誠子
次の日。
私は何事もなかったかのように、学校への道をとぼとぼと歩いてた。
夜更けに出歩いてたせいで、喉が少し痛い。
それが、あれが夢なんかじゃなく、実際に起こったことだと教えてくれる。
私は「死神」に出会った。
その驚きの前に、全ての感情が麻痺してしまったみたいだった。
死神に、「死」を告げられたっていうのに。
私には解放される安堵も、人生を途中下車する寂しさも、浮かんでこなかった。
私だって一応、24時間しかないって言われて、何をしたらいいのか考えた。
でも、考えても考えても、死ぬ前にふさわしいことなんて何も思い浮かばなかった。
こういうとき、特別なことを思いつくような人なら、死にたいなんて思わないんだろうな。
11年生きて、この体の中に、最後にやりたいことを何も詰め込めなかったというなら。
確かに私には、生きる価値なんてないのだろうと思った。
これだけのクラスメートの中にいながら、
誰とも目を合わさず、
誰とも口を利かず、
誰の言葉も耳に入ってこない。
「コドク」って言葉を一シーンにしたならこんなものかって思うような、一日が始まった。
でも、今日ばかりは、何も思わなかった。
だってもう、最後なんだもん。
もう、明日からは、こんな風にならなくていいもん。
そう思うと、なんだかこんな景色さえ、懐かしいみたいな気分になってくるから不思議だ。
私は教室の壁にかけられた、無機質な白い時計を見た。
午後3時を少し、回ったところだった。
私の24時間が、淡々といつも通りに通り過ぎてゆく。
あと9時間後、私は誰にも知られず、この世からスッと姿を消す。
これでいいんだ。
そう思った。
「……辻村っ、辻村!」
担任の先生の声に、私は我に返る。
辺りを見回すと、みんなの視線が私に集中してて……私は動揺した。
「来週のバレーボールのチーム分けだ。お前、どこのチームに入る?」
気がつけば、ホームルームの時間になっていたらしい。
私は、今目が覚めたみたいに、教室中を見回した。
「あんた、入れてやりなよ」
「やだー、そっちこそ入れてやればいいでしょ」
くすくす……と、漣のように声が起こる。
不思議だ、って思う。
今日死ぬっていう現実より、こんな言葉のほうが痛く胸に突き刺さるなんて。
サァッ、と胸が冷たくなってゆく。
涙も出ないような乾いた気持ちが、押し寄せてくる。
ガタ、と椅子を後ろに引いて立ち上がってみたけれど、体が別人のように強張ってた。
救いを求めるように見渡しても、周りがみんな壁のように見えて。
どこのチームも、私を入れてくれそうなところはなかった。
「先生、辻村はどこにも入りたくないって」
ひときわ大きな声がして、回りがドッと笑い出した。
すらりと伸びた手足。栗色の長い髪。
お嬢様風の外見の中で、切れ長の瞳が気の強さを物語っている。
桐原知美。
勉強もスポーツもできて、パッと派手なかわいさがある子。
私なんかよりも、比べ物にならないくらい「上」の女の子だ。
ひときわ、目立つくらい字も綺麗だった。
ロッカーの名前に書かれた悪口を見て、一目で誰の筆跡か分かるくらいに。
私は目を伏せ、座ろうとそのまま椅子を引いた。
ずっと、こうやってやり過ごしてきた方法で、受け流そうとしていた。
あんなに自信たっぷりな態度で見下されたら、もう何もいえなくなる。
―― 「どうしてなの?」
口元まで出掛かった問いは、唇を噛むと同時に押し殺した。
どうして、私だけこんな目に遭うのか。
知りたくても、それをこの空気の中で聞くなんて、できるはずないじゃない。
―― 「理由なんて、ねーんじゃねえの?」
黒崎さんの言葉が、胸を通り過ぎてゆく。
じゃあ、私はないかもしれない理由のために、死を選ぼうとしているのかな。
滑稽だ。
皆笑うに違いない。……私以外は。
心の中に、乾いた笑みが途切れ途切れに弾け、消えていった。
黙って、椅子に座ろうとした時だった。
翡翠の瞳が私の脳裏に、閃きのようによみがえった。
―― 「お前は、あと24時間で、死ぬ」
私は全ての動きを止めた。
「……なによ、辻村。何見てんのよ」
気がつけば、私は中途半端に腰を下ろした姿勢のまま、桐原さんを見つめていた、らしい。
そうか。
私は死ぬんだ。
イジメられるのも、桐原さんと口を利くのも、もうこれで最後なんだ。
顔色を伺おうと、伺うまいと、もう結末は変わらない。
どうしたいの?
おそらく生まれて初めて、私はそれを自分に問うた。
心臓が、ドンドンと胸をノックする。
受け入れるのか。逃げるのか。戦うのか。
それを決めるのは、自分自身だ。
昨日聞いたばかりの、黒崎さんの言葉がフラッシュバックする。
「わ、私は……」
どうするのよ?
椅子の背もたれを掴んでいた手を、ぎゅっと握り締める。
うつろだった瞳を、桐原さんに据える。
「なによ!」
桐原さんが一歩、後ろに下がった。
それを見た途端……
「うぁぁあああ!」
絶叫と共に、私は駆けた。
広く冷たく感じた桐原さんとの距離は、全力で走ればわずか数歩だった。
「ああああ!」
気が違ったかのような私の大声に、みんなはぎょっとして棒立ちになる。
「私は……」
ぜぇ、と一度息を吸い込む。
「私は、戦いたいよぉ!」
「え……きゃあ! やめて!!」
桐原さんの綺麗な顔が、別人みたいに歪む。
その顔面に向かって私は、気づけば全力でパンチを叩き込んでいた。
ガタン!
悲鳴と、机が倒される音が教室いっぱいに広がる。
「痛い! 痛い!!」
顔を押さえ、鼻血を出しながら、桐原さんは後ろへ下がった。
スカートが肌蹴てパンツが見えてるのに、それにも気づかないみたいな必死の顔。
私がさらに近づくと、
「いや……やめて!!」
悲鳴を上げる。
「……」
それを見て、すうっ、と私の中の怒りが引いてゆく。
「辻村っ!」
先生が、唖然とした表情のまま、こちらに歩いてくる。
私は、先生の手を振り払うと、一目散に教室の外に駆け出した。