泣いたら周りに迷惑をかける。それだけはしないって、母さんが死んだ後に自分と約束したはずなのに、一度流れ出した涙は、止まってくれなかった。
「……すまない」
冬獅郎は、そんなあたしにたった一言、そう言った。
いつ傷つけるか分からないと恐れをいだきながら、あたしとつきあってきたことを言ってるのか。
あたしの中で、完璧な奴だって思ってた期待を、裏切ったからなのか。

あたしは、激しく首を振る。
「あたしは、あんたに何もしてあげられないの?」
その言葉に、冬獅郎の目が大きく、見開かれる。やがて、感情を抑えた声で聞いてきた。
「……俺の言ったこと、理解できたよな」
こくり、と頷く。
「このままじゃ、お前を傷つけるかもしれないんだぞ」
もう一度、頷いた。
「それでも、あんたといる間、あたしは本当に楽しかったよ。あんたにもらったものはいっぱいある。
だから、あたしだって、あんたに何か返してあげたい」
ああ嫌だ。言いながら、あたしはまたこみ上げそうになった涙を、目の中に押し込めようと努力する。
こんな、理性的な自分が嫌だ。自分のどこかではもう結末は分かっていて、「楽しかった」なんて自然と過去形を使っている。
冬獅郎は、そんなわけない、って顔を一瞬したけど、やがて視線を落として、わずかに微笑んだ。
「……ありがとう。そんなことを言われたのは、初めてだ」

その時、冬獅郎がどんな気持だったのか、あたしには分からない。
でも、あいつは思いを振り切るみたいに、立ち尽くすあたしに視線を戻した。
「……お前に、頼みがあるんだ」
「っ、何?」
息せき切ってあたしは聞く。

「これから、車谷が知念家にやってくる。さっき、俺が霊障について報告したからな。
俺は、すぐに瀞霊壁を手配するために瀞霊廷に戻る。お前はあの家に行って、車谷に起こったことをそのまま、説明してくれ」
「……説明、って……」
「ああ。そのままだ」
冬獅郎は、言葉に力を入れて言った。
「俺が霊障の犯人だったと、車谷に伝えてくれ。それで万事解決する。霊障は止められるし、お前は死神になれる」
「……え?」
「言ったろ。霊障の犯人を見つけたら、お前が死神になることを認めると。隊長格を検挙するんだ、死神になるには十分すぎるほどの理由になるさ」
「あんたを、踏み台にしろって言うのか」
聞き返したあたしの声は、震えていた。
「ふざけんな、そんなことできるわけないだろ! あたしは……」
「死神になりたいんだろ?」
ぐっ、とあたしは言葉を飲み込んだ。

「なんで、急にそんなこと言うんだ? ずっと、反対してたくせにさ」
問いかけると、冬獅郎は何も、言わなかった。でも、聞いた時点で、推理できたことは、ただひとつ。
「あんた、もうあたしには、会わないつもりだね」
「……霊圧を、自分でコントロールできるようになるまではな」
わざとぼかした言い方をしてるけど、答えはYESに等しかった。
「ほっとけないよ……」
あたしは、大股で冬獅郎に歩み寄る。
「あんたは自分のこと、どうでもいいって言ったよな? そんな『どうでもいい』存在に、あんたの中にある力……斬魂刀っていうんだろ、それは屈服すんのかよ?」
「……卯ノ花隊長と、同じことを言うんだな」
冬獅郎は目を丸くして、あたしには分からないことを言うと、あたしを避けるようにふわり、と地面から足を浮かせる。
その姿が、ぐんぐんと薄くなってゆく。消える! あたしは慌てて駆け寄った。
袖に手を伸ばす……布地を掴んだはずの指は、そのまま空を切ってすり抜けた。
「今の俺に、人間は触れられねぇよ」
苦笑する冬獅郎の顔が、遠くなる。

冬獅郎が、行ってしまう。
そのことが、耐え難いくらいの動機になって胸をドンドンと叩く。
これでいいのかと、激しくドアをノックされる激しさにも似てた。

「逃げるな!」

あたしは、衝動のままに冬獅郎に向かって、思い切り怒鳴っていた。
「今ここで瀞霊壁とかの助けを借りて、その後、力をコントロールするなんて『逃げ』だよ!
今がんばんなくてどうすんだよ、冬獅郎!」
「何度も止めようとした。でも、無理なんだ」
冬獅郎は、何も反論しようとせず、目を閉じる。
冬獅郎のことだから、何とか霊障を止めようと、ものすごく頑張ったのは理解できる……たったひとりで。

あたしは、冬獅郎の前に、自分の手を差し出した。
あいつはもう50センチくらい浮いてたから、自然と腕を上げる形になる。
その表情が、目を凝らさないと分からないくらいに、薄くなってた。
冬獅郎が訝しげに、あたしとあたしの手を交互に見やった。
「あたしがついてるよ、冬獅郎。あんたが力がコントロールできるように、見ててあげる」
かすかに見える、あいつの翡翠色の瞳が、揺れる。綺麗だな、って思った。
「あんたなら絶対、霊障を自分で止められる。だから、がんばれ」

長い、長い沈黙があった。
「俺は、」
冬獅郎はそれだけ言って、ためらう。
「一緒に、絽夏ちゃんの家へ行こ」
祈るような気持で、差し伸べた指先に力を入れる。
冬獅郎を看病してた時、寝てたせいで冬獅郎には届かなかっただろう言葉を、もう一度口にする。
「あんたに護りたい人がいるみたいに、あんたを護りたい人もいっぱいいるんだよ」
「誰が……」
「あたしがいる。あんたは寝てたから、聞いちゃいなかっただろうけど」

「聞こえてたよ」

冬獅郎が不意に言った言葉は、熱くなってたあたしの耳にはすぐには届かなくて。
届いてから、意味を考えた。
「だから。あの時、聞こえてた」
「あんた、狸寝入りかよ!」
「そんな奴いるはずがねぇって、思ってたからな」
冬獅郎は、くしゃっと表情を崩すようにして笑った。そして、あっちからも手を伸ばしてきたんだ。
「……変な奴」
そう言って、握りあった手は温かかった。



***


あたし達が知念家に駆け戻るのと、アフロ頭の死神が空から降りてくるのは同時だった。
そいつは地面に膝から着地して、冬獅郎の前で頭を下げた。
「車谷、ただいま到着いたしました! 大至急と伺って来ましたが、どのような霊障で……」
ああ、と冬獅郎は軽く頷く。
「それはこいつが説明する。俺は現場を見てくる」
顎をしゃくってあたしを指し示すと、そのまま身軽に屋根の上へと飛び移った。
その場には、ぽかんとしたアフロとあたしが取り残される。

「ちょ、ちょっと、冬獅郎……!」
「約束は、約束だ」
冬獅郎はちょっとだけ振り返って、あたしにそう言った。不審そうなアフロの視線が、あたしに注がれる。
「……お前が説明? 霊障の原因を知ってるのか?」
どうしよう。あたしの頭の中で、二つの選択肢が閃いた。
あたしがYESと言おうがNOと言おうが、冬獅郎はきっと自分で罪を告白するだろう。だから、冬獅郎の待遇は変わらない。
YESと言えば、あたしは死神として、冬獅郎と一緒に行ける可能性がでてくる。
NOと言えば、死神にはなれない。関係は、今までどおりだ。道は、いつか分かたれる。
―― 「……夏梨。お前、死神になりたいか?」
一兄があたしに聞いた質問が、重くあたしの心に圧し掛かった。
あたしは。本当は何を、望んでるんだ?
それに思い当たった時、あたしは大きく息を吸い込んだ。

「全っ然、分かんなかった」

途端、冬獅郎が大きな音をたてて屋根から落ちた。
がしゃん! という氷が砕けた音と、冬獅郎? という慌てた一兄の声が庭から聞こえる。
「え……日番谷隊長っ?」
アフロ死神は、いきなり冬獅郎が落ちたのを見て、思わず声を上げて庭へと踏み込んだ。あたしも後を追いかける。
「……この、霊圧」
アフロが、入った瞬間に、唖然と呟くのが聞こえた。
実際は、霊圧を探る必要もなかったと思う。庭は、冬獅郎が出した氷で埋め尽くされてたから。
一兄が、せっせとデッキブラシの柄で氷を砕き、湯をかけて溶かしているところだった。

一兄は、あたしの大声は耳にしてただろう。あたし達が入ってくるのを見て、
「分かんねぇんだってよ! まあ、もう霊障は止まってるし、いいだろ」
と、大声で叫んだ。
「……止まってる? 霊障が? いつから」
膝に手を置いて置きあがった冬獅郎が、矢継ぎ早に一兄に問いかける。
「んー、お前たちが出てって、15分後くらいか? いきなり地震も止まったし」
「あの二人は!」
「あの二人も、家の中で親父が診てるけどもう熱も下がってるらしい。もう大丈夫だ」
「……ほんとか」
冬獅郎と、あたしのホッとした声がかぶった。

15分後。その時間にあたし達が叫び交わした内容を思い出して、ちょっと胸が温かくなる。
気づけば、アフロ死神が、冬獅郎をじっと見つめてた。
冬獅郎は、氷を払って立ち上がる。あいかわらず、生真面目な顔をしてる。
もう収まったからって、何もなかったみたいに流すことはできないんだな、こいつは。
そう思った時、アフロ死神がおもむろに口を開いた。

「……隊長にお聞かせすることではないですが、霊障というのは、原因も分からぬうちに発生し、消えてゆくものです。
現場に元々いたうちの二人もが分からぬというのなら、きっとそれが、真実なのでしょう。
上司の浮竹隊長には、そう報告致します」

冬獅郎は、ぽかんと目も口も開けたまま、あたし、一兄、アフロ死神の順番に視線をやった。
やがて、全身の力を抜くように、長い、それは長いため息をついて、一言こういったのだった。
「……本当にお前ら、そろいにそろって、変な奴」