ある秋の、昼下がり。
夕暮れになると木枯しが吹き抜けるが、午後の陽だまりはあたたかい。
こんな時に仕事なんかするやつは、よっぽど「ヒマ」なのだとこの男は思っている。
実際、彼は今忙しいのだ。木陰にごろりと寝転がることに。
瀞霊廷のような都会じみたところは、この男には肩がこってしょうがないのだ。
こんな荒れ果てた流魂街の片隅のほうが、よほど性にあっている。

「だから?」
うるせぇ奴だなコイツは。更木はそう思いながら、自分を見下ろしてくる翡翠の瞳を見上げた。
「それが、てめぇが十一番隊の業務をサボって、こんなトコで光合成してやがる理由になんのか?」
もぞもぞ、と更木の体の陰で小さな体が動く。目をこすりながら現れたのは、桜色の髪を持つ小さな副隊長、草鹿やちるだった。
日番谷を見るなり、ぱーっと顔を輝かせる。
「わー、ひっつんだー!!」
飛びついてきたやちるを、日番谷はひょい、と片腕で受け止めた。仏頂面だが、満面の笑みを向けるやちるを振り払いはしない。
「コーゴーセーってなに?」
「光合成ってのはな」
この少年は生意気だが、根っから真面目なのだと思う。説明しだした日番谷を、更木は大欠伸で遮った。
「何だっていいだろそんなモン。そんなの喋りに、こんな流魂街の外れまで来たのか?」
「馬鹿野郎。俺は仕事だ」
日番谷は言葉を切ると、ぐるりと周囲を見渡した。その瞳が、にわかに鋭さを浴びる。更木はようやく上半身を起した。


「……虚か?」
「あぁ。俺の部下を3人、食いやがった」
許せねぇ。そう呟いた日番谷の腕に力がこもり、抱きかかえたやちるが顔をしかめる。
「……っ、悪ぃ」
かがみこんでやちるを解放した日番谷の横顔はやさしく、まるで兄のようだ。
更木には、部下を失って悔しいとか、哀しいという気持ちは分からぬ。戦い抜いて死んだなら、うらやましいと思うくらいだ。
しかし、刃を渡る光のような一瞬の間に、日番谷が見せた殺気だけは理解できる。更木の本能がざわり……と蠢いた。
「だから、てめぇ自らこんなトコまで乗りこんできたってことか?」
この少年とは、水と油ほど性格は違う。しかし、一隊を預かる隊長でありながら、仲間を殺されて黙って見過ごすほど醒めてはいない、その激情は嫌いではなかった。
「当然だ……」
日番谷がそういいかけた時だった。突然感じた虚の気配に、更木と日番谷が同時に斬魂刀の柄に手をやった。
一拍空けて、地面の下から突き上げるような衝撃がやってきた。


地震のように地が割け、岩がはじけ飛ぶ。更木はとっさに、やちるのいる方向に手を伸ばし、小さな背中を引っつかむと肩に引き上げた。
そして、飛んできた岩を蹴り、一気に宙へと飛び上がる。さっきまで寝ていたとは思えぬ、俊敏な動きだった。
ニヤリと笑いたくなるほど強い虚の霊圧が、地下から噴き出してくる。
地面の割れ目から更木の腕くらいはある触手が飛び出し、鞭のようにしなりながら襲い掛かってきた。
「なんだぁ? でかい図体しやがって、遠距離戦とは情けねえな」
手にした斬魂刀で触手をなぎ払おうと、刀を振りかぶった時だった。
「きゃははは!!」
振り下ろしかけた刀が、途中で止まる。更木がたった今斬ろうとした触手の先には、やちるがぐるぐる巻きに捕らえられているではないか。
コトの重大さも気づかず笑顔のやちるを見送って、更木は柄にもなくぽかんと目を見開いた。
「……はっ?」
そんな、はずはない。それなら、今肩の上に乗っかっている確かな重みは何なんだ。自分の肩を振り返った更木の目の前で、銀髪が鈍く光った。

「……」
無理やり肩に引っ張り上げられ、もがいている日番谷と、更木の視線が至近距離でぶつかった。
「てめ、俺と草鹿をどうやったら間違えんだ!!」
「似たような大きさだろうが!!」
思ったまま放った一言は、それでも日番谷のプライドを痛く傷つけたようだった。
気を取り直した更木が斬魂刀を引き抜いた時はすでに遅かった。その触手が更木の足に巻きつき、締め上げる。
とてつもない力で全身が引っ張られ、漆黒の地面の割れ目へ、引きこまれる。
「おい、更木!」
「このまま行くぜ!」
日番谷の叫びを遮るように、更木が怒鳴った。
「およ?」
触手に捉えられたやちるが、地底に引きずり込まれるのが日番谷の視界に映り、事態を見て取った日番谷は舌を打つ。
三人が引きずりこまれようとしている地底には、光も届かぬ闇がわだかまっていた。



更木が、自分の足元に巻きついた触手を切り払い、地下に降り立った。
上空を見上げると同時に、自分達がたった今落ちてきた地上の割れ目が、ゆっくりと閉ざされるのが分かった。
最後の光が閉ざされた地底は、墨の中にでもいるような真っ暗闇に沈んだ。
「イヤな闇だな」
肩の上がふっと軽くなり、同時に日番谷が地面に飛び降りる。
「こう真っ暗闇じゃしょうがねぇな……赤火砲!」
間髪いれず唱える。力を抑えて上に放てば、照明にもなる鬼道である。しかし、一秒……五秒たっても、何も現れない。
「おい、ナニやってんだガキ大将」
鬼道は日番谷にとっては十八番だということは、更木だって知っている。
鬼道など男の戦法ではないと言いながらも、その力には一目置いているほどに。

日番谷は一瞬黙り込んだが、すぐに声を上げる。
「……まさか、このあたりの石!」
「なんだってんだ?」
明らかに狼狽した声音に、更木が眉を顰める。その気配で、日番谷が地面に膝をつき、岩に掌をかざしたのが分かった。
「間違いねぇ、天井から床まで全部殺気石でできてる。鬼道も斬魂刀の力も一切ダメだ」
殺気石といえば、全ての霊圧を無効化する、死神にとっては最も厄介な効果を持つ天然石の一種である。
特に日番谷のように鬼道系の斬魂刀を持つ死神にとっては、文字通り死活問題に直結する。


「……また、エサが来たようだな」
日番谷と更木は、同時に顔を上げ、声が聞こえて来たほうを見やった。日番谷は舌打ちをしながら、考えをめぐらせた。
―― 厄介だな……
それが虚だということは分かる。しかし、霊圧を一切殺された闇の中では、一体何体いるものか想像もつかなかった。
ただ、ひたひたと迫る足音から、十体や二十体ではないことは分かった。
「こないだの三匹から間がないねぇ。次から次へと懲りねぇ奴らだ」
別の声が聞こえ、爪で固い地面を鳴らす音がする。日番谷はぎり、と唇を噛んだ。
やられた部下の三人は、全員鬼道の達人だった。なぜだと思いはしても、よくもという思いが先に立ち、事前調査はしなかったのだ。
しかし、それを今更後悔しても遅かった。

「けっ!!」
もはや足音を隠すこともせず、二人のほうへ歩み寄る虚の気配に、更木が唾を吐いた。
「この体がありゃ戦える。ナニを心配してんだ」
日番谷は、チラリ、と背後の更木を見やった。更木は、元々鬼道も使えず、斬魂刀に至っては始解さえしていない。
たしかに、殺気石があろうがあるまいが、全く変わらずに戦えるだろう。……しかし、日番谷にとっては、全く状況が違う。
日番谷はそこまで考えると同時に、背負った刀を引き抜いた。そして、電光石火の勢いで更木に向って刀を振り下ろした。


「てめぇ何してやがる!」
更木が思わず声を上げる。日番谷の刃は、二人の間……更木の直前の地面を割っていた。
霊圧が一切殺されているといってもその刃の威力はすさまじく、地面が耳を劈く音とともに、割れる。
更木の立っている岩が背後に大きく崩れ、そのまま日番谷と虚の群れを残し、闇の中へゆっくりと飲まれていく。
「ここは俺が食い止める」
加速度的に離れていく地面の向こうで、日番谷がきっぱりと言い放つ声が聞こえた。
全く視界は利かないが、一人凛と立つその小さな背中が見えたような気がした。
「てめーは死ぬぜ?」
更木の問いかけに、日番谷は間髪入れず返した。
「足手まといになるのはゴメンだ。早く草鹿を助けてやれ」
自分を一瞬で切り捨てることにもなる、一言だった。日番谷は更木の返事を待つことなく、虚に向き直る。


―― どこまでやれるか?
日番谷は刀の切っ先を虚たちに向けた。鬼道や斬魂刀の力に頼り、腕力や体力といった「地の力」をつけるのを、確かに怠っていた。
その代償を、こんな形で払わされるとは、と心中苦笑いする。
斬魂刀か鬼道かどちらかでも使えれば、こんな虚の群れに苦戦はしない。
しかし、剣術と体術だけでこの暗闇のなか虚を裁ききるのは、生半のことではない。
そうは思ったが、最後まで諦める気はなかった。

「まずは一匹!」
楽しげな虚の叫びに、日番谷は顔を上げる。そのときには既に、虚の爪先が日番谷の頭上に迫っていた。
かすかな風切音だけを頼りに、その一撃をかわす。銀髪が闇の中に散った。
「な……」
なに、と虚が息を飲む。日番谷は、最小限の動きで攻撃を交わすと、その爪を右手でしっかりと掴み受け止めていた。
側面も鋭く研ぎ澄まされた爪を掴んで、日番谷とて無傷ではすまない。
流れる血をものともせずぐいと爪を引き寄せると、左手に握った刀を虚の頭に突き込んだ。

魂切るような悲鳴を共に、虚が倒れる。息つく暇もなく、次の一匹が脇腹に向って食いついてくる。
かろうじて避けたが、死覇装が裂けた感触と共にジワリと熱い痛みが広がる。
一匹目の頭から引き抜いた刃で、次の一撃を受け止めた、と思った時、背中が岩壁にぶつかった。そのまま、押し込まれる。
「くそっ……」
思わず、唇を噛む。背中に触れるだけで、その岩は確実に日番谷の体力を奪ってゆく。額に冷たい汗が流れ落ちた。

「一気に畳み込め!」
渾身の力で牙を跳ね除けた日番谷に、虚たちの群れが殺到する。
その場の全ての虚が八つ裂きにされる日番谷を想像したとき、先頭を切った虚の体が、びくりと止まった。
「……あ?」
刃を構えた日番谷の前で、今正に刃ごとかぶりつこうとしていた虚が動きを止める。
ガチガチとその場で牙をかみ合わせるが、紙一重で日番谷には届かない。
―― なんだ?
顔を上げた日番谷は、その途端ゾクリ、と全身を駆け抜けた殺気に、全身を強張らせた。


「……たく。筆よりも重いもん持ったことあんのかよ、てめぇは」
闇よりも深く、虚の背後に突如として現れた人物。
虚の首筋をひっつかみ、その動きを止めた男は、この期に及んでニヤリと笑ったようだった。
「……てめーが十番隊に仕事、押しつけるからだろうが」
「け。口だけは回りやがる」
更木はそう返すと、詰まらなさげに、首筋を捉えた虚を開放した。
いきなり束縛を解かれた虚は、まるで鉄砲玉のような勢いで日番谷のほうに飛び出す。
「てめ、更木!」
「正面から突け!」
いきなり放すな、日番谷が怒鳴るよりも先に、さらに大きな更木の叫びが闇を劈いた。
日番谷はとっさに、言われたとおりに刀を正面から突き出す。その切っ先は、断末魔を上げる隙もなく、虚の頭をまっすぐに刺し貫いた。
頬をぬらす血の感触に、日番谷は歯を食いしばり、刃を引き抜いた。

「……楽しませてくれよ」
顔を上げるより先に、背後に一歩下がった更木の背中に、強か鼻をぶっつけた。
「何を……!」
岩と更木の巨体に挟まれて、身動きが取れない。日番谷が声を上げると同時に、更木の背中の筋肉が躍動し、刀を振るったのだと分かった。
更木は手にした刀を思い切り、地面に突き立てる。その衝撃で地面が捲くれ上がり、虚たちが上空へ飛び上がるのが分かった。
それと同時に、更木がその巨体が嘘のような軽い動きで跳躍する。わずかに闇に慣れた瞳に、更木が大きく刀を空中で一閃させるのが見えた。
その一振りの衝撃波で、数十体の虚がなぎ倒されるのに、日番谷は不覚にも見蕩れた。



十分後。掌と脇腹の傷の痛みを感じるほど、日番谷は平静を取り戻していた。
黒い塊のように見える更木に、ひょこひょこと脇腹を庇いながら、歩み寄る。
「せめててめぇだけは食らってやる!!」
ハッ、と振り返った時、日番谷は自分に襲い掛かった虚の、炯炯と輝く瞳だけを見た。そして次の瞬間、その瞳の色が掻き消される。
断末魔の悲鳴が、後を追うように尾を引いた。
更木が投げつけた刃の切っ先が、あやまたず虚の眉間を貫いていた。
日番谷の鼻先を通り過ぎ突き立った刃が、ビィィィン、と音を立てて振動する。

「呆れた、もんだな……」
地響きを立ててその虚が倒れた後、日番谷は周囲を見渡した。
自分達以外に、生きているものの気配は感じない。地面は流れる血にぬめぬめと滑り、至るところに黒い塊にしか見えない虚の死体が転がっていた。
「霊圧も分からねーくせに、何で闇で位置が分かるんだ?」
日番谷の問いに、刀を虚の死体から引き抜いた更木はハッと乾いた笑いを漏らす。
「霊圧なんぞあろうがなかろうが、『そいつは確かにそこにいる』。いるなら殺せんだろ、違うか?」
愉悦を前面に押し出しながら、更木は続けた。
「死んだらつまらねーぜ? もう戦えねぇからな。てめーに教えてやるよ、戦いの楽しさってやつを」