丸太のような、という形容がよく似合う腕だった。
筋肉が張り詰めた腕は太く、浅黒く日焼けした皮膚には幾つもの傷がはしっている。
盗賊の名にふさわしいその肌に、さらりと銀色の髪がかかっている。

無骨な腕の中に閉じ込められているのは、華奢な体つきをした十歳にも満たない少女だった。
腰までもあるすんなりと伸びた銀色の髪、透き通るような白い肌。そして何よりも、大きな翡翠色の瞳が印象的だった。
まるで絵の中から抜け出してきたような美少女は、今はその表情を憂いに曇らせていた。
 

「コラ、そこのボケ盗賊! その子返さんかい!」
何度聞いても聞きなれない、奇妙なアクセントの声の主を見返す。
少女よりやや暗い銀髪、真紅を湛えた細い瞳。三番隊隊長・市丸ギンである。
「へっ、死神が死神を助けに来るたぁ、ヒマなこったな!」
腕をぐい、と少女に押しつけた盗賊は、野卑な笑みを頬に浮かべる。
太い眉、浅黒い肌、彫りは浅いが目だけはぎょろりと大きい。その男の言葉に対して、市丸は軽く首をかしげた。

「……ん? その子、まだ死神ちゃうやろ?」
盗賊は、やや同情的な目を少女に向けた。
「……隊長にすら知られてねぇなんて。才能なくて、斬魂刀もなくて、顔だけじゃぁなあ。あの女の死神なんて、平気で高笑いしてやがる」
少女が顔をあげると、市丸の背後で、金色の髪をたなびかせた女死神……松本乱菊が、そっくり返って大笑いをしているのが見えた。
「まつもと……後で、殺す」
「あ? 何か言ったか」
「いや、何でもね……いや、ない」
なんで、一体どういうわけでこんなことに。少女……いや、日番谷冬獅郎は、ズキズキと痛み始めたこめかみを押さえた。


***


それより、1日前。コトの始まりは、十番隊にひとりの少女の入隊要請が来たことにさかのぼる。
「真田環(たまき)? って、あの真田家の息女ですか?」
「大貴族の娘だからって、気ぃ使う必要ねぇぞ。大体、まだ要請の段階だ。入隊するとは決まってねぇ」
大声を出した乱菊に対して、日番谷は冷静なものである。
隊首席に身を乗り出した乱菊を避けるように背をそらすと、手にした入隊申請書に視線を落していた。
乱菊が盆に載せてきた湯飲みを手に取り、薫り高い茶を口にする。
一日の業務もほぼ片付き、ゆったりとした黄昏が訪れていた。
開けっ放しにしている窓からは、花の香りをはらんだ春の風が吹き込んでくる。

日番谷の答えに、乱菊はわずかに首を傾けた。
「あら、珍しい。いつもなら来る者拒まずっていうのがポリシーなのに。あんまり乗り気じゃなさそうですね」
ととと、と日番谷の背後に回り、入隊申請書を背後から覗き込む。
「この隊章! 一番隊じゃないですか。まさか総隊長の推薦付ですか」
「そうなんだがな」
苦い茶でも含んだかのように、日番谷の口調は珍しく歯切れが悪い。

ん? と怪訝そうに眉を顰めた乱菊は、環、環……と口の中で呟きだした。
「どっかで聞いたような……」
「思いださんでいい」
素早く日番谷が口を挟んだが、その時には、乱菊は突拍子もない声と同時に手を打っていた。
「バッチリ思い出しましたよ、最近聞いた噂。聞きたいですか? 聞きたいでしょ、隊長?」
「いらねえ」
即座に苦虫を噛み潰したような顔をして、日番谷が無愛想に返す。

「あら〜? その反応。もう知ってるんでしょ? 『真田環は日番谷隊長にベタ惚れで、隊長に近づきたいから死神になろうとしてる』って。
十番隊に入隊希望出してくるくらいだから、本気ですねー」
じろり、と乱菊を睨みあげ、日番谷はため息で返した。
「推薦状だしてきたのは総隊長だっつってんだろ」
「総隊長と真田家の当主は旧知の間柄ですよ、知りませんでした? 
おおかた、娘の頼みを聞いた当主が、総隊長に申し入れたんだと思いますよ。
総隊長だって隊長のこと孫みたいにかわいがってるじゃないですか。
将来かわいい孫が、真田家に逆玉できれば隊長の将来だって安泰……」

「ハナシを飛躍させんじゃねぇ!」
バン、と湯飲みを机の上に置き、日番谷はいつ止むとも知れない乱菊のおしゃべりを食い止めた。
乱菊は一応黙ったものの、笑いをこらえているのが丸分かりである。
流魂街出身の隊長は珍しくはないとはいえ、貴族中心の瀞霊廷内ではいまだ、苦労することも多い。
血筋を持たない隊長格と、力が欲しい貴族の縁組は昔から慣習的に行われていることでもある、が……
日番谷にとっては、ありがた迷惑以外のなにものでもない。

「でも隊長ー、さっきも言ったけど、来る者拒まず、でしょ? 
日番谷隊長敬愛しております! みたいな汗臭い男達を、どんどん受け入れてるくせに。女はダメなんですか?」
「男のと、女は違うだろ……」
「へぇぇ〜、ドコが違うんですか? 100文字以内で述べよ」
100文字、と一瞬日番谷は口の中で呟いて考え込んだが、すぐにこめかみに青筋を立てた。
「てめぇ、上司で遊ぶんじゃねぇ!」
「いやぁ、あたしの敬愛する隊長から、ついにマセた一言が聞けるかと思って……」
「……そろそろ、凍ってみるか?」
「いやーん、冗談ですって」
日番谷の凄みも全くこたえない乱菊に、ふぅ、とわざとらしくため息を漏らす。


「十番隊に必要なのは、マトモに仕事する奴だけだ。背景がどうだろうが関係ねぇよ」
そして、その理屈でいけば十番隊に最もふさわしくない、一日通して全く働く兆しをみせなかった副隊長を睨み上げる。
「キリキリ仕事する人の、癒し担当も重要ですよ」
「まさか自分がその役だと言わねーだろうな? 巷じゃ、お前のせいで俺が総白髪になったって噂も……って、笑うんじゃねえ!」
腹を押さえて爆笑した乱菊は、目尻に涙を浮かべながら日番谷の後ろに回り、その銀色の髪に触れる。
「こんな綺麗な色の髪、そうそうないですのにねぇ。男に生まれたのが勿体ないくらい」
意外と柔らかいその髪に指を滑らせると、日番谷は嫌そうにその手を振り払った。

「いちいち話逸らすな。言っておくが、真田環って奴は中々の逸材だぞ」
「そーなんですか?」
目を見開いた乱菊に、手にしていた紙を示して見せる。背後から覗き込んだ乱菊が、書類に目を走らせ……ほぉ、とため息をついた。
「白打、鬼道、斬術、歩法……どれをとっても大したもんじゃないですか。隊長と同じくらいの子供だって聞きましたけど……」
「俺と比較すんな。ま、学校で学んだ知識が実戦ではすぐ使えねぇだろうが、将来の席官は望める……」
日番谷がそこまで言いかけた時だった。トントン、と隊首室の扉がノックされたのは。乱菊が金髪を背後に払い、身を起こした。
「どちら様?」
隊士なら、すぐに名前と用件を告げるはずだ。
返してきたのは、日番谷も乱菊も予想もしなかった、堅苦しい女の声だった。
「わたくしは真田家の奥でございます。真田環の母……と言えば、お分かりになりますかしら」
二人は、思わず顔を見合わせた。




「ですから。真田家当主の奥を預かるわたくし自らが出向いてきたのは、気がかりなことがあったからなのです。
娘を……環を十番隊に入隊させることについては、全く異存ございません。
総隊長と当主の間で取り決められたことですし、本人が強く望んでのことでもありますから。
当家の願いを聞き届けてくださったことについては、感謝さえしておりますのよ」
立板に水、とはこのことだ。日番谷は半ば感心して、目の前で細かく動き続ける口元を見上げた。
なにしろ入ってきて十分間、挨拶もそこそこに、ほとんど口を止めていないのだから。その間、日番谷は相槌くらいしか打っていない。
悪いがあんたの娘の入隊にはあんまり乗り気じゃない、という肝心要なそのことを言う暇もないくらいだ。

ひっつめにした髪、化粧ッ気のない顔、そして細い目には三角形の眼鏡をかけている。
すらりとした痩せぎすの体つきで、全体的に、とても乱菊と同じ女とは思えない。
真央霊術院に、こんな女教師がいたな、と関係ないことを思った時、乱菊が一歩前にでた。


「……で? 結局、何を言いに来られたんですか?」
日番谷の客に対して、隊長が口を挟む前に乱菊が出てくるのは珍しい。しかも口調もとげとげしい。
母親は、神経質そうな細い眉を吊り上げて乱菊を見返した。
「随分、性急ですのね。それでは申し上げますわ。十番隊といえば、貴族出身ではない流魂街の……コホン、
どこの馬の骨とも知れない……失礼、わたくしの口からは直接申し上げられないような出身の方も大勢いらっしゃるそうですわね」
ふっ、と乱菊が口元から息を漏らした。
その口角は片方だけ上がり笑っているように見えるが、つきあいの長い日番谷には、乱菊が今まさにブツリと切れた音が聞こえるような気がした。

「申し上げてるじゃない、十分! 流魂街出身をバカにすんじゃないわよ」
正面からやり返した形の乱菊を、母親は頭の天辺から爪の先まで、観察するように見返した。
「あら失礼、貴女も流魂街の方ですのね。あまり上品とはいえない恰好をされているから、そうじゃないかと思っていたんですのよ」
「はぁ!?」
言葉に力をこめてにらみつけた乱菊を、母親は胸を反らして受けた。
「やめろ松本。ケンカしてちゃ、話が進まねぇだろ」
一触即発のタイミングで、日番谷が言葉を挟む。
「でも!」 
「松本」
翡翠色の瞳が、言い募ろうとした乱菊を静かに制した。ぐっ、と乱菊は言葉を飲み込み、不満そうではあるが、日番谷の背後に控える。

日番谷は改めて、一歩も引かないプライドを前面に押し出した母親を見返す。
「要は、娘が十番隊でやっていけるか心配している。そういうことだろ?」
「えっ、ええ。ええ、そうですわ」
何が来るかと身構えていたに違いない母親が、拍子抜けしたように頷いた。
「さすが日番谷隊長、話が早いですわ。わたくしはそれを相談しに来たのです」
余計なハナシが多すぎるっての、という乱菊の小声の突っ込みは、聞き流すことにした。
「環のような少女が入隊したことは、まだ十番隊にはないはずですわね。あの子が不自由しないか心配なのです」
ふぅむ、と日番谷は軽く唸ると、腕を組んで隊首席にもたれかかった。乱菊を見上げ、もう一度首をひねる。

「……あたしじゃモデルにならないって思ってません? 隊長」
近いから、という理由で男子便所にも平気で出入し、男の前で平気で服を着替えて鼻血を吹かせる己の副隊長。
彼女ほどではないが、数少ない十番隊の女性たちはどれもこれも、逆に男を引かせるような強者だらけだ。
「問題ねぇはずだが、前例がねぇから確証もねぇ。一応、こちらでも調査してみるから、ちょっと待ってくれ。結果は追って連絡する」
「副隊長と違って、隊長はたのもしいんですわね。くれぐれもお願いいたしますわ」
乱菊をジロリと見つめてから、母親が頭を下げる。思わず前に出ようとした乱菊の手首を、日番谷が目も向けないまま掴んだ。

「ところで、俺も流魂街出身なんだ」
無造作に切り出された言葉に、母親は顔面に石でも飛び込んできたかのように目を見開いた。
「……は?」
初耳だったのだろう、そのまま口をつぐむ。
「知ってのとおり十番隊には流魂街出身者が多いが、互いをひとつの家族みてぇに思ってる。家族の中傷は許さねぇ。
血が繋がった娘を持つあんたなら、分かることだと思うが」
日番谷の手の下で、乱菊の腕がかすかに震えた。日番谷の翡翠の中に、穏やかではあるが断固とした力が篭っている。
母親は無言だったが、やがて頭を深く下げてその場を後にした。



「たいちょーー!!」
バタン、と扉が閉まると同時に、乱菊が背後から日番谷に抱きついた。その巨大すぎる胸に後頭部を押され、日番谷がつんのめる。
「惚れる! 大好き!」
「いーから離れろ、暑苦しい!」
肩を押し戻し、日番谷がソッポを向く。乱菊はさっきまでの不機嫌さはどこへやら、ふふっと笑った。
「家族、か。なんかすごく嬉しかったです」
ふん、と日番谷は鼻を鳴らしただけで、何も言わなかった。そんな日番谷を見下ろし、乱菊は肩をすくめる。
「でも、環って子が母親そっくりだったら、あたしキレない自信ないです……って、何笑ってんです隊長?」
「いや」
日番谷は思わず、ニヤリと笑ってしまった口元を押さえた。
正直言って、ちょっと面白がってもいたのだ。普段無敵の乱菊が、女相手にこれほど苦手意識をむき出しにするのを、初めて見たものだから。


「笑ってる場合じゃないですって。調査する、なんか言っちゃって、どうするんです?」
「草鹿でも侵入させるか」
「……なんか意味あります? それ」
「……ねぇな」
貴族の娘かどうかはとにかく、少女が不自由なく十番隊で暮らせるかが分かればいいのだが、
生まれてこのかた不自由など感じたことがなさそうなやちるを投入しても、参考にはならなさそうだ。日番谷がうなったとき、
「そーーーだっ♪」
乱菊が唐突に、楽しげな声をあげた。
「……なんだよ」
乱菊が嬉しそうに何かを提案するときには、ロクなことがない。経験から知っている日番谷は、無意識に警戒する。
「隊長が女装して、十番隊に忍び込めばいいんですよ♪」
今なんとのたまったのか、この女は。
間髪いれず怒るか、呆れるか、否定するかすればよかったのだろうが、とっさにリアクションを取れずに凍りつく。

「あたしに任せといてくださいー!!」
「あっ、て、おい!」
日番谷が身を乗り出した時には、乱菊は満面の笑みと共に、隊首室から瞬歩で姿を消していた。
「……ンなことに、瞬歩使うんじゃねえ……」
突っ伏した日番谷の唸りは、隊首机に吸いこまれた。