家の者が茶を置いていったのを見計らったように、白哉は重い口を開いた。
「……先日の、月例懇親会の最中の話だ」
「あぁ。アンタと京楽は隣同士の席だったな」
ずっ、と茶をすすりながら、日番谷が返す。白哉は一瞬の間を空けて頷いた。
嫌だったのだろう、そうに違いない。
うわばみである京楽は、酔うと周りに酒を飲ませようとするわ、からんでくるわで面倒くさいのだ。

懇親会という名を借りた宴会を、日番谷も白哉もはっきり言って疎んじている。
しかし、隊長同士の親睦を深めようと、総隊長自らが言い出したのだからサボるわけにもいかなかった。

確かに前回の宴会の時、京楽と白哉が何か言葉を交わしていた気がするが――
日番谷はふと思い出して、顔を上げた。
「そういえば、途中でアンタ等、二人で出て行ったな」
「目ざといな」
「退屈だったんだよ」
日番谷は、よっぽど気を許した相手でなければ酒を口にしない。
総隊長の隣に座らされ、ひたすら飲まされそうになっていたところに、さりげなく間に入ったのが狛村だった。
「貴公に深酒はまだ早いな。儂の陰におるとよい」
狛村くらいの体格になれば、総隊長にいくら注がれようと、一升や二升の酒では回らない。
言い方は不本意だったが、狛村に言われると妙に言い返す気にもなれない。
ありがたく厚意を受けることにして、その場を観察していたのだ。

確かにその時、いきなり京楽と白哉が立ち上がって出て行ったから、記憶の端にとどめていた。
なにやら京楽がいつにも増して楽しそうで、白哉が逆に不機嫌そうだったような気がする。
「腹に据えかねたのだ。あの男が、突然ルキアに見合い話を持ってきたのだ」
なるほど、という顔を日番谷はした。やっと京楽とルキアのつながりが理解できた。


アジトの中では、女性死神たちが顔を見合わせていた。
「見合い話? 朽木あんた、聞いてた?」
「……いえ、全く」
ルキアは戸惑ったように首を振った。そういう話が好きな雛森が身を乗り出す。
「でも、結婚ってなんか素敵な響き! 朽木さん、興味ないの?」
「い、いえ。私はまだ、そういうのは……」
朽木家にすら、まだ完全に慣れたとは言えないのに。
また別の家に行って、家人達に受け入れられるように努力するのかといえば、それは途方もない労力に思えた。
それに……今のルキアは、もう少し兄のそばにいたかった。
朽木家にいれば、白哉の部下である恋次にもしょっちゅう会うことができるし。

白哉は京楽との会話の内容については言及しなかったが、その時二人の間で、
「そういえば、キミんとこのルキアちゃん元気?」
「……ああ」
「こないだチラッと見たけどお年頃だねぇ、綺麗になったもんだ。いつかの緋真さんみたいだね」
「兄には関係ない」
「おぉっと、怖いねぇ。やっぱり朽木家ともあろう大貴族なら、同じくらいの相手が必要だねぇ」
「何の相手だ」
「もちろん、結婚相手だよ! ちょうどいいお見合いの話が来てるんだけど、ルキアちゃんにどう?」
無言で立ち上がる朽木白哉。表に出ろ、とその表情が雄弁に物語っている。
……と、いうような。やり取りがあったのは、想像にかたくない。


「ルキアに見合いをさせたいなら、私の屍を乗り越えて行け、と私は京楽に言ったのだ」
「……んな、大げさな」
日番谷は、妹に過保護すぎる兄の話を聞いた男、が大抵見せるだろうと思われる、微妙な表情を浮かべた。
バリバリと頭を掻きながら、考える。
あの、コトの善悪よりも「いかに自分が楽しむか」しか考えない京楽のことである。
見合い話を持ってくるのは普通は親切だが、この白哉の反応を見るにつけ、面白がってやっているとしか思えなかった。

……と、そこまで考えてふと気づく。
「てことは、あんた負けたのか?」
「あんなものは勝負とは言わぬ!」
珍しく声を荒げた白哉に、日番谷は身を乗り出した。
「どんな勝負だったんだ?」
白哉の力は大体知っているが、京楽についてはまだ闇の中だ。
朽木白哉は強い。それを知っているだけに、彼を負かしたという京楽の力の内容には興味があった。
しかし白哉は、こほん、とわざとらしい咳払いで話をそらした。

「……とにかく。京楽が亡き者になれば、この見合い話はなくなるのだ」
「待て。京楽は別に、負けたら結婚させろとは言わなかったんだろ? 見合いを受けるだけだろ?」
さすがの京楽でも、本人の意思を脇に置いて結婚話を進めるような無体はしないだろう。
思ったとおり、白哉は頷いた。日番谷は拍子抜けしたように、前のめりになっていた体を元に戻した。
「じゃ、話だけは受ければいいじゃねぇか。嫌だったら本人が断るだろ」
「ルキアに聞かせる気はない」
「なんで」
「万が一にでも、そこから婚儀に発展せぬとも限らぬ」
それならそれで、めでたいことじゃないか。そう言ってはならないことを日番谷も学習している。

要は、朽木ルキアに結婚話を来たのを、何とかして阻止したいだけなのだ。
「朽木も大変だな……」
「全くだ」
アンタのことじゃねぇ妹のほうだ、と思わず突っ込みそうになる。
こんなの過保護というより、ただの兄貴のわがままという奴ではないだろうか。
日番谷はちら、と流魂街で暮らす妹のような少女のことを思い出す。
澪が成長しても、こんな兄馬鹿にはなりたくない、と肝に銘じながら白哉の顔を見返した。
「何か?」
「何でもねぇ」
ここで本音を言って朽木白哉と決闘するのはごめんだった。


京楽は、白哉にルキアの見合い話を持ちかけた。
白哉は、自分と戦って勝てば受ける、と請合った挙句、負けたらしい。
しかしどうしても阻止したい。そこで日番谷に白羽の矢が立った。
そこまで状況を整理して、日番谷は二つ目の自分の疑問を思い出した。

「で、なんで俺なんだ?」
自分が巻き込まれ型の運命じゃないとは言い切れない(むしろ、常に巻き込まれて迷惑をこうむっている)が、今回は特に関係ないだろう。
この朽木白哉を負かしたらしい京楽の力は、気になる。
だからといって、朽木ルキアの縁談を阻止するために自分が戦うのは、何か違う気がした。
「気が進まぬか」
「進む、進まねぇの問題じゃねぇよ。縁談は、当人同士で決めるべきことだろ? 第三者が入るべきじゃねぇよ」


「……つまらんが、もっともな台詞じゃのう」
夜一がふわぁ、と溜め息をつく。乱菊も隣で頷いた。
教科書で読んだような「清く正しい」理屈である。この小さな上司は、まだ本当の恋をしたことはないのかな、とふと思ってみる。
しかし考えてみれば、恋愛についてやけに生々しく語る日番谷、というのはあまり見たくない。


白哉は、日番谷の「早い話が断りたい」ニュアンスの言葉を聞いて、フッと微笑をもらした。
「それでは、兄はいっさい、手出しをせぬということか?」
日番谷が返事をする前に、白哉は本日二つ目の爆弾を落とした。
「……京楽が、ルキアの次は雛森副隊長に見合い話を持っていくと言っていたとしても?」
「京楽を叩ッ斬ればいいいんだな」
瞬間的に変わり身を果たした日番谷が、ぼそりと言う。
「そうしてもらえると話が早い」
二人とも無表情なのが非常に怖い。
考えてみれば、白哉のルキアへの思いと日番谷の雛森への思いは、どちらが重いとも分からない両天秤なのだった。


「ホラ雛森良かったな、おぬしにも話が来たようじゃぞ」
「どゆことかしら? 京楽隊長、朽木とか雛森に見合い話を持ってきて、あたしはスルー?」
「もう、適齢期を過ぎてるからじゃないですか?」
「七緒! 廊下に立ってなさい!」
好き放題言っている野次馬達の間で、
「とっ、止めなきゃ!」
真っ赤になった顔を突っ伏していた雛森が、いきなりガバと身を起こした。
そして、おろおろしていたルキアの腕を取る。
「朽木さん、行こ? あたしは日番谷くんを止めるから、朽木さんは朽木隊長を!」
「は、はい!」
ルキアが気おされたように頷き、一緒に立ち上がる。

確かに、あの状態の二人を止められるのはルキアと雛森しかいないだろう。
「止めないと、京楽隊長が危ないわ!」
雛森がそう言ったときだった。きりり、と七緒が背筋を伸ばす。
「京楽隊長へのお気遣いは、一切いりません!」
その断固とした口調に、その場の視線が彼女に集まる。

「で、でも! 京楽隊長に非はありません。それなのに日番谷隊長と兄様を敵に回すなど、あまりにも……」
「『非はない』ですって?」
ギラリ、と七緒の眼鏡のふちが光り、ひぃ、とルキアは息を飲む。
「非がないどころじゃないです! ルキアさんや雛森さんの見合い話を口にすれば、あのお二人がどれほど気分を害されるか知りながら、やっているんですあの人は!
悪気の塊、諸悪の根源はあの人です!」
「……で、あんたは諸悪の根源の部下よね」
「とにかく!」
七緒は乱菊の突っ込みをサラッと無視すると、モニターをにらみつけた。
「一切、京楽隊長への思いやりは無用です。まさか、本気で斬りあうことはないでしょうから。ちょっとくらい、痛い目に遭えばいいんです」
こっわぁ、と乱菊が口の中でつぶやき、肩をすくめる。
七緒は肩を怒らせ、モニターを見やったが……その中で続いていた会話に、目を見張った。