あぁ、確かに名探偵にはなれないな。ぼんやりとした頭で、冬獅郎が言ったことを反芻した。
すべての推測と、目の前の事実が指し示す事実はひとつしかないのに、
そんなはずはないっていうあたし自身の願いが、それを邪魔している。

冬獅郎は、この期に及んで静かな目をしていた。
まるでいつもみたいに、ばったり一兄の部屋で顔を合わせたような、そんな自然な表情。
それが更に、あたしの中での違和感を掻きたてる。
冗談だろ、なにやってんだって、笑い飛ばしてみたくても……冗談じゃない、んだな。
ごくり、とあたしは唾を飲み込んだ。

次の言葉を口にするには、ひどく勇気がいった。
「……冬獅郎が、霊障を起こしてたのか? 全部、あんたの仕業……なの?」
「そうだ」
膝から力が、抜けていきそうだった。

「そんな……そんなはずないよ! 犯人を見つけろって言ったじゃないか、そしたら死神になるのを認めるって言ったじゃないか! あれは全部嘘だったのかよ!
それに、あんたに絽夏ちゃんの親を恨む理由なんてない、そうだろ!?」
ありったけの理由を、冬獅郎にむかって叩きつける。そうしないと、本当にへたり込んでしまいそうだった。


「夏梨ちゃん、どういうこと……? 誰と話してるの、犯人が、見えるの?」
絽夏ちゃんの声に、残っている理性を総動員させる。すっかり、隣にいる絽夏ちゃんの存在を忘れてた。
あたしが答える前に、冬獅郎は右腕を伸ばし、横に振るような仕草をして見せた。
それと同時に、背後の風景が透けていた冬獅郎の体が、くっきりする。
「……! あなた、誰? 幽霊、なの?」
びくっ、と絽夏ちゃんの全身が揺れる。

冬獅郎は、軽く肩をすくめた。
「幽霊か。そう外れてもねぇな」
ごくり、と絽夏ちゃんが唾を飲み込むのが見えた。
当然、おびえてるはずだ。でも、ずっと目に見えない相手と対峙し続けてたせいか、取り乱したりはしなかった。
突然、その目が見開かれる。
「……あなた、『白変種』ね。その子と同じ」
視線は冬獅郎と、腕に抱かれた白い犬に向けられていた。

「白変種……冬獅郎が?」
思わず、つぶやいてた。
確かに、変わった髪や目の色だと初対面のときは思ったけど、二度、三度と会ううちに気にも留めなくなっていたことだった。
「だからなの? だから……この子たちが殺されたのが、許せなかったの?」
絽夏ちゃんの声が、広い空間の中での声みたいに、頭に響く。ひとことひとことが、ショックだった。
知らないよ。そんなストーリーは、あたしは知らない。
よろめいたあたしに気づくことなく、絽夏ちゃんは続けた。
「……あなたも、辛い思いをしたことがあるの?」

違う、違う違う。
冬獅郎は、そんなんじゃない。
苛められるような弱者じゃないし、他人に八つ当たりなんてするわけない。
強くて、頭もよくて、気性もまっすぐで、嫌味なくらい完璧な奴なんだ。
「冬獅郎……」
あたしの声は、泣きそうになっていた、自覚があった。
どうして、何も言わないんだよ?



「……お前のせいじゃねぇよ、冬獅郎」
落ち着いた声がその場に通ったのは、そのときだった。あたしは反射的に振り返る。
「一兄!」
一兄が、犬舎へと降りる入り口のところに立って、腕組みをして冬獅郎を見つめてた。
やっぱり、全部気づいてたんだ。その驚いてない表情を見て、思う。

一兄は、あんまり一兄らしくない、感情をおさえた声で続けた。
「……お前は、嘘つくような奴じゃねぇ。でも、この家のところどころにある消えない氷からは、そういうの鈍い俺でも、お前の霊圧を感じた。
だから思ったんだ。お前は、ここの霊障を起こしている張本人には違いねぇ。でも、それをお前自身が、気づいてないんじゃないかって」
「……だから、『俺にしかできないことがある』って、車谷に伝えさせたのか。……確かに、俺が張本人なら、俺にしか止められねぇからな」
自嘲気味に、冬獅郎は口元をゆがめて続ける。
「惜しかったな。ひとつ、基本的なことを教えてやるよ。自分の霊圧は、自分で感知できねぇんだ。
自分の体臭が自分で分からねぇみたいにな。気づいたのは昨夜、俺に同行した狛村だった」

あいつは来る前から、何か分かってたのかな。そう一人ごちた冬獅郎も、分かったような顔した一兄も、黙って会話に耳を澄ませているらしい絽夏ちゃんも、何一つあたしには理解できなかった。
「わかんないよ! 全然、わかんない!」
苛立ちのまま叫んだあたしの声に、その場の視線が集まる。
思い切り地面にこぶしを叩きつけたけど、地面はただ、へこんだだけだった。

「霊障が始まったのは、あたしがあんたに、このことを話す前からだ! 知りもしない相手を、どうして呪えるんだよ?」
「知りもしない相手、じゃない」
冬獅郎はあっさりと、あたしの言葉を否定した。
「五匹の殺された子犬は、お前に話を聞く一週間前から、俺が瀞霊廷で預かってる」
え、と絽夏ちゃんが声を上げる。
不思議だよな。冬獅郎が、自嘲気味に続ける。

「命の価値は同じだろ? それなのにただ『違う』ってだけで、どうして差別されなきゃいけないんだ。なぜだ?
ましてや、殺されなきゃいけないなんて」
その声に、はっきりと怒りがこもっているのを、あたしは確かに聞いた。
「……冬獅郎。それは、誰の話なんだ」
返した一兄の声は、どこかさびしそうに聞こえた。

「誰の話でもねぇよ」
冬獅郎は応じる。
「集団の中でただ一人白い髪と肌で、目は青緑で。その上、異常に強い力を持ってて。氷みたいだって忌み嫌われてた、どっかのガキの話だ」
「……冬獅郎」
冬獅郎の顔を、見られなかった。
昨日の会話を、思い出していたんだ。
あたしは、避けられて、傷つけられて、殺される危険にいる弱者の気持ちなんて、冬獅郎に分かる訳ないって言った。
珍しく苛ついたあいつの態度を見て、いぶかしく思ってた。
本当に、名探偵なんてなれない。なんてあたしは、バカなことを言ったんだろう。


一兄は、冬獅郎をじっと見つめたままだった。
「こいつらの運命に、自分を重ねなかったとは、言えねぇ。現に、こいつらが殺されるところを、俺は自分が殺されるイメージと重ねて夢に見たんだ。
俺は、隊長になった今でも、自分で自分の力を制御しきれねぇ。無意識の怒りが、この家を霊障として何度も襲った。
俺のせいじゃねぇ、ってお前は言ったけど、逆だ。俺のせいでしかない」
「お前のせいじゃねぇよ。ただ、運が悪かっただけだ」
「同情か?」
「違う!」
二人の会話に、口を挟めない。ぴんと張り詰めた静寂という糸が、二人をつないでるみたいだった。
「冬獅郎……すまねぇ」
やがて、一兄が糸の片方に呼びかけた。
「思い出したくもねぇことをお前の口から語らせた。お前ひとりで収められればと思ったけど、結局裏目にでちまったみたいだな。
ただ、霊障は止めてくれ。この事態に、心を痛めねぇお前じゃねぇだろ?」


……冬獅郎は、無言だった。
その視線が、家の中に向けられている。つられて視線をやった時、廊下からバタバタと足音が聞こえた。
「あなた、ちょっと待っ……」
「奥さん、起きたら駄目だ!」
絽夏ちゃんのお母さんの声、そしてしかりつけたのは親父の声だ。
その二つの声を掻き消すように、酔っ払いみたいな足音がどんどん近づいてきた。

ガラッ! と音を立てて、扉が全開に開かれる。
そこに立っていたのは予想したとおり、絽夏ちゃんの父親だった。
「! お父さん、大丈夫……」
「その犬の仕業か!!」
その叫び声を聞くまでもなく、正気じゃないっていうことが分かった。
目は血走ってるし、パジャマははだけてる。全身が、ガタガタ震えてた。
犬たちが、一斉にうなりだす。冬獅郎は、と思ってみると、子犬を抱いたまま、無言でその場に立っていた。

立てかけられていたモップをつかむと、柄を白い子犬に向け、父親が歩き出す。
「犬の分際で……不良品の分際で……人間を呪おうなどと……」
ブツブツ言う言葉は、もう途中から聞き取れなかった。
木でできた柄で傷つけられるほど、冬獅郎はヤワじゃない。
でもあたしはとっさに前へ出て、冬獅郎! と叫んだ。
それにかぶせるように、一兄も叫んだ。
「冬獅郎、よせ!」

ヒュン、と風が鋭く鳴る。
振り返った先に、あの三十センチはある氷柱が何本も見えた。
すべて、切っ先は父親に向けられている。弾丸のように飛ぶそれの、先端がギラリと光った。
あんなものが突き刺さったら死ぬ。一瞬で背中が粟立った。
「冬し……」

ヒッ、と父親が全身を強張らせ、絽夏ちゃんが悲鳴を上げ、あたしは呼ぶことしかできなかった、その一瞬。
間一髪、父親と氷柱の間に飛び込んだのは、一兄だった。
素手で、氷柱を叩き落す。氷のかけらが、陽光にキラキラと輝いた。

ダン、と足で氷のかけらを踏みつけ、一兄は断固とした足取りで冬獅郎の前に出た。
あと一歩歩み寄れば、ぶつかる。その距離で、二人は視線を合わせた。
「やめろ、冬獅郎」
その声は、苦しそうだった。
「やめないなら、俺はお前と戦わなきゃいけなくなる」
「……お前は、ひとつ勘違いをしてる」
冬獅郎は、ぽつりとそう言った。あれほどのことをしたのに、その声音に力はなく……むしろ、弱弱しく聞こえた。
「頭で止めようと思って止められるなら、初めからやってねぇ」
止められないんだ。
そう続けた声に、一兄は何か返そうとしたみたいだった。
みたいだった、というのは、その前に地面が激しく揺れだしたからだ。

これも、霊障なのか?
立ってられないくらいの揺れの中で、道路の電線がまったく揺れてないのに動揺する。
もともと危なっかしかった父親がまず倒れ、絽夏ちゃんが次に倒れた。
あたしも、地面に手を突かないととてもじゃないけど体を支えられない。
「くそっ!」
一兄が、最後に膝をついた。

冬獅郎は、そんな揺れの中でただ一人、何事もなかったように立っていた。
そっと、子犬をセシルの隣におろす。くるりと、そのまま背を向けた。

どうしてだろう。
その瞬間、このまま行かせてしまったら、二度と冬獅郎に会えない気がした。
「冬獅郎!」
地を蹴ったとたん、揺れに足をとられて前に倒れる。
「行け、夏梨! 今のあいつを一人にすんな!」
「でも、どうしたら……」
「お前なら分かるだろ、夏梨! あれは冬獅郎なんだぞ!」
一兄の言葉は、ハッとあたしを我に返らせるには十分だった。
そうだ。どんな過去があろうが、今どんなに異常な状況を引き起こしていようが。
あれは、冬獅郎なんだ。

あたしは今回、いっぱい間違えてしまったけど……
次だけは、間違えるわけにはいかないんだ。
あたしは、転んだときにすりむいた膝を押さえると、揺れをこらえて走り出した。