立ってられないほど揺れ続ける家から道路へ転がり出て、その場でたたらを踏む。
自転車に乗ったおじさんが、あたしを不審そうに見ながら通り過ぎていくのを、ぽかんとして見つめた。
道路は全っ然揺れてない? でも、この家だけ揺れてたから、それはそれで目立つはずなのに。
振り返ってみて、ぎょっとする。
「揺れてない……」
やっと、これが霊障だってことを思い出す。
外側からも、中で何が起きてるか全く分からないなんて、念が入ってる。

「っ、冬獅郎!」
慌てて周囲を見渡す。
すると、背中を向けてまっすぐに歩いていく冬獅郎の姿が、遠くに見えた。
黒い着物を着ている姿に、向こうの風景が透けて見える。ということは、今の冬獅郎の姿は、普通の人間には見えていないんだろう。
その姿は、角を曲がってふっと見えなくなってしまう。あたしはその後を走って追いかけた。

冬獅郎の足取りは、いつもと同じように大股で迷いがない。
でもよく見ると、その肩のあたりが強張っていて、力が入っているのが分かる。
冬獅郎も、自分が引き起こしていて、しかも自分でもどうしようもない事態に、動揺しているんだ。
あいつ自身が昨日言ったように、あの状態がずっと続けば、絽夏ちゃんの両親はもたない。
例えあの二人にどれほどの非があろうと、それを無視するような奴とは、とうてい思えない……
―― 「どんな理由でも、誰かを苦しめるなんて許されない」
あいつは確かに、そう言ったんだから。


***

「京楽さん……」
走り出しながら思い出していたのは、瀞霊廷で交わした、京楽さんとの会話だった。
「日番谷くんと君は、一緒には、行けないよ。これからすぐに、道は分かたれる」
京楽さんはあの時、あたしに向かってそう言ったんだ。冬獅郎は手続きに行ってくる、と言い残したきり、その場からはいなくなっていて、あたしたちは二人きりだった。
「だから、君たちはこの件が片付いたら、二度と会うべきじゃない。僕の言ってることが分かるね」
厳しい声音だった。でも、その口調から、冬獅郎のことをどれだけ心配してるかが伝わってきたから、あたしは何もいえなかった。

京楽さんの言うことは、よく分かった。
死神と人間は、違うから。生きる長さも、生きる場所も違ってる。初めからわかってたことだ。
このまま無理をし続けたら、辛い思いをするのはあたしだけじゃない、冬獅郎だって同じだ。
いつものあたしなら、頭で理解できることには従う。でも。
「……夏梨ちゃん」
京楽さんの声は、悲しげに聞こえた。
あたしはただ、何度も横に首を振ることしかできなかった。

「あたしは、一緒に行きたいよ」
ワガママを言ってるのは、分かってる。だから、京楽さんの目を見ることはできなかった。
「それしか方法がないなら……あたしは、死神になる」
「その危険を、分かって言っているのかい?」
「冬獅郎のために、あたしも何かしたいんだ」
意を決して見上げても、編笠の向こうの表情はうかがえない。
このまま、何もできないまま、会えなくなるのは嫌だった。
「ただ一人のために、死神になる。それが動機として正しいと思っているのかい?」
「一兄だって、そうだったんでしょ?」
そう切り返すと、京楽さんはしばらく黙り……そして、気持いいくらいの大声で笑い出した。

「さすが兄妹だ、そういえばそうだったね。止めても無駄だって言いたいのなら、一護くんを例えにだしたのは正解だね」
そう言って、京楽さんはあたしの前に屈みこむ。底光りのする目が、あたしを正面から見つめた。
「でも……その上で、共にゆける道が見つけ出せなかったなら、君は日番谷くんと共にいるべきじゃないよ。いいね」
あたしは数秒ためらったけど、拒絶を許すような表情じゃなかった。あたしは、諦めて頷く。
すると、京楽さんは、どこか優しい声になって続けた。
「ただし。力になるって言うのは、一緒に虚を倒すとか、そういうことじゃ、ないかもしれないけどね」
そう言って、どっこいしょと立ち上がる。すぐに背中を向けてしまった。
「ど、どういう意味?」
例えばさ、と京楽さんは言って、後姿のまま、片手を中空にさし伸ばして見せた。
「手を差し伸べてみればいい。日番谷くんはああ見えて、照れ屋さんだからね。
ずっと待ってるのかもしれないよ? 自分に手を差し伸べてくれる『誰か』を」

***


ぎり、とこぶしを握り締めた。
やっぱり、どうしようもないのか。
あたしには、どうしたらいいのか全く分からないよ。弱気な考えが、どうしても頭をよぎってしまう。

すぐ背後に近づいたあたしの気配に気づいてるはずだけど、冬獅郎は背中を向けたままだった。
呼びかけようとして、あたしは言葉を切る。
小声で、何か話してる……よく見れば、右耳に携帯電話みたいなものを押し当ててる。
「……あぁ。霊障が……。そう、早く空座町に来いと、担当の車谷に伝えてくれ。大至急で……」
切れ切れに聞こえてくる内容から、冬獅郎が瀞霊廷に電話をかけてるのが分かった。
霊障のことを報告して、助力を得ようとしてる……? でも、一体どうするつもりだろう。

携帯の電源をピッと切って懐に仕舞った冬獅郎は、鋭く振り返った。
その瞳の強さにあたしは一瞬かける言葉を失ったけど、ぐい、と睨み返す。
「……一体、どうするつもりなの? 瀞霊廷なんかに電話してさ」
そんなことしても話が大きくなるだけなのに、イヤな予感がする。
腹が立つほど平然としているあいつを、見返した。
「俺は、自分で霊障を止められねぇ。それでも止めるには、霊圧を封じるほかない。霊圧を封じる方法は一つしかない……瀞霊壁を持つ牢に幽閉されることだ」
「自分から、捕まる気かよ!」
「昨夜、言ったはずだ。『犯人は、断罪されるべき。それが全てだ』と」
「あれは、自分のことだったのか!」
ぞくっとするほどに冷たい声音を思い出す。そうだ、と淡々と頷く冬獅郎を見て、なんで、と思わず口について出ていた。
「なんで? あんた、どうして自分に対して、そこまで冷たくなれるんだよ」
「どうだっていいだろ」
どうだっていい? あたしは、思わず冬獅郎の顔をまじまじと見返していた。
投げやりなようでもなく、あくまで淡々と。あたしは、会話を交わす時に度々感じていた違和感の正体を、その時やっと、理解した。

「あんたは、自分のことがキライなんだ。だから力が暴走してるんじゃないの?
力は内側から出てくるものなのに、内側の気持ちをあんた自身が無視してるからだ」
冬獅郎の瞳が、スッと細くなる。
「……てめぇに、何がわかる」
「わからないよ。あたしはあんたじゃないもん」
冬獅郎が触れられたくない何かに、手を伸ばしてる。それをギュッと握り締めるつもりで、にらみ返す。
「でも、あんたに近づくために今、がんばってる」
「死神になって、かよ?」
話にならない、て風に冬獅郎は吐き捨てようとした。
「そうだよ」
あたしは、うなずく。
冬獅郎にも、わからないだろうね。
あんたと一緒にいられなくなる、もう一つの約束を京楽さんとしているあたしが、どんな気持ちでそれを口にしてきたか。
「あたしは、絶対に折れないよ。だから、あんたが何を思ってるのか教えて」

冬獅郎とあたしの意地が、ぶつかり合う。
長い、長い沈黙があった。
「……分かってるさ」
やがて、うつむいていた冬獅郎の口から、ぽろりと言葉が漏れ出した。
ずっと喉元までこみ上げていたものが不意に転げ落ちるみたいな、あっけなさだった。
「分かってるんだ。あの二人を苦しめたところで、何にもならないと」
うん、とあたしは頷く。
そして、冬獅郎が着物の胸の辺りを、ぎゅっと握り締めるのを見守った。
うつむいた冬獅郎の表情は、あたしの位置からは分からない。
「でも、この胸の奥で誰かが言うんだ。こんなことは許せない、絶対に許せないって」

顔を上げたあいつの表情、その翡翠の瞳のもつ色の暗さに、あたしは思わず絶句する。
踏ん張ってたのになお、気圧された。
冬獅郎はそんなあたしを見ると、不意に背中を向けた。
その肩がこれ以上の会話を拒むようで、それでもあたしは手を伸ばす。

「何なんだ、お前はっ!」

その瞬間、電流が流れたみたいに冬獅郎の全身が強張って、あいつは反射的に振り返った。
一瞬、誰がわめいたのか分からなかった。あたしは、中途半端に伸ばしかけた手をそのままに、凍りつく。
そんなあたしを見返した冬獅郎は、途方にくれたような顔で、何なんだよ、ともう一度力なく呟いた。

「なんで、お前は俺に近づこうとする? 何が目的だ!」
「目的……?」
「俺が隊長だからか? 死神だからか。俺といることに、お前になんの利益があるんだよ?」
「利益……て。なんだよ、それ」
あたしは、絶句するしかなかった。
「そん……なの、考えたことねぇよ。理由なんて、ねぇよ」
「嘘だ」
たどたどしいあたしの反撃は、ばっさりと斬り捨てられる。

目の前にいるのは、あたしが知っている、日番谷冬獅郎じゃなかった。
いや、きっと、隊長とか、死神ですらなかったんだと思う。
そこには、心ない言葉や仕打ちに心を痛め、誰も信じられずに、裏腹な言葉で相手を試すことしかできない、小さな子供しかいなかった。
日番谷くんは、誰かが手を差し伸べてくれるのを、待っているんだ。京楽さんの声が、頭の中に響く。

「……すまねぇ。何言ってんだ、俺は」
あたしが絶句したままでいると、少し我に返ったらしい冬獅郎が、自嘲気味に謝った。
「俺は、周りにいる奴を無差別に傷つける、最低の奴なんだ。隊長になってコントロール力は鍛えたが、それよりも力が上がるスピードの方が早かった。
暴れ馬みてぇな自分の力を、俺は全然コントロールできてねぇ……分かってたつもりだった」
「……冬獅郎」
「お前といると、忘れそうになることもあったけど、このままじゃ、」
ぎゅ、と両方の拳を握って、冬獅郎は告げた。
「俺は、いつかお前も傷つける。……傷つけたくないんだ」
だから、近づかないでくれ。そう言ったあいつを、あたしはまじまじと見詰め返すことしかできなかった。

そうか。
あたしは、冬獅郎と一緒にいたいから、死神になりたいんだって言い続けてきた。
だから反対されるたびに、あたしとは一緒にいたくないのかって、傷ついてきた。
でも、そうじゃなかったんだ。
冬獅郎は、あたしが死神になりたいと言うたびに、怖かったのかもしれない。
相手かまわず周りに害をなす自分の力が、いつかあたしをも襲うんじゃないかって。

冷静な自分と、混乱する自分の間で揺れながら、それでもあいつは、あたしを心配してくれてるのか。

ふと気づけば、冬獅郎が首を傾げてこちらを見てた。その輪郭が、ぼやけてる。
しばらくして、ぽつりと問いかけてきた。
「なんで、お前が泣いてんだ・・・・・・?」