「何を書いてたんだ?」
家の者が一礼して出て行った後、日番谷は身を伸ばすようにして白哉が書いていたものを覗き込んだ。
無言で白哉が示してみせたものに、野次馬達は一斉に吹いた。
『天賦の才』
そう黒々と書かれてる。
「さすが兄様……」
ルキアだけが目を輝かせていた。

「兄(けい)の部屋にもどうだ?」
「……いや。飾るとこ、ねぇし」
「にも」ということは、すでに白哉の部屋のどこかには、これが額入りで飾られているのだろうか。
常識的な観念は、日番谷のほうが世間にもまれた分、持っているらしい。
日番谷はわずかに顔をひきつらせて断ると、用意された座布団の上に座った。

「で? 折り入って話って何だ?」
「……兄に、頼みがある、と言ったら?」
「もちろん」
日番谷はこともなげにそれだけを言ったが、「もちろん引き受ける」という意味だろう。
野次馬達は、思わず顔を見合わせた。
藍染の反乱前は、こんな隊長同士のやり取りはありえなかったからだ。
卓越した力を持つがゆえに、同僚と力の貸し借りはしない。隊長たちは互いに孤高の存在だった。
しかし、力を合わせなければ勝てなかったあの反乱を越えて、隊長達の関係は変わってきているらしい。

「……しかし、あの白哉坊が頼みごととは。一体何事じゃろうな」
夜一が首をひねる。基本的におもしろがっているようだが、わずかに心配そうな色も見て取れた。
「白哉坊」は彼女が瀞霊廷にいたころ、特別に目をかけていた弟のようなものだったのだ。
プライドは瀞霊廷の死神のそれを全部足したよりも高い、この男のことだ。
いったいどんな大事件が起こったのか、気になるのも当然だった。
「……」
白哉は口を開きかけたが、やがて瞳を閉ざした。


……


五分後。
「……言う気になったら、呼んでくれ」
さすがに居心地が悪くなったのか、日番谷が肩を軽くまわすと立ち上がり、障子に手をかけた。
確かにこの空気では、肩も凝るだろう。
それが引き金になったかのように、白哉が身を起こす。
そして、絶句した日番谷をよそに、いきなり目の前で畳の上に両手をつき、頭を下げた。

「に……兄様?」
モニターの向こうでルキアが焦っている。
「ちょ……ちょっと、やめろよ」
珍しく日番谷もおろおろしながら振り返り、とっさにその場にしゃがみこんだ。
「聞いてくれるか、私の頼みを」
「聞くっつっただろ。でも、その頼みが何か分からねぇとどうしようもねぇよ。とにかく顔上げてくれ」
顔を上げた白哉と、畳に膝をついた日番谷の視線が同じ高さで合う。

美しい同僚愛。
そんな言葉が野次馬たちの中にほんわりと浮かんだ時、白哉が爆弾を落とした。
「伏して頼む。京楽春水を討ってくれ」


***


「……な……」
しばらくの沈黙の後、初めに声を上げたのは七緒だった。
「あの人、一体何をやらかしたんですか!」
なぜ京楽が討たれなければならないのか、でもなく、「何をやらかしたのか」と部下に言われる時点で、京楽の人柄がよく現れている。

「……京楽を?」
日番谷は気が抜けたような声で呟くと、やがてはーっ、と長い溜め息を漏らした。
どうやら七緒と似たようなことを考えたらしい。
「いいけど」
隊長同士の関係が深まったんじゃなかったのか、と突っ込みたくなるほど、日番谷はアッサリと頷いた。
「あいつのスカした面に一発入れるのは構わねぇよ。でも、何でだ? 理由くらいはいるだろ」
理由さえあればぶん殴っても構わない、とでも言いたそうな口ぶりである。

しばらく沈黙していた白哉は、やがて重い口を開いた。
「……ルキアを、護るためなのだ」
「……は?」
ルキアが大きく口を開けた。
「ちょっ、ちょっとあんた、何したのよ!」
「何もしてはおりません! 京楽隊長とは、随分話してもおりませんし……」
乱菊に肘の先で小突かれ、ルキアは困った顔をした。乱菊がじれったそうにモニターを見つめる。
「じゃあ、なんでアンタの名前が出てくるのよ?」

その副官の思いが通じたのではないだろうが、
「朽木が、なんだよ?」
日番谷が、乱菊が思ったとおりの質問を発した。白哉は、覚悟を決めたように重々しく頷いて、続けた。
「このままでは……ルキアは、嫁に行くかもしれぬのだ」
はぁぁぁ? と女性死神たちは、ルキアも含めて一斉に叫ぶ。
「ヨ……ヨメ? って、嫁か」
ふだん口にしない言葉だけに、漢字にするのに時間がかかったらしい。
日番谷はうっかりアメを飲み込んだような顔をした後、しごくまっとうな言葉を口にした。
「……それは、おめでとう」
ゴザイマス、と頭を下げようとしたとき、白哉が抜き放った小刀がヒュッ、と日番谷の頬を掠めた。
「ダメなのか? ダメなのかよ?」
「駄目に決まっている!」
「分かった! 分かったから、刀をおさめてくれ」
野次馬たちがプルプルと肩を震わせ、爆笑をこらえている中で、ルキアだけが顔を真っ赤にしている。
今にも、「どういうことですか、兄様!」と部屋に乱入しそうな顔をしていた。
今や野次馬どころか、話題の人になってしまったのだから当たり前だ。

白哉が刀を懐に納めるのを、日番谷は実に微妙な表情で見守っていた。
・朽木ルキアの嫁入りと、京楽を討つのに何の関係が……
・ていうか、それに俺が何の関係が……
明らかに、そう思っている顔だ。
それに、朽木白哉はどうしたって口数が少ない。
たった一言しか言っていないのに、全て説明したような顔をして日番谷を見返している。
ハァ? と何事もなかったかのようにスルーして退出する方法もあったのだろうが、土下座までされた以上、むげにはできないのが日番谷の性格だった。
野次馬達の大半が予想したとおり、日番谷は溜め息をつくと、再びその場に腰を下ろした。