使う魔法のようなものだろうと遊子は見当をつける。
日番谷は乱菊をちらりと睨んでため息をついたが、それ以上は何も言わなかった。
代わりに、背後から唐突に聞こえた大声に、肩を揺らせる。
「よーーしお祭りだ! いやお祝いだ! 歌うぞー!」
一心が、一度閉められたドアをバーンと開け放って騒々しく登場したのだ。
そして、誰かが文句を言うよりも先に、「HAPPY BIRTHDAY TO YOU」を大声で歌い出した。
何回歌われても、この歌は嬉しい。そう遊子は思う。
生まれて、十二年。自分が生まれた年の干支をもう一度迎える。何だか少し、大人になった気分だ。
"HAPPY BIRTHDAY DEAR YUZU & KARIN"と、名前を言うところでみんなが早口になってしまうのが、遊子は好きだ。
来年も十年後も五十年後もずぅっと、こんな風に夏梨と二人で祝ってもらえたら、幸せだと思う。
歌が終わり、パッと台所に明かりがつけられる。
蛍光灯の白々とした明かりの下で、遊子と夏梨は顔を見合わせて、笑った。