「松本ふくたいちょー、今戻りました」
ふわぁ、と顔一杯で欠伸をしながら、隊首室に入ってきたのは一人の女死神だった。
栗色の長髪につんと上に尖り気味の鼻、頬にはそばかすの浮いた、陽気な顔立ちの少女である。
年のころは15歳くらいだろう。

城崎尊(みこと)。
乱菊が手を焼く部下ベスト1の座に君臨し続ける、十番隊末席の少女である。


「あんたね。一応欠伸引っ込めてから入りなさいよね」
「そんなこと言われても、もう夜なんだから眠いです」
「もう夜って、まだ7時でしょうが! 子供じゃないんだから」

隊首室の窓から外と見やっていた乱菊が、朝でも昼でも気の赴くままに眠っているとは思えないセリフを吐いた。
何だかこの少女を前にすると、自分が勤勉に見えてくるから不思議だ。
それは気のせいだ、と日番谷だったら吐き捨てるだろうが。その毒舌さえ、今は懐かしかった。
何かが狂っている、と乱菊は思う。日番谷は女になり、乱菊は定時後にも関わらず働いている。
これが異常でなくてなんだというのだろう。


「ンなことより、ちゃんと真田環に直接、入隊書類を渡してきてくれた? 何かおかしな様子なかった?」
「いえ、別にフツーでしたよ。貴族のフツーなんて分からないですけど。
環って子、髪も目の色も黒くって、深窓の令嬢みたいな感じでしたよ。さすが貴族」
「へぇ」
「こんな時間に非常識ザマスよ、みたいな感じの、オバサンも一緒に出てきました」
「……でしょーね」
「知りませんって言っときました」
「それで良し」
日番谷の銀髪碧眼とは対照的な外見らしい。
とにかく、さらわれたのが本物の真田環だった、という可能性はゼロになったわけだ。

「ごくろうさん、城崎。あんたもう帰っていいわ」
「てゆーか、隊長は? あたし隊長に会えるかと思って、定時後のこんな仕事引き受けたのにー!」
駄々っ子のように足をばたつかせた城崎に、乱菊はそれはそれは深いため息で返した。
「あたしだって隊長に会いたいわよ……」
ただし、女じゃなくて男の隊長に。ネムに問いただした薬の詳細が、乱菊を大きく打ちのめしていたのだ。


―― 「はい。薬の効力は、一粒だと一日、二粒だと一年、三粒だと一生です」
―― 「なによ、そのざっくりした効力は! で? 隊長は何粒飲んだの?」
―― 「三粒です」
―― 「……」
例えでなく、乱菊は本当によろめいた。バックに涅マユリがいることは間違いないから、ここでネムを責めたところで始まらない。

―― 「解毒薬は!」
―― 「マユリ様なら作れます、が……そのためには実験台になってもらわないといけません」
全ての実験が終わったとき、体がどの程度残っているかは分かりません。
淡々と続けられたその言葉に、乱菊はガラガラと自分の体が崩れていくような錯覚に囚われる。
はめられたのだ、と一瞬で分かった。あの日番谷がそんなにアッサリはめられるとは思いにくいが、事実なのだから仕方がない。
諦めて一生女でいてください、なんて言っても日番谷は絶対納得しないだろう。


「厳しい日々が始まりそうだわ……」
「え? 何ですか副隊長?」
「いえ、独り言よ。定時後に悪かったわね」
手をゆるく振って、帰っていい、と伝える。
はやく出て行ってもらわないと、城崎にさえ全てを相談してしまいそうな、自分の弱気が怖かった。
「でも、副たいちょ……ひゃぁっっ!!」
いつもと違う乱菊の様子に首をかしげた城崎が、悲鳴と共に跳ね上がった。
「えらい元気がええ子やな」
たった今城崎が開けようとしていた扉が開き、市丸がぬぅ、と姿を現したからだ。

「い、い、市丸たいちょ……」
「いつまで外で待たすねん。ええ加減寒いんやけど」
「……悪かったわよ」
乱菊はため息をつくと、窓から離れると市丸の傍へと向う。
ただならぬ様子に、城崎が彼女に似合わぬ不安げな表情を浮かべる。
大体、日番谷の許可なしに、他の隊長が隊首室へ入ってくるなど尋常ではない。相手が市丸なら尚更だ。
「副隊長……」
「いいから。アンタは自室に戻んなさい」
ぽん、と城崎の頭に掌を置き、乱菊は微笑んだ。


***


 その頃。日番谷冬獅郎は、うんざりしていた。
「み、見ろよあの銀色の髪! 目なんか青色だぜ?」
「さすが令嬢だなー、あんな美少女見たことねぇよ」
閉じ込められた部屋の扉の隙間から、互い違いに何人とも知れない男達が現れるのだからたまったものじゃない。
これじゃ気も休まらねぇ、と誘拐された自分の立場も忘れ腹を立てていた。

日番谷が閉じ込められていたのは、隙間風がひゅうひゅうと吹き込んでくる、その辺から板を寄せ集めたあばら家だった。
「建てた」というよりも「作った」という方が正しい稚拙さである。
床も、瓶や紙、服や食べ物がバラバラと散らばった、廃墟のような有様だった。
転がっている鏡のカケラに、日番谷は目をやる。そこには、銀髪の少女が映っている。

「美少女、ねぇ……」
だから何、という感じではある。
大体、予定では明日には男に戻ってしまうのだ。
いきなり男に戻ったら、人違いだったから解放しますとはなるまい。
でもそうなったらそうなったで、この小うるさい男達を吹っとばして力づくで出て行くと心に決めていた。

―― しっかし、こういう危険もあるか……
頬杖をついて、考え込む。
十番隊には身代金を狙われるような、やんごとない身分の隊員はいなかったため考えたことがなかったが、
こんな風にいきなり盗賊にさらわれる、という可能性もあるのだ(今実際に起こっているし)。
しかも、まだ実戦の経験がほとんどない新人ともなれば、すくみあがってしまってもおかしくない。
経験豊かな隊員と組ませたほうがよさそうだ。

ふぅ。思わず、ため息をついた時、日番谷の脳裏は完全に十番隊の編成に向いていた。
「そう、ため息をつくな。何もしねぇよ」
聞こえてきた野太い声に、ようやく我に返る。
顔をあげると自分をさらってきた死神崩れの男が扉を開け……というかこじ開け、部屋の中に入ってくるところだった。
獣のように野卑な目が、日番谷に向けられる。

「……何か用」
困ったな、と日番谷は思う。こういう時、貴族の令嬢なら何と反応するんだろう。
あぁれぇ、と悲鳴をあげたり、よよ、と泣き崩れたり、ふっ……と気を失ったりするんだろうか。
―― 却下だ。
どんなに頑張ったところで、自分にそんな芸当はできそうにない。
思ったとおり、男は怪訝そうな表情を向けてきた。

「やけに平然としてるな。こんな状況に慣れてるはずもねぇのに」
やっぱり疑うよな、ここは百歩譲って泣きまねでもしてみるか、旅の恥は掻き捨てというし(ちょっと違う)。
そう思った時、男はウンウンと頷いた。
「こういう時でも精神がぶれないよう教育を受けてるってこったな」
こくり、と頷いてみた時、ばさり、と頭の上から毛布が降ってきた。
寒くはないが、これでも一応人質への気遣いのつもりなのだろう。
ぷはっ、と顔を出すと、しゃがみこんだ男と目があった。

「……お前、斬魂刀は」
「……もってない」
部屋においてきたから事実だ。
その質問が、自分の斬魂刀をもてるほどの霊圧はあるか、という意味だということは分かっていたけれど。
「霊圧は、それで全力か」
こくり、ともう一度頷く。本当は全力で押し殺していたけれど。すると、男は深いため息をついた。
「こんな霊圧の低い女を入隊させるとは、十番隊の隊長は何考えてんだ。金でも積まれたか?」
何だとコノヤロウ。二重の意味で頭に来たが、悪態を引っ込める。
それに、男の眼差しは、何だか自分を浚ったときとは随分色合いを変えているように見えた。

「まっ、そんな不安そうな顔すんな。これからお前の親と身代金を交渉する。娘のためなら平気で金くらい積むだろ」
「交渉は、まだ……」
「できなかったんだよ。あのキツネ目の隊長格のせいでな」
やっぱりみんなキツネと思うのか。ちょっとは市丸も役に立った、と思う。
そのときだった。

「なんだてめぇ、このキツネ目が!!」
表で男達の声が響き渡り、日番谷は弾かれたように顔をあげた。
「ま、まさか……」
まさか。この場に最も現れて欲しくない男が、ここに。
しかも恐ろしいことに、隣に感じる霊圧は間違いなく、乱菊ではないか。
「ちっ、来い、ガキ!」
有無を言わさず毛布ごと、そのまま表へ引きずり出される。
外を見やった日番谷は、思った通りの面子が顔を揃えているのを目の当たりにした。


「コラ、そこのボケ盗賊! その子返さんかい!」
「ま、マジかよ」
何度聞いても聞きなれない、その妙な言葉遣い。糸目。銀髪。
そこに紛れもなく、三番隊隊長市丸ギンの姿をみとめた日番谷は、がっくりと肩を落とした。
「もうちょっとで助けたるからな、待っとき」
市丸の少し後ろに立った乱菊は深く俯いている。
その肩が細かく震えているのを見て、思わずバカヤローと怒鳴ってやりたい気持ちを押し殺す。
てめぇ、今思いっきり笑いこらえてるだろ。隊長が、女装した隊長を助けるの図。
大声で笑い出さないだけマシかもしれないが。

「へっ、死神が死神を助けに来るたぁ、ヒマなこったな!」
そーだそーだ。てめぇは瀞霊廷に帰って昼寝でもしてろ……
日番谷の心中の声援に気づくことなく、男が目をむいて市丸に怒鳴った。
日番谷を抱えた腕とは逆の右手には、大刀を引っつかんでいる。斬魂刀だ、というのは一目で分かった。
その男の言葉に対して、一方の市丸は軽く首をかしげた。
「……ん? その子、まだ死神ちゃうやろ?」
男は、やや同情的な目を少女に向けた。
「……隊長にすら知られてねぇなんて。才能なくて、斬魂刀もなくて、顔だけじゃぁなあ。
あの女の死神なんて、平気で高笑いしてやがる」


少女が顔をあげると、市丸の背後で、金色の髪をたなびかせた女死神……松本乱菊が、そっくり返って大笑いをしているのが見えた。
「まつもと……後で、殺す」
「あ? 何か言ったか」
「いや、何でもね……いや、ない」
なんで、一体どういうわけでこんなことに。
少女……いや、日番谷冬獅郎は、ズキズキと痛み始めたこめかみを押さえた。