「何? 京楽は今からここに来んのか?」
部屋の中では、日番谷が刀を手に立ち上がっていた。白哉が頷いた。
「そうだ。見合いの書類を持ってな」
「……初めから計画済かよ」
「悪く思うな。さすがに往来で隊長格が刀を抜くわけにはいかぬ。ここでなら自由だ」
「まぁ、いいさ。俺も京楽とは戦ってみたい」
それは、見合い話が云々とは別に、日番谷が前から抱いていた感情だった。
自分より何百年も隊長としての経験が長く、強いだろうに実力をおくびにも出さない。
一度、その仮面をはがしてみたいと思っていたのは事実。

―― 最も、俺の力はこんな所で使うには向いてねぇが……
日番谷が、斬魂刀「氷輪丸」に目をやった時だった。二人は同時に顔を見合わせる。
「来たか」
白哉が立ち上がった。ほどなく、廊下を歩み寄ってくる足音が聞こえ、障子の前で止まった。
「白哉様。京楽隊長がお見えになりました」
「この部屋の前の、庭園に案内を」
「はい」
静かに下がっていく足音を聞きながら、日番谷は庭園に続く障子を引き開ける。
縁側の向こうに、見事な日本庭園が広がっていた。
枯山水が一筋の乱れもなく弧を描き、年輪を重ねた松や竹などの木、岩が見事に配置されている。
「……ここで、戦えと?」
「他に場所はない。破壊されても構わぬ。すぐ直る」
「……」
直るんじゃない、誰かが苦労して直すんだろうに。あっさりと言う白哉に、日番谷は若干くらりとした。


「庭じゃ、庭を映せ!」
「客間に設置されているカメラは、リモコンで角度を変えられたはずです! 少々お待ちを」
女性死神たちがテレビと格闘するうち、不意に映っている景色が客間から庭へと変わった。
庭にたたずむ京楽の姿を見て、七緒がハァ、とため息を漏らした。

京楽春水は、酔っ払っていた。
それはもう、遠目からでも疑いようがないほどに、千鳥足だった。
酒には強いが顔に出るタイプらしく、わずかに上気した顔は明らかに上機嫌である。
枯山水の間を縫うように続く道を歩いてくる伊達男は様になっていたが、この足取りではぶち壊しである。
いつものように、死覇装と隊首羽織の上に、女物の赤地の着物をまとっている。
「……アレと、戦えってか」
頭から氷輪丸の氷でも浴びせるべきかもしれない。日番谷は一瞬でうんざりし始めていた。

京楽は、手にした風呂敷包み(中には見合いの書類が入っているに違いない)を振りながら、庭を横切って二人のいる縁側まで歩いてきた。
「おー、朽木隊長! 持って来たよ書類! ……あれ、日番谷くんどうしたんだい?」
どうしたもこうしたもないお前のせいだ、と怒鳴りそうになるのを、こらえる。
京楽は酔眼を白哉から日番谷に移し、うんうんと何度か頷いた。
「なるほどぉ。雛森くんにも紹介してってことかな?」
ブチッ、と日番谷の中の血管が切れた音を、見守っていた乱菊は聞こえる気がした。
的確すぎるほどに的確に、相手の血管を切る男、京楽春水。間違っても友達になりたくない。


白哉が京楽と対峙し、口を開く。
「確かに、私は先日、兄に敗北を喫した。負ければ、ルキアの見合いを受けるとも言った。
しかし……もう一度、相手を変えて勝負する気はないか? 京楽隊長」
ほ? という顔をした京楽の前に、ズイと日番谷が歩み寄る。それを見て、京楽は納得したように頷いた。
「なるほど、それで君の出番かい。ホントーーに君、いろんなところに駆り出されるねぇ」
「ロクでもねぇ同僚が大勢いらっしゃるからな」
その嫌味の矛先は京楽だけではなく白哉にも十分向けられていたようだったが、白哉は聞こえなかったかのように流す。

「ま、いーよぉ。たまには若いモンと遊ぶのも、悪くないしね」
京楽と日番谷が刀の柄に手をやるのは、同時だった。
鞘擦れの音と共に、ためらわず抜き放つ。
それを見ていた七緒が、え、と息を飲む。確かに、これほどまであっさりと刀を向け合う事態は、野次馬達には予想外だった。


日番谷がふわりと宙を舞い、庭園の中央に位置するひときわ大きな岩の上に飛び降りた。
京楽が振り返り、白哉は縁側の前で腕を組んで二人を見守っている。
白い枯山水の上に、三人の影が長く黒く伸びている。
その場に急に満ち始めた緊張感がうつったかのように、アジトの中もいつしか静まり返っていた。

「どちらが有利でしょうか……」
ごくり、とルキアが唾を飲み込んだ。同じように真剣な目をしていた乱菊が、モニターから目をそらすと、肩をすくめる。
「そりゃ、ウチの隊長でしょ。京楽隊長より努力してるし、その上天才だもの」
「しかし、この場所では氷輪丸の力は使いづらいでしょう」
ルキアは抜き身の氷輪丸を引っさげた日番谷を見つめる。同じ氷雪系の力を持つだけに、いかにその力を局所的に抑えるのが難しいかは、よく分かっていた。
ルキアですらそうなのだから、氷雪系最強である日番谷ならなおさら苦労するだろう。
普通なら、彼が力を使うたびに周辺は三里までは氷漬けになるのだと聞いたことがあった。
「……京楽隊長だって」
七緒のつぶやきに、一同の視線が集まる。見られているのにも気づかないように、モニターを見つめていた。


京楽は無造作に、「花天狂骨」を右手にだらりと提げ、日番谷に向かって数歩、歩み寄った。
「……花天狂骨」
あっさりと始解する。さすがに日番谷の表情が緊張した。
日番谷にとって、京楽の力は未知数。どんな技を放ってくるのか見当もつかなかった。
合わせるように氷輪丸を抜き放ったが、始解はしなかった。

「君は子供だから、適任だと思ったのかもしれないけどねぇ」
京楽は不意にそう言うと、ちらと白哉を見やった。
「何の話だ。俺はガキじゃねぇ」
日番谷の声が剣呑に尖る。「子供」という言葉は、日番谷にしてみれば地雷だった。
京楽みたいな男に言われると、なおさら腹が立つ。
「子供じゃないの。死神の、長い長い寿命の中で相対的に見ればね。君と同い年くらいの子は、まだみんな遊びに忙しい頃だ」
それは、客観的に見れば事実ではある。日番谷はぐっと詰まったが、その分不機嫌そうに京楽をにらみつけた。
「何が言いてえんだ?」

「いやあ、別に。でも君はもう大人に混じって大人以上に働いてるからねぇ。他の隊長に比べて、一日の長はないのかな」
まるで子供であるほうが得だとでも言いたそうな口ぶりだが、意味が分からない。
しかし、日番谷を思い切りイラッとさせる効果は十分だった。
「もう斬っていいか?」
「……。影鬼」
「かげおに?」
日番谷が聞き返した先で、京楽の姿がふっ……と、フェイドアウトした。
突然消える瞬歩とは明らかに違う。まるで姿が薄くなり、背景に溶けてなくなったかのようだった。

「……?」
日番谷は周囲を見回す。辺りは平和に静まり返り、チュンチュン……と雀が囀り飛んでゆく。
京楽の霊圧も、一切感じない。
「……なんだアイツ、どこに」
日番谷が中途半端に刀を下ろした時だった。
「……危ないよ、後ろ」
息がかかるほどに近く、耳元で京楽の声が聞こえた。
「な……」
とっさに振り返った眼前に迫った、ギラリと輝くものが何なのか、一瞬分からなかった。
背後から突き出された刃だ、と気づく前に、本能的に体をひねっていた。
銀色の髪がパッと宙に散り、日番谷はかろうじて背後に逃れた。

「ど、どうなってんだ……?」
日番谷の声が、揺れる。その場所から、長く日番谷の影が伸びていた。
その影から、まるでぬるりと「生える」ように、京楽が姿を見せていた。
その膝から下の部分は、影に溶け込んだように、見えない。
「どうって……影鬼だよ」
「影鬼はこんな遊びじゃねぇぞ!」
影鬼と言うよりも、お化け屋敷と言ったほうが正しいような不気味さだ。

「影鬼ってのは……影を踏まれたら負けだろ」
「基本的にはそうだね。ただし踏まれたら、今みたいに後ろから刀が飛んで来るから気をつけてね。僕達自身も、影を通して移動が可能だ」
日番谷の顔が引きつる。さっきの攻撃は、京楽自身に声をかけられなければ、絶対にかわせないほどのスピードだった。
「僕達……? 力を使えるのは、あんただけじゃねぇのか?」
「鋭いね、その通りだ。君が僕の影を踏めば、攻撃されるのは僕の方だよ。やってみるかい?」

―― そんな力、アリかよ……
日番谷は心中ぼやく。力というよりも、ルールを強いる斬魂刀をいうものを始めて見た。
しかも、刀の持ち主までも傷つけかねないとは。ただし、完全に斬魂刀を支配化に置いているらしい京楽のことだ、自分の刀に斬られない自信はあるだろう。

「悪いな。ガキの遊びはキライなんだ」
そもそも、相手のルールに従うなんて気に食わない。
「……霜天に座せ、氷輪丸」
力を抑えて始解する。そして、氷輪丸の切っ先を空へと突き上げた。
「天相従臨!」
途端に周囲から雲が湧き出し、異常なスピードで太陽を覆ってゆく。真冬に逆戻りしたように、冷たい風が吹き出した。

あらぁ、と京楽が残念そうな声を漏らした。日番谷が下に目をやる。
「その技には決定的な弱点がある。……影が出来る場所でしか使えねぇ。曇りじゃ無理だな」
「そりゃそうだけど。……そこまでムキにならなくてもさぁ」
「うるせぇ。あんなふざけた技で斬られるのはゴメンだ」
しかし、と日番谷はふと考える。技が「影鬼」ひとつだけということが、ありえるだろうか。

「嶄鬼」
果たして、京楽はそう言った。
たかおに。その響きに気づくのと、京楽が中空へと舞い上がるのは同時だった。
高鬼は、相手よりも低いところにいれば負け。高いところにいれば勝ち。
ハッ、と周囲を見渡すと同時に、下から突き上げてきた漆黒の刃を、かわす。
「そういうことだよ!」
京楽が楽しげに上空で声をかけてくるのを、憎憎しげに見上げた。
どうやっても、自分を遊びに巻き込みたいらしい。
「やってられっか」
日番谷は口の中でつぶやく。何が悲しくて、あんなオッサンと鬼ごっこなんてやらなければならないのか。
瞬歩でフッ、と姿を消した。


「あれ? 日番谷くん? どこに――」
言いかけた京楽が言葉を止める。肩がいきなりズンと重くなり、前につんのめる。
女物の着物をまとった京楽の肩に、日番谷が着地していた。
がっし、とその長い髪のかんざしが刺さった辺りを右手で掴む。
「俺の方が高い」
日番谷が京楽を見下ろす。互いに本気ではないにしろ、隊長の肩に気づかれないうちに飛び乗るのは至難の業のはずだった。

「っとぉ!」
声を上げた京楽が、自分にむかって下から突き出されてきた刃をかわす。
「俺より高い場所に行かなきゃ、刺されるんじゃねぇのか?」
日番谷をふるい落とさない限り、京楽に勝ち目はない。しかし次々と突き上げてくる刃の前に、かわす以外の余裕もそうそうあるはずがなかった。
「ヒッドイなぁ、誰だこんな技考えたの」
「お前だろ。負けたって言え!」
一人の肩に一人が乗っているのだ、傍から見たら遊んでいるようにしか見えないが、当人達は本気である。

その時、日番谷の耳に唐突に空気を裂く音が響き渡った。
―― 刃!
気づくと同時に、瞬歩で京楽の肩の上から姿を消す。
「っつ……」
突き上げてきた刃をなんとかかわしたものの、その頬に鋭い痛みが走っていた。かすり傷だが、血が頬を流れ落ちるのを感じる。

―― どういうことだ?
自分は、京楽よりも上にいたはず。それなのに、なぜ自分も襲われるのか。
そう思った時、
「きゃははは! たかおにー!!」
上空から声が聞こえた。
見上げれば、見慣れたピンク頭の小さな死神が、はるか高いところに見えた。
いったいどこから出てきて、どうやってあんな高いところまで行ったのか一切不明である。
といっても、その姿はぐんぐんと大きくなっている。かなりの勢いで落下しているのだ。

「草鹿! お前……どこから沸いて出た!」
「だって! 楽しそうなんだもん、あたしも入れて!」
草鹿やちるとしゃべっていても時間の無駄だ。日番谷は京楽に向き直る。
「おい! その馬鹿刀のルールには、一対一はねぇのかよ?」
「ないねぇ。圏内に入ってきた者を取り込むんだけど、広さも毎回、まちまちだしねぇ」
「えらそうに言ってる場合か!」
思わず日番谷は叫んだ。

やちるはどんどん落下しているが、自分よりも下まで落ちた段階で、斬られる。
繰り出される刃のスピードは、自分ですらギリギリで避けられるほど鋭い。やちるではとてもかわせないだろう。
やちるはそんな日番谷の心配を理解するはずもなく、腹が立つほど楽しそうだ。
ちらり、と日番谷は白哉のほうを見下ろした。彼は一番下にいるにもかかわらず、刃に襲われていない、とうことは、あの場所は「圏外」か。
「草鹿! 朽木隊長が金平糖を持ってるぞ!」
口からでまかせ。しかしやちるは、人を疑うということを知らない少女である。
「ほんと? やったー!!」
遊びよりも金平糖のほうが地位が上だったか、横っ飛びにすっ飛んだやちるが白哉の元へと向かう。
「……金平糖なら台所だ」
淡々とかわした白哉の声に、歓声を上げて台所へ駆け込んでいくやちるを見て、日番谷は胸をなでおろした。