1. 冬獅郎
2. 冬獅郎さん
3. シロちゃん

「やんっ♪」
思わず声を上げた尊を、傍を行く隊士たちは気味悪そうに避けて通った。
付き合い始めたら、互いの名前をどのように呼ぶか。
そんなことに頭の99%を奪われていた尊は、致命的なことを見落としていた。

「シ……じゃない、隊長! おはようございます!」
いつもより三割り増しに声を張り上げ、隊首室のドアをバーンと開け放つ。
勢い良すぎて、壁にドアが当たってガゴンと派手な音を立てた。
「あんた。ドア壊したら今月の給料からしょっ引くからね」
そんな尊を迎えたのは、珍しく立っている松本乱菊だった。さらに珍しく、斬魂刀を右手に持っている。
「あ……れ? 日番谷隊長は?」
「隊長なら、さっき緊急の用事が入って、出て行ったわよ。西流魂街に虚が出たって。あたしも今から応援に行くところ」
「えええ〜??」
応接テーブルの上に急須と湯飲みが載った盆を置き、その脇によよと崩れ落ちた尊を、乱菊は唖然として見下ろす。
普段の日番谷は、特に自分の霊圧を隠したりはしない。その気になれば、隊首室に日番谷がいないことくらいすぐに分かったというのに。
うかつだった……と、尊は唇を噛んだ。

「あいかわらずワケわかんない子ねー。すぐ戻ってくるわよ。ま、お茶は冷めちゃうけどね」
乱菊の声と共に、カチャリ、と陶器の触れ合う音がした。がば、と尊は身を起こす。
見上げた尊の視界に、急須から湯呑みに茶を移し、口元に運ぼうとしている乱菊が映った。
「だっ、ダメー!!」
あまりの剣幕にのけぞった乱菊の喉が、ごっくん、と嚥下される。
「……」
そのまましばらく、向かい合う。

尊の行動は素早かった。
「やだ、あたしが好きなのは日番谷隊長だけですっ! あたしに惚れたってムダですから!」
まるで虫のような動きでカサコソと壁沿いに下がる。
「……は? 何言ってんの城崎?」
かけられたのは、心の底からあきれ果てた、というような乱菊の声。
「……へ?」
二人がもう一度、見つめあう。ためらいがちに尊は口を開いた。
「……。あたしのこと、すごーく魅力的に見えたり、しません?」
「……。沸かすのは茶だけにしなさいよ」
脳みそ沸かすな茶を沸かせ。乱菊の言葉に、尊はゆっくりと首を傾げる。
「女同士じゃ効かないのかしら……?」
「とにかく!」
乱菊はパンと両手を叩いた。彼女は尊と付き合ううちに、学習していたのだ。
尊が引き起こす、さまざまな宇宙的な言動に、いちいち反応していたら身が持たないと。
あぁ理解できない、と思ったら、さっさとその部分をカットしてしまうに限る。

乱菊は手にしていたままの刀を、腰帯に帯びる。
「留守をお願いね。昼前には帰るから」
日番谷のことだから心配はいらないが、虚を倒した後の事後処理は引き取るつもりだった。
ここのところ、日番谷はやたらと忙しいのだから。
ぽかんと首をかしげたままの尊を放置して、乱菊は十番隊を後にした。


***


西流魂街第一区、潤林安。
虚が出たという場所を確認した途端、なぜ日番谷が誰にも任せずにその場を飛び出したのか、乱菊にはすぐに分かった。
日番谷にとって、潤林安はふるさとである。そして、誰よりも大切にしている人が住む場所でもあった。

大切な祖母に危険が及ぶのを見過ごせない、という衝動。
そして戦いを片付けたら、ちょっと様子を見に行こうか、という気持ち。
そんな日番谷の心の動きが、乱菊には手に取るように分かった。
普段の日番谷は、あまり祖母のことを口に出したがらない。
話の端に上がってきても、気まずそうにすぐに切り上げるのが常だった。
祖母を思って行動するとき、自分が年齢相応に子供になることを、自覚しているからだろう。
乱菊にはちょっとそれがほほえましく……当分の間は、このまま変わって欲しくないと思ってしまう。
やっぱり、早く仕事を終わらせてあげなければ。そう乱菊は思って微笑んだ。

と思った、その時。
「っと! っと……」
瞬歩を使っていた足元が、何かに引っ掛かりつんのめった。すぐに体勢を立て直したものの、首をかしげた。
特につまづくようなものは無かった気がする。
―― 「もうトシなんじゃないですか〜」
そんな憎まれ口が、頭に浮かぶ。考えるまでもなく、尊の声だ。本人に言われたわけではないのに、イラッとする。
本当に一体どういうわけで、あの日番谷があんな、おちゃらけ娘を隊首室に出入りさせるのか、さっぱり分からない。

そんなことを考えてる場合じゃない、と乱菊は気持ちを引き締める。
瞬歩の足を緩め、火見櫓の上に着地した。周りの風景はすでに、西流魂街「潤林安」のものだ。
「……あっち」
緩んだ帯を無意識に締めなおし、もう一度瞬歩で移動する。
上司の霊圧が一瞬膨れ上がり、すぐに鎮まるのが分かった。街中のため、霊圧をできるだけ抑えて戦っているのだろう。
ぐんぐんと粗末な家並が通り過ぎてゆく。民家からは少し離れた開けた場所に、乱菊は見慣れた後姿を見つけた。


日番谷は一人。対する虚は三体。傍に、五体の虚が倒れている。
あの一瞬霊圧を高めた時に、五体一度に倒したのか。さすが鮮やかだ、と乱菊は舌を巻く。
虚の一体が唸り声を上げ、日番谷に飛びかかった。日番谷は危なげなく、氷輪丸でその一撃を受け止める。
その隙に、もう一体が日番谷の脇をすり抜け、乱菊のいる方向へと飛び出した。

虚の行く先は流魂街の街並み。一歩も通すわけには行かない。乱菊は刀の柄に手をやった。
「任せたぞ、松本!」
すでに乱菊の接近には気づいていたのだろう。背中を向けたまま、日番谷が呼びかける。
「はい!」
灰猫を引き抜こうとした乱菊の手が、突然止まった。
何かがおかしい。ここに向かっている最中も感じていた違和感が、最悪のタイミングではっきりとした形になる。
刀が……重い。そもそも、柄をちゃんと掴めない。いつもと「手ごたえが違う」と言えばいいのか。
でも、そんなことを言っている場合ではない。一直線に走ってくる虚を目前に、乱菊は唇を噛んで刃を引き抜いた。

わずかな乱菊のためらいを感じ取ったのだろう。日番谷が虚と刃越しに押し合いながら、振り返る。
「ま……松本?」
その目が大きく、見開かれる。とんでもないものを見つけてしまった、とでも言うように。
日番谷らしくもない、隙ができた。虚もそれに気づいたらしく、完全に視線を逸らしている日番谷の背後で腕を大きく振り上げる。
「た、隊長っ!」
その腕が、あやまたず日番谷の胴を強打する。
吹っ飛ばされた小柄な体は、壊れかけた塀に打ちあたり、もうもうと上がった土煙の向こうに見えなくなった。


「な、なに……」
何かが、おかしい。さすがに乱菊も、胸が高鳴るのを感じた。
日番谷は、自分の姿を見て愕然とした、らしい。おそるおそる、自分の体を見下ろしてみる。
とたん、ずるりと肩から着物が落ちそうになり、慌てて引き上げた。よく見れば、きっちり着ていたはずの着物がやけにたるんでいる。
袴の部分は引き摺ってさえいる。さっき瞬歩の最中でつんのめったのは、袴の裾を踏んだからだ、と気づく。
「なんなの……一体」
灰猫を握る手が、いつになく細く、か弱く感じる。まさか。信じられないが、まさか。
「小さく、なってるの……」
あまりのことに、頭が働かない。その乱菊の目の前に、影が差した。
息を飲んだ時には、虚が乱菊に食いつこうと口を大きく開けた姿が目に入った。
逃げなければ――でも、足に力が入らない。圧倒的なスピードで近づく虚の姿を、ただ見つめることしかできなかった。

「松本!」
聞きなれた声に、鋭く名を呼ばれる。虚の背後で影が奔った……と思った時には、日番谷が虚の肩に着地していた。
踏みつけられた虚が素早く振り返る。その直後に日番谷の刃が一閃し、虚の首は声もなく吹き飛んだ。
「白雷!」
膝から崩れ落ちる虚の肩をとん、と蹴り、日番谷が生き残っていた二体の虚に鬼道を放つ。レベルの差は歴然だった。
次々と倒れ伏した虚が姿を消すのを見守って、日番谷はふぅ、とため息をついた。


「……で」
ぱんぱん、と埃で汚れた着物をはたきながら、振り返る。
「その姿は、どういう冗談だ? ていうか、俺が疲れてるのか?」
冗談に見えるような姿なのか。乱菊はおそるおそる、聞き返す。
「っていうかあたし今、どうなってます?」
「鏡見ろ」
落ちようとする着物を引き上げながら、懐から鏡を取り出す。そして自分の姿を見た時……短い悲鳴を上げた。
「む、胸が! あたしの胸がこんなに小さく……!」
「……んなことはどうだっていいんだ」
日番谷は顔を引きつらせると、刀を鞘に納めて乱菊の方へ歩いてきた。
おや? とすぐに気づく。いつもは日番谷を斜め45度くらいに見下ろしているというのに、いつになく視線が近い。

乱菊は無言のまま、自分と日番谷の身長を見比べた。
日番谷よりは高い。しかし、そう変わらないと言ってもいい。
「……ひゃ、150センチくらい、ですかね」
「……だな。一体なにやってんだ、お前」
「好きでやってません」
「……」
150センチ、と言えば。外見年齢なら、12歳か13歳くらいの身長だ。
外見はそこまで幼くなっていないが、やっぱり小柄になっているせいかある程度若返ったように見える。
「どっ、どうしましょう、隊長……」
ぐ、と日番谷が返答に窮する。さすがの天才児でも、「部下がいきなり小さくなった時の対処法」は予想しなかったと見える。

とりあえず、今の格好で隊舎に帰るわけにはいかないだろう。
そもそも仕事にならないし、何事かと怪しまれる。
「……。しょうがねえな。ついて来い」
日番谷も同じことを考えたのだろう。はあ、とため息をつくと、どこへ行くとも言わない間に背中を返した。