「一護! 一護、どこだ!!」
朽木ルキアは、流魂街を手当たり次第に駆け回っていた。涙で頬を濡らした織姫が朽木邸に駆け込んできてから、早二時間が経過していた。
手が空いている死神達を総動員させて一護の捜索に当たらせているが、いまだ手がかりもつかめていない。
それほど遠くにいることはない、と卯ノ花は言っていたが、それでも流魂街は人ひとり探すにはあまりに広すぎた。
「……どこへ行ったのだ……」
ルキアは崩れかけた岩の塀が建ち並ぶ一角で足を止めると、塀を背にため息をついた。
春の風がやわらかくルキアの頬を撫でてゆくが、その風にも、舞い散る桜にも心を移らせる余裕はない。頬を流れ落ちた汗を、ルキアは手の甲でぬぐった。
「お前がそんなあっけない終わりを、むかえるはずがないだろう」
どんな時でも揺らがない強い瞳を、思い出す。何度斬られて倒れても立ち上がった、あの不屈の魂を、思い出す。
あれだけの男をそれほど動揺させたものが何なのか、ルキアには想像もつかないのだ。
「……信じろ。一護は、必ず戻ってくる」
言い聞かせるように、念ずるようにルキアはそう呟くと、塀から身を離した。
こんなところで立ち止まっているわけにはいかない、事態は一刻を争うのだ。ルキアは疲労を訴える体を鞭打ち、駆け出した。
塀を曲がったところで、ちょうど逆方向からやってきていた少年と軽くぶつかった。
少年、というよりも幼児と言ったほうがしっくりくる、5歳か6歳くらいの体格だ。
「すまぬ、少年! 急いでおるのだ」
ぶつかった肩を軽く撫でると、ルキアはそのまま駆け出した。
「どこだ、一護……」
去り際に残した言葉に、少年はふっと顔を上げる。そして、あっという間に小さくなったその背中を目で追った。
「いち、ご。あのおねえちゃん、ボクを呼んでた……?」
オレンジ色に近い茶色い髪が、春風になぶられてふわりと揺れた。鳶色の瞳を持つその少年は、きょとんと首をかしげた。
ここがどこなのか、いつなのか、少年……一護には、何も思い出せなかった。
夢でも見ているんだろうか、と首をかしげて辺りを見回す。ただ空は青く、桜は血が通ったように色づき、足元の草は鮮やかだ。
歩む足どりは夢の中のように不安定だった。
―― 一護。
自分を呼ぶ優しい声を聞いた気がして、一護は空を見やった。本当に桜は満開なのだ、と改めて思う。空の上をピンクが舞い飛んでゆく。
「そうだ。ボク、おかあさんを探さなきゃ……」
そういえば自分は、母親を探していたのだ。どこか後付のような奇妙な感覚にくすぐられながらも、少年は辺りを見回した。
その時、視界の端で揺らめいた栗色に、少年は大きな鳶色の瞳を見開いた。
「おかあさんっ!」
桜の木が建ち並ぶ道の向うで、一人の女性が後ろ向きに佇んでいた。腰ほどもある、柔らかに背中を波打って落ちる栗色の髪は、母親のものに違いない。
その薄い肩、細い腰も見慣れた姿だったが、呼びかけにも振り返ることなく、桜の中に姿を消してゆく。
ごぅ、とひときわ強い風が吹きぬけ、地面に落ちた桜が一斉に舞い上がる。
「まって……」
思わず目をつぶった一護が再び目を開いたときには、その姿はもうどこにも見当たらなかった。
桜色のトンネルのように見える花吹雪の中を、一護はたよりない足取りで歩き出した。
いつだって、来てくれた。
どんな時だって、おかあさんは来てくれたのだ。
まったく見覚えのない町並みがどこまでもどこまでも続く中、談笑する見知らぬ人々の間を潜り抜け、一護はひたすらにそれだけを思って歩き続けた。
ただ、探すのをやめちゃいけない。諦めずにこっちも探し続ければ、絶対におかあさんは自分を見つけてくれるに違いない。
気がつけば、いつかの運動会の日のことを思い出していた。
いつもはチラホラとしか人がいない公園は、その日は色とりどりの国旗に満たされ、駆けっこに使ったピストルの火薬の香りが流れていた。
赤白帽をかぶった園児たちは蜘蛛の子を散らしたように駆けだし、それぞれの親のところへ行こうとしていた。
時間は丁度、午前の部の駆けっこと玉ころがしが終わったところ。一護も空腹を抱えたまま友達と別れ、父親と母親を探していた。
きょろきょろと辺りを見回したが、自分が待ち合わせ場所を忘れたことを思い出し、立ちすくんだ。
「ママー! すごいでしょ。あたし一番だったよ!」
笑顔を浮かべて腰をかがめた母親に抱きつく女の子、ビデオカメラを片手に持った父親に抱き上げられる男の子。
みながそれぞれの親を見つけ、あちこちで弁当を広げている。色とりどりのビニールシートの中で、一護は身を硬くした。
どうしよう、どうしよう。どきん、と胸が高鳴る。喉が渇く。めまぐるしくあちこちを見ても、親の姿は見えない。泣き出しそうになった時だった。
「一護! あぁ、よかった……」
まるで背中を突き飛ばされたかのような勢いで、栗色の髪を揺らせた母親が視界に現れた。
とっさに目を見開くばかりの一護をぎゅっと胸の中に抱きしめる。
「ごめんね、遅くなって」
時に甘えん坊だと評されるほどにお母さんっ子で、母親の姿が見えないとすぐ泣き出す。
そんな一護のことを知っていたからこそ、心配して探してくれたのだろう。
母親の優しい言葉が、耳をくすぐった。
「ありがとうね、お母さんをずっと探してくれて。だからお母さん、一護のこと見つけられたのよ」
あの時。
たしかにおかあさんは、そう言った。
「……おかあさんを、探さなきゃ」
泣きそうに顔をゆがめながらも、自分に言い聞かせるように一護は呟く。
そして、頬を流れた汗とも涙ともつかないものを掌でぬぐい、見知らぬ流魂街の町並みにまた一歩、足を踏み出した。
***
どれほど歩いただろうか。一護が桜の舞い散る大通りを折れ、人気のない小道へ一歩足を踏み入れた時だった。
「貴様、何者だ!」
突然響き渡った険しい声に、一護はビクリと肩を震わせ、顔を上げた。
大通りを歩いていた住人達が、何事だろうと怪訝そうな視線を向けている。
そっと視線を上げると、小道を真っ直ぐいった闇がわだかまった場所に、漆黒の装束の男達が数人、見えた。
おおよそ子供に向けるとは思えない、情の全く篭らぬ無機質な視線を、一護にまっすぐに向けている。
「だ、れ」
一護の声が、震える。
「隠密機動を知らぬのか」
「おんみつ……?」
知らない、と首を振った一護を、隠密機動たちは眉一つ動かさずにらみつけた。
「生きてはおらぬ、死者とは違う……一体どこから入り込んだ?」
そのうちの一人が、ずかずかと一護のほうへ歩み寄ってくる。その足音に、一護は怯えて背後に下がった。
「なに? おじさんたち……」
「来い!」
「やだ!」
腕をぐいと掴んで引っ張り上げられた一護が、悲鳴と共に抵抗する。
まるで意志の通じない獣か、それとも機械でも相手にしているかのようだった。
大通りがざわざわと騒がしくなり、何人もの住人達が小道を覗き込む。いくつもの非難の視線が向けられたが、
「何を見ている!」
邪魔をすればただではおかない、と言わんばかりの勢いに、視線を逸らした。
おかあさん。
一護は心の中で、助けを求める。おかあさんなら、きっと来てくれる。
「手ェ離せ!」
しかしその場を貫いたのは、母親とは似ても似つかぬ少年の声だった。