「日番谷隊長? どちらです?」
今より三ヶ月前、まだ冬のことだった。かすかな霊圧を頼りに日番谷を追った恋次は、河川敷にやってきていた。
こちらの方角だと乱菊に言われて追ってきたものの、霊圧探査は苦手なのだ。
こんなに呼んでも返事をしないということは、近くにいないのだろうと判断する。自然と呼び方が雑になる。
「日番谷隊長? おーい。ったく、あんなにちっこいの見つけられるかよ……」
「ほう。誰が見えないくらいに小さいって?」
うぉう、と思わず恋次は声を上げ、振り返った。すると、群生しているススキの向こうに、日番谷の銀色の髪が揺れているのが見えた。

「ひ、人が悪いなぁ。いるなら返事くらいしてくれてもいいでしょ?」
「何で俺がお前に返事しなきゃいけねぇんだ」
不機嫌さを露にした表情でにらみつけられ、恋次は小さくなった。まあ、そう言われてしまえば先はない。
「乱菊さんが心配してますよ。戻りましょう」
「たく、心配性だな」
「当然でしょ。あんなことがあったんだから」
地雷を踏むことを覚悟して、恋次は日番谷を見返す。日番谷は微動だにしなかった。
「あんなこと」とは、日番谷が瀞霊廷を出奔した2週間前にさかのぼる。
草冠宗次郎という名の裏切り者に加担したと断定され、一時は処刑命令まで出された身である。
乱菊が日番谷の不在に神経質になるのは、当然のことだった。

「……傷もまだ、完全に癒えていないんでしょ。戻ってください」
「……分かってる。すぐに戻る」
そう言いながらも、日番谷の視線は川面へと向けられている。
恋次は日番谷を急がせるのを諦め、すぐ隣に立った。
「……何故、なんです?」
「何が?」
「どうして、乱菊さんや雛森の元を離れたんです。あんたは瀞霊廷を裏切っても、あの二人は裏切らないと思ってた」
そんなことを聞くのは、不躾だと分かっている。でも、恋次にはぶっきらぼうな口調で聞くことしかできない。

「草冠宗次郎が昔馴染って事は聞いてますが、あの二人だってそうでしょう」
「……それは、」
日番谷は、無理やり考え事から引っ張り戻されたように、目をしばたかせた。
「草冠は独りだったからな」
その答えを聞いて、ハッとした。
もう随分昔のことに思えるが、極囚となったルキアがたった一人、牢の中で背を向ける姿を思い出したからだ。
自分は、その時どう思った? 死神全員を敵に回しても、味方でいたいと思ったのではなかったか。

「そう、ッスか」
そう言って踵を返すと、日番谷の視線が追いかけてきた。
「俺を連れ戻しに来たんじゃねぇのか」
「俺には、あんたにとやかく言う権利はねぇッス。差し出がましいこと、聞いてすいませんでした」
日番谷が裏切ったと聞いても、取り乱さなかった乱菊を思い出す。
それは、日番谷のこの性格を、知っていたからか。
「戻って来てくださいよ、後でいいから」
「……あぁ」
そう返した日番谷の言葉を、まるで昨日のように思い出す。


***


―― 戻って来てくれと、言ったのに。
広い河川敷を見渡し、恋次は唇を噛んだ。
ひょいっ、と軽やかな身のこなしで、一角が土手沿いの道へ飛び上がった。
辺りを見回すと、ぐんと腕を伸ばして伸びる。後からついてきた弓親と恋次を振り返った。
「ご自分の具象化した斬魂刀が負傷して、日番谷隊長自身は行方不明。一体どうしてしまったんだろうね」
落ちかけた髪を手櫛で漉きながら、弓親がそう言った。一角が溜め息をついた。
「ナリは子供でも迷子なわけねぇし。行き倒れてるって線もねぇだろ。となれば、自分の意思でいなくなったんだろうよ。探して見つかるか?」
「実も蓋もないこと言わないの、一角。騒ぎになる前に見つけないとまずい」

はあ、と恋次は溜め息をつく。思いがけなく荒っぽい響きになり、二人の視線を感じた。
「いや」
弁解するように首を振る。
「なんか……思い出しちまうなと思って。嫌な空気だ」
二人とも何も返さなかった。恋次が何を言おうとしているか、分かったからだろう。
王印強奪事件でも、日番谷は突然姿をくらまし、それが全ての発端となったのだ。
「今度は、一体誰を護ろうとしてんだ、あの人は……」
自分よりも強い者に対して抱く感情ではないが、外見が子供だからかどうも危なっかしい。
また誰かが泣くようなことは勘弁してくださいよ、と心の中で呼びかける。

その時だった。突然出現した霊圧に、三人は同時に顔を上げた。

「日番谷……隊長?」
初めに気づいた弓親が眉を潜める。思わず、三人で顔を見合わせる。
日番谷の霊圧には、間違いない。しかし、血なまぐさいまでの殺気を感じる。
離れていても、殺気が吹き付けてくるような――
「ど、どうしちまったんだ」
とっさに刀の柄に手を置いた一角が、刀を引き抜くこともできず、ためらう。
その瞬間、空気が鳴った。
「なにっ!」
振り向いた時、思いがけないほどに近くに、黒髪の少年の姿があった。
手にした刃を振りかぶった少年がニヤリと笑うのを恋次は確かに捉えた。

地面に打ち当たった刀の剣圧で、岩が砕け、地面が巻き上げられる。
三人は三様に飛び離れ、地面に着地した。そして、土煙の向こうに佇む少年を見やる。
「ひ、日番谷隊長……?」
恋次の声が上ずった。その霊圧は紛れもなく日番谷のもの。刀も、氷輪丸だということは分かる。
顔も、体格も日番谷に違いない。しかし、銀色であるはずの髪は黒く、
透き通るように白いはずの肌は浅黒く、美しい翡翠を湛えている瞳は、真紅だった。
少年は、絶句した三人に順番に刺すような視線を向けた。
「あ? てめぇらこそ、誰だ」
「だ、誰だって……」
一角が絶句する。

「日番谷」は、戸惑いを隠せない三人を見やると、ニヤリ、と笑みを浮かべた。
「互いに誰だろうが関係ねぇだろ。……俺はてめぇらの敵だ」
向けられた氷輪丸の切っ先に、本能的にまずい、と察する。刀を引き抜いたのは、三人同時だった。
直後、「日番谷」が突っ込んでくる。
「よく分からねぇが、このままじゃ殺られる。行くぜ!」
いち早く一角が、続いて弓親が始解する。

「日番谷隊長っ! 僕達の声が、分からないんですか!」
金属音と共に「日番谷」の刀を打ち返した弓親が叫ぶ。
一歩下がった場所にいた恋次からは、「日番谷」の笑みが深まるのが見えた。
それは、明らかな愉悦。吹きつけるのは殺気。戦いを、楽しんでいるのか。
「分からないなら……」
弓親が刀を横ざまに振り払う。突っ込んできた「日番谷」の胴を狙った。

「日番谷」は受けようとも、避けようともしない。逆に体勢を低くする。
左から迫った弓親の刃が、ちょうど「日番谷」の顔の位置に迫る。
「……っ?」
刃が当たる、そう思った瞬間、恋次は反射的に目をつぶった。
噴出す血しぶきを予想した時、ガキン、と鈍い音が河川敷に響いた。

「なっ……」
弓親が絶句していた。横薙ぎの刀を、「日番谷」はあろうことか、その口で受け止めていたのだ。
唇の端が切れ、真紅の血がひとしずく、落ちる。ニヤリ、と刃を噛み締めた口角が上げられた。
ピシッ、と音を立て、弓親の刃にヒビが入る。そのまま幾つもの破片になり、地面へと落ちた。
「嘘だろ……?」
弓親が刀を捨て、背後に飛び下がる。しかし突っ込んできた「日番谷」の勢いが勝った。
放たれた蹴りが、弓親の腹にまともに食い込む。弓親は、悲鳴も上げられず背後に吹っ飛んだ。

吹き飛んだ弓親を見やり、一角は信じられぬ、と風に引きつった笑みを浮かべる。
「……そんなに歯が丈夫とは知りませんでしたよ、『日番谷』隊長……かどうか、分かりませんけど」
「日番谷」が軽い足音と共に地を蹴るのと、一角が槍を手に突っ込むのは一緒だった。
肌がビリビリと震えるような裂帛の気合と同時に、「日番谷」に正面から穂先を突き出す。
「日番谷」は切っ先を下にしたまま、右に刀を払った。
紙一重で掠めた槍の穂先と、刀身がこすれあい、火花が飛び散る。

双方、引かない。「日番谷」が切っ先を上に斬り上げる。
「一角さん!」
見ていた恋次は思わず叫んだ。右腕と肩の部分の着物が裂け、血がにじむ。
「……効かねぇ!」
一角は顔をしかめながらもひるまず、更に前に出た。「日番谷」の肩を掴み、背後の岩に叩き付けた。
「日番谷」はわずかに眉間に皺を寄せたが、痛みを感じているようには見えない。

「捉えたらこっちのもんだ。大人しく……」
一角が「日番谷」を見下ろした瞬間、その肩を掴んだ一角の左腕が凍りついた。
「……霜天に座せ、氷輪丸」
解号と同時に、一角の全身があっという間に氷に覆われる。
「やめてください! 息が……」
恋次は思わず叫んで、駆け寄る。一角の表情が苦悶に歪んでいる。氷漬けにされては、息が出来るはずもなかった。

もはや、ためらっている猶予はない。恋次は心を決め、蛇尾丸を手に「日番谷」に突っ込んだ。
「何をしてるんですか、あんたは……」
あんたは、誰よりも仲間思いのはずじゃなかったのか。それなのに、なんでこんなことに。
理不尽な思いを、解号に込める。
「吼えろ、蛇尾丸!」
いくつもの節に分かれた巨大な蛇の頭が、「日番谷」に迫る。
振り向いた「日番谷」の反応は早かった。
「氷輪丸!」
水と氷で出来た巨大な龍が、その刃から噴出す。
次の瞬間、真っ向から蛇尾丸と氷輪丸が打ち合った。

「……蛇が龍に勝てるか」
粉々に砕け散ったのは、恋次の蛇。
氷輪丸がその鎌首をもたげ、恋次を狙う。刀を失った恋次は、ぎり、と唇をかみ締めた。
どうして、外見が日番谷と異なっているのかは分からない。
しかしソウル・ソサエティで、氷輪丸を使えるのは日番谷冬獅郎しかいない。

「……『日番谷』隊長」
恋次の呼びかけに、「日番谷」はようやくまともに、彼を見返してきた。
その紅蓮の瞳に、ぞっとする。
「なんでだ……一体、どうしちまったんスか!」
必死の恋次の問いかけに、日番谷は答えない。代わりに、ずい、と歩み寄った。
「『日番谷』隊長!」
ペッ、と口に入った血を、吐き捨てる。

と同時に、その姿が掻き消える。首をめぐらせた時には、その小柄な姿が恋次の懐に飛び込んでいた。
「うっ!」
右腕に衝撃が走るのと、ぼきっ、と嫌な音がするのは同時だった。
「日番谷」が目にも留まらぬ動きで繰り出した蹴りが、自分の腕を折ったのだと気づいたのは、激痛が腕を襲ってからだった。

「……つまらねぇ」
「日番谷」は、ずっとそのことを考えていて、突然思い出したように言った。
そして、倒れた弓親、氷の中でもがく一角、腕を押さえて飛び下がった恋次を順番に見やる。
「全然食いたりねぇ、お前らじゃ」
そう言って、氷輪丸を大きく振りかぶる。
一撃が、来る。恋次が逃げるか戦うかためらった時、「日番谷」が不意に顔を上げる。
刹那、巨大な斬撃がその場を切り裂いた。