次に目覚めたのは、四番隊の病床だった。
目を開けると同時に視界に入ったのは、灰猫とその主の松本乱菊。飛梅と雛森桃の姿も見えた。
霊圧から探るに、黒崎一護と朽木ルキア・袖白雪もその場にいるらしい。
首をめぐらせようとしたが、全身を襲った痛みに息を詰まった。
「あっ、卯ノ花隊長! 氷輪丸が目、覚ましましたよ!」
氷輪丸と目が合った途端、弾けるように顔を上げた乱菊が、大声を出す。
「大丈夫、ダーリン? 重傷だから、動いたら駄目だよ」
灰猫が心配そうに覗き込んできたが、それどころではなかった。

光る白刃。
自らの血しぶきの中で倒れる氷輪丸を見下ろし冷たく嘲笑った、紅蓮の瞳。
「主はっ……」
無理やりに体を起こそうとするのを、伸びてきた幾つもの手が阻んだ。
振り払おうとした時、手首をがっしりとした掌に捉まれる。
「落ち着けよ、氷輪丸。とにかく寝てろ」
「黒崎……一護」
唇を真一文字に引き結んだ一護が、氷輪丸を見下ろしていた。
我が動きを止めたのを見て、手首を掴んでいた手を離す。氷輪丸は、大きく息をついた。
この全身を貫く痛みが、自分に起こったことが悪夢ではなく、現実だということを知らしめる。
「我は……どれほどの間、寝ていたのだ」
「瀞霊廷の外れの土手で、倒れていたのが発見されたのが、昨夜だ。十三番隊の管轄でな……虎徹三席が発見された」
ルキアが、落ちかけた布団を直しながら、答えた。

「起きてはなりませんよ、氷輪丸。貴方の傷は、人間で言っても重傷。三日間は絶対安静です」
穏やかな声に顔を上げると、四番隊隊長・卯ノ花烈が微笑していた。
「でも、斬魂刀の傷って、死神みたいに病院で治るものなんですの?」
飛梅が背後から卯ノ花に問いかける。彼女はゆるゆると首を振った。
「いいえ。寝ていても少しずつ傷は回復しますが、ここまで重傷となると……主に霊圧を注ぎ込んでもらわねば完全な回復は難しいでしょう。
氷輪丸の場合は、日番谷隊長ですが……」
そこまで言った彼女の表情が曇る。
「主は……」
そこまで言った声が、かすれた。その先を尋ねるのが、恐ろしかった。

雛森が、その大きな瞳に憂いを湛えながら、小さく首を振った。
「私達にも分からないの。……日番谷君は、昨日の夕方から行方不明よ。こんなことが分かれば大騒動になるから、総隊長にはまだご報告は上げてないの。
何人かで手分けして探してるんだけど、まだ見つからなくて……」
再び、頭がくらりとした。


***


15分後。昨夜起こったことを説明した後、病室は重苦しい沈黙に覆われていた。
「あんたを斬ったのが、隊長だっていうの……? そんな、訳ないでしょ」
乱菊の声が震えを帯びている。雛森に至ってはショックが大きかったのか、口元を押さえて押し黙ったままだ。

信じられないのは、信じたくないのは氷輪丸も同じだった。
日番谷は、記憶をなくした氷輪丸が襲い掛かった時でさえ本気を出せず、結果的に追い込まれたというのに。
自らが傷つくのを気にもかけず、必死に自分のために呼びかけてくれた主が。
今にも牙を剥きそうな獰猛な表情が、脳裏によみがえる。
霊圧は主であったが、中身は全くの別物。この霊圧が、あれほどに凶暴になれるとは夢にも思わなかった。
あの時は、戦うどころではなかった。しかし本気で戦っていたとしても、あの主を抑えられたかどうか……
氷輪丸は、深いため息をついた。

「冬獅郎と、色が真逆だって言ったよな。銀髪は黒髪に、肌の色は黒くて、死覇装が白かったって」
黙って腕を組み、話を聞いていた一護が口を挟んだのは、その時だった。氷輪丸が頷くと、口の中で小さくうなった。
「何か心当たりがあるのか? 一護」
「心当たりっつーか……俺も、俺と色が反転したような奴と会ったことがあるんだ。斬月がいるのと同じ、精神世界の中で」

続けられた一護の話は、その場の誰もが耳にしたこともないものだった。
斬魂刀との対話の中で、死神が訪れる「精神世界」。そこで、彼は「もう一人の自分」と会ったらしい。
姿形は一護と同じだが色が異なる、その男は斬月と名乗った。
その正体は、主人格である「斬月」とは別に存在する、もう一つの人格。いわば、多重人格である。
主を守り導こうとする主人格の「斬月」とは異なり、隙があれば一護を屈服させ、入れ替わり、己が王にならんと虎視眈々と狙っていたという。
その気性は獰猛にして凶悪。一護も何度も襲われ、かろうじて撃退しているという。

話を聞き終えた後、乱菊が眉間に皺を寄せながら、一護を見返した。
「……でも、それって精神世界の話でしょ? 氷輪丸は現実で、もう一人の隊長に会ったのよ」
「その斬魂刀が今、次々具象化してんだろ」
灰猫が、飛梅が、袖白雪がそれぞれ視線を見交わす。
「斬魂刀の人格が、ひとつではなかった場合……それぞれが、具象化する可能性があると言うことですか?」
袖白雪が柳眉をひそめ、ぽつりと呟いた。

氷輪丸は、無意識のうちに胸に手を当てていた。
斬月の中にいたという、冷静沈着な人格と、それに相反する獰猛な人格。
自分の中にも、同じような感情の分裂はなかったか?
主とそのことについて、会話を交わしたことはない。主が気づいていたのかも分からない。
しかし、全てを殺し、全てを食らい、全ての上に立ちたいと―― そんな狂気とも言える衝動を、感じたことは確かにあったのだ。
その衝動のみを斬り出したとすれば、それはもう斬魂刀でも死神でもない。ただの、獣だ。
自分は獣を、無意識のうちに野に放ったというのか。

「……あれは、主、ではなかったのか」
救いを見つけた気にはなれなかった。
自分を傷つけたあの男が「日番谷冬獅郎」ではなかったとしても、主が今行方不明なことには違いがない。
「……とにかく、日番谷隊長を探すのが先決ですね。氷輪丸を傷つけたのが、もう一つの斬魂刀の人格だと言うなら、屈服できるのは日番谷隊長しかいませんから」
卯ノ花が、静かな声で言うと回りを見回して続けた。
「しかし、一歩間違えば被害が広がりかねません。期限は、今日の日付が変わるまで。
それまでに日番谷隊長が見つからなければ、総隊長にご報告します」
否定することは誰にもできなかった。
もしも「氷輪丸」の力で本気で攻め込まれれば、瀞霊廷に甚大な被害が出ることは間違いない。

「……あたしは、隊長を探しに出るわ」
「あたしも! 流魂街を見てきます」
「とにかく、手分けしたほうがいいよ。あたしたちも協力するから」
乱菊や雛森、灰猫が言い交わし、全員が立ち上がろうとした時だった。
その場の全員が刹那、動きを止める。

「この霊圧……」
一護が、とっさに斬魂刀の柄を握り締めた。
間違いない。氷輪丸に昨夜襲い掛かってきたのと同じ霊圧が、ものすごい速度で瀞霊廷に近づいてきている。
「あれが……隊長じゃない、ていうの?」
松本乱菊が呆然と呟いた。比較にならないほどに凶暴化しているといっても、その霊圧は紛れもなく主のものだった。

「一護っ! どうするつもりだ!」
ルキアが、飛び出して行こうとした黒崎一護に呼びかける。
「あいつを止める!」
「屈服できるのは、日番谷隊長しかおらぬ!」
「だからって、放っとけるかよ!」
刀を肩に担ぎ、窓に足をかけた一護が全員を振り返る。
「あれが何だろうが、冬獅郎の魂から生まれたってことは間違いねぇんだろ? だったら、何とかならねぇはずはねぇ。俺は冬獅郎を信じてる」
ひゅっ、とその姿が掻き消える。
「……氷輪丸。あなたは、動いてはなりませんよ」
卯ノ花が、我の隣に立った。そんなことは分かっている。戦おうとしたところで、足手まといになるのが落ちだろう。

一護の言葉が、耳をうがっていた。
日番谷冬獅郎を、信じる。
それは本当なら自分が、口にしなければならない言葉だった。
昨夜の衝撃から、いまだ覚めやらぬらしい。
「頼むぞ……」
信じて待つことしか、できないのか。
氷輪丸は一護の消えていった方角を眺めやり、唇を噛んだ。