長い……長い、夢を見ていたような気がする。
ひどく幸福なようでもあり、懐に鉛をかかえているように重苦しいようでもあった。
まどろみの中で、スタークがいるはずの隣に手を伸ばす。
指が冷たいシーツをすべり、空を切ったところで、わたしは目を覚ました。

「……スターク?」
外から差し込む、午後も過ぎた光が、シーツに陰影を作っていた。
スタークがいた部分に触れても、彼の体温はかすかにも伝わってこなかった。
「いない……」
気配を探して、耳を澄ます。でも分かったのは、この建物には誰もいないということだった。
このどこまでも続く砂漠の中、生きているのは自分だけのような孤独感が襲ってくる。
「寂しい」なんて生やさしいものじゃなく、恐怖を感じた。ひとりきりだということに。
おかしいな、と思う。
少し前までは、あれほど大勢の人がいる都会にいても、わたしはひとりだと思ってた。
でもなぜか、スタークしかいないこの場所にいて、わたしは孤独ではなかった。
ひとりになってはじめて、そのことに気づいた。

彼を失うんだろうな、と分かっていた。
昨日の夜、覆いかぶさってきた時のスタークが、本当に悲しそうな顔をしていたから。
「最後まで、うそをつくのね」
気づけば、微笑んでいた。
最初についたささやかな嘘を、最後まで突き通そうとするなんて、男としてはなかなかのもの。
唯一の穴は、わたしがその嘘にはじめから気づいていたことね。
初めて会った日のことを覚えていない、なんて。
嘘でしょう?

だからって、スタークを責める気には、到底なれなかった。
わたしだって、彼に嘘をついていた。
「語らない真実」は、わざと口にしないなら、嘘になりえると思うから。
わたしが、彼に真実を語ることはない、決してない。
それなのにそれを思うたび、何度でもわたしは苦しくなる。


深くしまいこんであった、スタークに会った日に来ていた服に、着替える。
膝上のコットンワンピースに、穿き古したジーンズ。
こっちに来てゆったりした服ばかり着ていたせいか、体を締めつけるように窮屈だった。

お湯を沸かし、紅茶を入れる。
ふわり、といい香りが漂う。
スタークも、お前の淹れる紅茶はうまい、とよく言ってくれていた。
紅茶の淹れ方は、大昔にとある男に教わったことがあるから、それなりに自信がある。
あの人が教えてくれた方法で淹れたお茶を、破面がおいしいって言うなんて、考えてみれば面白いものね。

お茶の葉がお湯の中で泳ぐのを眺めながら、わたしは終焉の時を待っていた。
スタークが、わたしを現世に戻すために、帰ってくる時を。

どれくらいの時が流れただろうか。
砂を蹴る足音に、わたしはハッと顔を上げた。
スタークじゃない。すぐに気づく。
スタークは、あんな風に砂を蹴散らすような歩き方はしない。
そもそも、足音がひとりのものじゃない。ふたりだ、と見当をつける。

「誰?」
足音が近づき、部屋の中に長く影が差したとき、わたしは立ち上がった。
その時には、窓の向こうに立つ、一組の男女と目が合っていた。
黒髪で色が白く、痩せた男と、
翠の髪と瞳をもつ、女にしては背が高いすらりとした女。

わたしの視線は、男が担いだ、三日月形の巨大な鎌に注がれていた。
本能的に後ずさったわたしを見て、男が吐き捨てる。爬虫類のような目をした男だ。
「なんだ。あいつが隠したがってるくらいだからどんなモンかと思えば、クズみてぇな人間じゃねぇか」
女のほうは、対照的にため息をついた。そして、わたしを見つめると問いかけてきた。
「あの男……スターク、という破面はどこ?」
「いないわ。目が覚めたらいなかったの」
「どこへ行ったの?」
「それは……」
「てめぇ、あいつを庇おうったって無駄だぞ!」
「……庇う?」
わたしは、会話に割り込んできた男を見返した。
「じゃあ、スタークを傷つけに来たのね」
「てめぇ。いくら平和ボケした人間だからって、コレを見て分からねぇか?」
ギラリ、と男がかざした刃が、日光に反射して輝く。

あぁ、そうか。わたしは、目を閉じる。
スタークは、脅されていたんだ。昨夜様子がおかしかった彼の行動が、理解できた。
きっと……わたしを傷つけさせないために、ここから立ち去らせるつもりなんだろう。
そして彼は、そのために、何かを引き換えにしている。
―― 「よぅ、考えてな。また来るで」
あの銀髪の男が、そっとスタークに囁いた言葉が、胸によみがえった。

「―― スタークは、もう戻らないわ。どこにいるかも、知っている」
不意に口に出した言葉に視線が集まるのを感じながら、わたしは言い切った。
「でも、あなた達には教えない」
途端に、ヒュッ、と音が響き、わたしはとっさに目を閉じた。
「フザけんなよ。殺すぞ、てめぇ」
目を開けると、驚くくらいの至近距離に、男の爬虫類めいた目があった。
突きつけられた鎌の切っ先が、わたしの首にわずかに当たっている。
熱い痛みと共に、液体が喉を滑り落ちるのが分かった。

「殺しては駄目よ、ノイトラ。人質にすれば、彼をおびき出せるかもしれない」
「まさか」
わたしは、口の中で小さく笑って見せた。
「人質になったわたしを救いに来てくれるような男だったら、ここに置いていったりしないわ」
「じゃあ、こいつの口を割らせるしかねぇってことだ」
ニヤリ、とノイトラと呼ばれた男が笑う。
かかった、とわたしは思う。でも、女の人の顔を見て、ちらりと考えを変える。
納得がいかないように、眉を顰めている。
「そんな……はずはないわ。あの男はあの時――」
「ごちゃごちゃ何言ってやがる、ネリエル!」
ノイトラの野卑な声がわたしをさえぎり、わたしは正直ほっとした。
「スタークは逃げた。残された女は行き場所を知ってる。吐かせる以外に何するってんだ!」

わたしは、ゆっくりと後ずさる。首に触れると、ぬるりとした液体の感触があった。
不思議なくらい、痛みは感じなかった。
後ろ手にドアが触れた瞬間、わたしはドアを開け、一気に廊下に飛び出した。