「久徳(きゅうとく)三席、いるか」 ひょい、と窓から執務室に飛び込むと、久徳玲一郎は驚きもせずに振り返り、同時に立ち上がった。 机の上には、今まで読んでいたと思われる書類が、きちんと取りまとめてあった。 副隊長の松本とのあまりの違いに、思わず感動し、同時にがっかりする。 ていうか、松本がひどすぎるだけか。 「隊長、いかがされました? お体はもう、よろしいのですか」 撫でつけられた短い髪には、白髪がずいぶん混ざっている。 誰に対しても人当たりのいい穏やかな気質で、十番隊の生き字引と言っていいほどに隊暦が長い。 俺にとって……いや、十番隊全体にとっても、欠かすことのできない存在だった。 「お座りください。何かお飲みになりますか」 貴族だからか、年を重ねているからか、恐ろしく物腰が柔らかだ。 「あぁ……ちょっと、聞きたいことがあっただけだ」 「そのために、四番隊を無理に退院してきたのですか?」 笑顔でサラッと言い放たれ、俺は顔を引きつらせる。 「……もう、バレてんのか」 「隊長の退院が三日後なのは、十番隊の誰もが当然知っています。 松本副隊長が、泣きそうな顔で隊長を探されていましたよ。見つければすぐに連絡するよう、わたくしも指示を受けています」 「……松本に通報するか?」 「いたしません。何か、理由がおありなのでしょう?」 湯気の立つ、色の明るい茶を机の前に出しながら、柔和な笑みを浮かべた。ふわりと、いい香りが漂う。 紅茶というのだ、と聞いたことはある。 現世で飲むそれはあまり好きじゃなかったが、久徳が淹れるものだけは、気に入っていた。 「……俺の前に隊長だった奴について、教えて欲しいんだ」 俺がそう切り出すと、久徳は思ったとおり、目を見開いた。 だが、どうしてなのだと聞いてくることはしなかった。 「……先代のことでよろしいですか? 今より百二十年前に命を落とされた」 「先代は、藍染と二人で流魂街へ遠征に出かけた。そして命を落としてる。そう聞いたが、間違いないか」 補足するように返すと、しばらくの沈黙の後、ゆっくりと頷いた。 「あんたはその頃、副隊長だったんだよな」 「ええ」 頷くのを確認して、続けた。 「そいつの経歴と、あと……分かってる範囲で、亡くなった時の経緯を知りたいんだ」 百二十年経ってもなお、鮮やかに思い出すものがあるのだろうか。 久徳のまなざしがいつになく重く沈んだが、すぐに我に返ったように、話し出した。 「先代は、日番谷隊長と同じ、流魂街の出身です」 「……もしかして、東二番区の、方丈の出身か?」 「ええ、そうです。苗字はそこから取られたのですな。 相手が死神でも人間でも、流魂街の魂でも、平等に優しく接する、明るい気質の方でした。 流魂街で人々と交わり、季節のささやかな移り変わりに意識を留めるのが、おそらく戦いよりはお好きだったのでしょう。 しかし隊長となってからは、『死神』という職業に、強く誇りを持っておられました。 弱きに心を砕き、強きには毅然と対応するその姿は、あなたと重なるところも多いのです、日番谷隊長」 「……強かったのか? そいつ」 わざと答えずに、話を先に進める。 この男は、こっちが照れるようなことをサラッという癖があるからな。 「ええ。特に対破面に対して、他の追随を許さない力をお持ちでした。 断固として倒すだけではなく、破面たちの魂を浄化し、転生の輪に戻す努力も、されていらっしゃいました。 どんな魂も消滅させず、次代へつなげるのが死神の仕事だと……。 百二十年前、王属特務への栄転のお話が出た時も、死神として命を全うしたい、という理由で、断られたそうです」 「……そうか」 俺は、紅茶を口に運びながら、瞑目した。 なんとなく、そいつの姿が目に浮かぶような気がしていた。 聞く前から、予想はついていたんだ。 十番隊は、強きにへつらわず、弱きに優しく、誇り高い気質をよく称えられる。 俺のおかげだ、と言う者も多いが、そんなことはねぇ。 俺が隊長に就任したとき既に、その気質は息づいていたんだ。 死してずい分の時が経ってもいまだ、隊士たちに染みついたその文化に、元隊長は優れた奴だったんだろうなと、想像したのを覚えている。 「……でも、先代は死んだ」 俺が事実を端的に口にすると、久徳は束の間の無言の後、静かに頷いた。 「当時六席だった藍染と、遠征に出かけたその後だ。一体何があったんだ」 「……分かりません。死体は見つからず……わたくしたち死体を弔うことも、できなかったのです。藍染も口を閉ざしていた」 「待て。じゃあ、先代が死んだってのは、藍染がそう言っただけかよ?」 「いえ」 そんなん信用できるか、と続けようとした俺を、久徳はさえぎった。 「藍染が持ち帰ったのは、浅打が一振り。そこには間違いなく、先代の霊圧が残っていた。先代の斬魂刀に違いありません」 「……」 これには、俺も黙らざるを得なかった。 斬魂刀とは、持ち主である死神と命を共にする。 斬魂刀が浅打に戻るのは、死神が命を全うした時だけだ。 「……なるほど」 しばらくの沈黙の後、俺は頷いた。 「日番谷隊長?」 「涅のところで見た資料と合わせりゃ、大体のことは分かった」 何か言いたそうな顔をした久徳をよそに、立ち上がる。 「ひとつ頼みがある。先代の遺した斬魂刀は、今手元にあるか?」 「ええ。わたくしが保存しています」 「貸してくれ」 そんなもん何に使うんだ、と聞きたいことは一杯あっただろうが、久徳はすぐに斬魂刀を出してくれた。 「隊長、どちらへ」 「ちょっと、確かめたいことがあるだけだ」 来た時と同じように窓から外に出ようとした俺を、久徳の苦しげな声が呼び止めた。 「日番谷隊長」 俺は動きを止め、振り返った。 目の前にいたのは、紳士然としたいつもの三席ではなかった。 「わたくしは、その浅打を見るたび、己の副隊長としての無力を噛み締めてきました。 その一方で、もう亡くなられたのだと、自分を納得させてもきたのです。 まさか――万が一にでも、どこかで生きている、そして苦しまれているのかもしれないと思えば、あの一番辛い日々、自分を保つことはできなかったでしょう」 「久徳三席、あんたは――」 「隊長。先代は、亡くなられているのですね?」 短いやり取りで、敏感に何かを感じ取ったのだろう。 その目に、必死の色が浮かんでいる。 弱い、そう思う。 確かに、大切な人間が苦しみながら生きているかもしれない、という予想の元で生きるより、 いっそ死んだと思ったほうが諦めもつくし、気持ちも鎮まる。 でもそれは自分本位の考え方だと言ってしまえば、それも、その通りだ。 でも俺は、この男が普段どれほど強く、冷静沈着な男なのかを知っている。 その男をこれほどまでに苦しませる、先代という人物のことを思った。 手にした浅打が、ずっしりと重い。 「何言ってんだ。生きてるはずがねぇ。それは、あんたのほうが詳しいはずだろ」 俺は久徳の視線をまっすぐに受け止め、そう言った。 「すぐに戻る」 それだけ言い置いて、何か続けそうになった久徳をさえぎるように、その場を後にした。
シレッと出してますが、「久徳三席」は捏造キャラクターです。