砂を眼下にのぞみながら、俺は虚圏の上空を一心に駆けていた。
どこまでも続く砂漠のせいで、進んでも進んでも、全く動いていないような錯覚に囚われそうになる。
嫌な、予感がしていた。
近づくにつれて、その予感が確信に近いものに変わってゆく。
「レン……!」
今レンの周囲に感じるのは、明らかにあの二人の破面のもの。
探す相手なんていないのをいいことに、霊圧探査の力を鍛えるのをサボッていたのが恨めしい。
ぼんやりと、家の周辺にいるとしか感じ取れず、位置が特定できなかった。

「ちくしょう……」
唇を噛み締める。どうしてあの時、あの男を殺しておかなかったんだ。
あの男がレンを見たら、ただの人間だろうが無力だろうがかまわず、殺しを楽しむだろうことは、容易に想像がついたのに。


家を視界におさめた時、その建物がとりあえず原型を保っていることにホッとした。
そしてすぐに、建物の中へと走りこむ。
寝室に飛び込むと、レンが抜け出した形にまくられている布団のあとが目に入る。
ここにはいねぇ。
次に、キッチンに駆けつける。
白いテーブルの上に、淹れかけのティーポットがぽつんと置かれていた。
茶葉はまだ沈んだままで、湯は濃すぎる色に染まっている。
だが、1時間も2時間も放置していたわけじゃねぇ。

「どこだ……」
我ながら滑稽なほど、焦りが滲んだ声だった。身を翻そうとした、その刹那。
銀色の輝きが、首元に突きつけられた。
「ちっ!」
俺がウカツだったのか、相手が凄腕なのか、全く気配を感じさせなかった。
とっさに身を引いた俺の背中が、壁に突き当たる。
斜め45度。下から突きつけられた刀の先を、俺の視線が辿った。

「……子供?」
俺に刀を突きつけていたのは、黒衣に対照的な銀髪、翡翠の瞳をもつ少年だった。
逆立てられた銀色の髪が、午後の陽光に輝いている。
自分の身長の3分の2くらいはありそうな長刀を、軽々と片手で扱っている。
いずれにせよ、ただの子供じゃねぇ。
もう片方の手には、古びた刀を持っていた。

「俺はガキじゃねぇ」
刀がじり、と近づけられるが、すぐに攻撃してくる気配はない。
「じゃ、死神崩れかよ。こんな虚圏に何しに来た」
「死神だ。『崩れ』じゃねぇ。……お前、まさかここで『死神崩れ』と接触したのか?」
少年の声音が、はっきりと分かるほどに険を帯びた。
そりゃそうだろうよ、あんな奴らを虚圏に排出しちまったのは、こいつら死神だからな。
こっちとしては文句のひとつでもくれてやりたいが、認めるとややこしいことになりそうだ。
「いや、まさか」
俺は肩をすくめて嘘をつく。
そして話題を変えることにした。大体、こんなことやってる場合じゃねぇんだ。

「ンなことはいい。ここに女がいただろ。どこ行った」
「……知らねぇよ」
答えるまでに一拍の間があったのが気になったが、この少年はきっとシロだ、と思う。
俺は右手を上げると、ハッと警戒した少年を無視して、手の甲でぺたぺたと刀身を叩いた。
「不法侵入」
「は?」
「人の家に勝手に入っておいて、そして刀を突きつけて。おまけに土足だ。
死神の学校じゃ、よそ様の家に入るときには、ちゃんと挨拶くらいしろって教えてねぇのか」
「……バカにしてんのか、てめぇ」
「きわめて一般的な常識を口にしてるだけさ」

頼むから襲いかかってくるなよ、という気持ちだった。
別に、子供だから傷つけたくないなんて、人間じみた殊勝なことを思ってるわけじゃねぇ。
だいたい、見た目と年齢が確実につりあうのは、人間だけだからな。
レンもどこにいるか分からないこの状態で、さらに面倒ごとを背負い込むのはごめんだった。

「……」
少年はしばらく不機嫌そうに無言だったが、無造作に刀を引いた。鞘に納めることはせず、片手にだらりと下げたままの物騒な姿だ。
解放された俺は、パキパキと肩を鳴らすと少年を見下ろした。
「お構いできなくてすまねぇが、女を探してる。俺は行くぜ」
「その女ってのは、何者だ?」
鋭く問い返され、俺はしばらく黙り込んだ。
「おい、なんで黙る」
「何者なのか、俺が知りてぇくらいだ」
まあ人間だろう、くらいしか知らずに知り合った。そして今は、それすらもよく分からないと来てる。

少年は、わずかに表情を険しくした。
「……もしかしたら、俺が知ってるかもしれねぇ」
「あ? 一体……」
「まだ分からねぇ。けど」
少年が何か話し続けている。でも、俺はそれを聞き続けることができなかった。
―― コロセ。
まったく他人の声が、頭の中で鐘が鳴るように響き渡っていたからだ。
それはなんの前兆もないことだった。

どくん、と胸が高鳴った。嫌な汗が額に浮き出る。
―― コロセ。
誰の声なのか、初めは分からなかった。淡白で、それでいて狂気をはらんだ男の声。
「藍染……」
「何?」
俺の声に、少年の声が跳ね上がる。
「おい、今なんて」
「来るな!」
突然発した俺の大声に、少年はその場にぴたりと足を止めた。
まるでヤク中の禁断症状でも見てるみたいに、その表情が強張る。
ふらり、と体がよろめいた。強い眩暈が襲ってくる。

―― 「力を与えた主である私の命令に逆らうことはできなくなる」
あの男は、確かにあの時、そう言った。
それはこういうことなのか、と思っても、文字通り後の祭りだった。
まるで耳元で囁かれているように、藍染の声が聞こえる。
―― 殺せ。その死神を、殺せ……
勝手に、右手が動く。腰の刀に柄に手をかけるのを見て、少年が跳び下がる。

「……困ったね、ドーモ。自分で自分の体がコントロールできねぇのは、変な感じだ」
「どういう……」
とっとと、逃げちまえばいいのに。本当に困った、と思った時には、俺は刀を引き抜き、一足飛びで少年に向かって斬り下ろしていた。

ガッ、と音を立て、少年が左手に持った古びた斬魂刀で、俺の刀を払う。
俺が視線を奪われた瞬間に刀を投げ捨て、自分の斬魂刀に手を掛けていた。