「『探さないでください』・・・なんでー?」
尊から紙を手渡された雛森は、穴が開くほどその紙を見つめた後・・・盛大にため息をついた。
―― かわいい人・・・
チラリ、とその顔をうかがい、尊も心中、ため息をつく。

雛森桃。
五番隊副隊長であり、日番谷冬獅郎と一つ屋根の下で暮らした、幼馴染。
日番谷ファンの女性死神にしてみれば、垂涎もののポジションにいる女。

読書が趣味で、どこか夢見がちな微笑を、いつも唇に乗せている。
黒目がちの大きな瞳は、後輩の女から見てもあどけない。
その一方で、戦いの場になると、鬼道の技術だけ取れば隊長格にも匹敵する。

反乱時に怪我を負ってしばらく入院した際、日番谷が3日も空けずに通っていたのは記憶に新しい。
久しぶりに見る雛森は、少し痩せたようには見えたが、それ以外は以前と変わりなく見えた。
―― 手ごわいライバルだわ・・・
「末席」という自分の目下の状況を棚にあげて、尊は炎を燃やした。

「それで、失踪の理由よね・・・」
「えぇ。昨日の夜、日番谷隊長は、雛森副隊長のところに来られたんでしょうか?」
「ええ、来たわよ」
「何か話したんですか? いなくなっちゃった原因に、心当たりありませんか?」
雛森は、それを聞くと、しばらくの間地面に目を向けて記憶を探っていたが・・・すぐに、顔をあげた。
「・・・たぶん、理由はあれよ」

 

鏡台の前にぺたんと座った雛森は、鏡に映る自分の姿を見ながら、髪を櫛で漉いていた。
―― ずいぶん、伸びてきたわね・・・
戦いに、長すぎる髪は邪魔になる。
それでも切らなかったのは、「あの人」が長い髪が好きだったから。
今となっては、その好みさえ本当だったのか、わからないけれど。
確かめることも、もうできない。

―― ぱらり。
後ろで響いた小さな音に、雛森の心臓がドキリと跳ね上がった。
鏡に映りこんでいたのは、小さな銀髪の少年の姿。
だらしなく畳に腹ばいになり、頬杖をついた日番谷が、「瀞霊廷通信」の記事を無心に読んでいた。
その何気ない風景が、雛森を日常に引き戻した。
いつまでも、落ち込んでる訳にはいかない。
あれほどのことがあったのに変わらず傍にいてくれる、この子のためにも。

「髪、切ろっかな」
雛森はわざと、あっけらかんとした声で言うと、立ち上がった。
「もー、隊首羽織着たまま寝転がって。シワになるでしょ」
あー。
日番谷は、明らかに聞いてないと思われる声で返した。
「ホラ、羽織脱いで!」
「うっせーな」
めんどくさそうに顔をしかめる日番谷から、羽織を無理やり脱がせると、丁寧に畳んだ。
傍のちゃぶ台の上に置かれた茶と甘納豆のうち、茶は減っているが、甘納豆のほうは手付かずだった。

「食べないの?」
「ああ」
瀞霊廷通信に目を落としたまま、日番谷はすぐに返した。
その肩が、少しだけ痩せたような気がして、雛森は眉をしかめる。
藍染が抜けた後の隊長業務を、ずっと日番谷が肩代わりしている、と噂に聞いていたが、本当なのだろうか。
藍染の仕事の速度は早く、フォローする雛森でさえ、これだけの量の仕事が藍染のどこを通り抜けて、消化されていくのか不思議だったほどだ。
まさか・・・全て藍染の仕事を引き継いだ、訳ではないだろうけど。

「晩御飯、ちゃんと食べたの?」
「・・・食ってねえ」
「何か作ろうか?」
「いらねー。お前の料理はまずい」
「もぅ! ワルクチばっかり言うんだから!そんなだから、大きくなれないのよ」
「うっせえよ」
ため息混じりに返した日番谷の背中を、雛森は意外な思いで見つめた。

―― おかしいな。
いっつもだったら、食って掛かってくるのに。
日番谷に「小さい」とか、「大きくなれない」とか、身長の低さについてあれこれ言うのは、絶対のタブーなのだ。
反応が面白くて、つい何度も言ってしまうが。

―― オトナになってきたのかな。
それはそれで、ちょっとだけ寂しい。
雛森は、日番谷の隣に腰を下ろすと、本に目をやる日番谷に視線を落とした。
読んでいる記事は、涅マユリ連載の、「脳にキく薬」。
涅と日番谷は決して仲がよくないと聞くが、日番谷はこの記事を、前からよく読んでいた。
様々な怪しげな薬品とか、悪趣味な実験が延々と載っているだけの、雛森は必ず読み飛ばす連載だが、元々勉強好きの日番谷には、ちょうどいいのかもしれない。
昔から、雛森が小説を読む隣で、日番谷は科学とか医学とか学術的な本ばかり読んでいた。

そんなことより・・・雛森は、甘納豆をつまみながら、日番谷の顔を凝視する。
―― 睫毛、長!
伏せられている分、余計睫毛の長さが目立つ。
銀色の睫毛に縁取られた、深い翡翠の瞳。
意外と長めの、銀色の襟足が、真っ白い首筋にかかっている。
頁をめくる指は、女よりは逞しいけど、男にしては細くて、そして長い。
こんな言い方したら何だけど、最近の日番谷は、時折ギクッとするほど、色っぽいのだ。

―― あたしを色気で上回るのは、隊長だけよ!
最近、乱菊がそう言っていたのを思い出す。
女性死神たちがキャーキャーいうのは、外見でも、才能でも、地位でも金でもない。
なんというか・・・女をひきつけてやまない、フェロモンみたいなものが日番谷にはあるのだ。

―― 女が出来たんじゃない?
そういう噂を何度も聞いたが。
―― ううん、絶対、そんなワケない!
日番谷は昔から、恋愛だのには人一倍疎いのだ。
本当は・・・弟みたいなこの少年を、もうちょっと手元に、置いておきたいだけなのは、自分でも気がついているけど。


「で」
雛森は、さらに頁をめくろうとした日番谷を遮り、頁の上に指をついた。
「どうしたの」
「・・・いや」
雛森にまっすぐに見つめられ、一旦雛森を見返した日番谷が、気まずそうに視線を逸らした。
この激務を縫ってわざわざ自分のところに来たのは、まさか瀞霊廷通信を読破するためじゃないだろうと雛森は思う。
「えーと」
さらに珍しくも、言いよどむ姿に、雛森はますます興味を引かれる。

「なーによ?」
「お前、絶対笑う」
「笑わないわよ」
「いや、笑う」
「笑わない。絶っ対、笑わないから。約束する」
押し問答の末、二人が見つめあう。
しばらく頑固に黙っていた日番谷が、しぶしぶ、口を開いた。
「女が、俺を見るんだ」
「――― ・・・」
一瞬の間をおいて。
「あははははは!!」
雛森は、そっくり返って爆笑した。

「てめっ・・・話し聞け!」
さっきまでのぐうたらぶりとは打って変わって、素早い動きで起き上がった日番谷が、雛森の口をバンッとふさいだ。
「あはは・・・うっ?」
口を押さえられた途端、雛森が変な声を漏らした。
「つ・・つまった!甘納豆が喉に・・・」
「はぁ?」
喉を押さえる雛森の背中を、慌てた日番谷がバシバシ叩く。

「いたっ! 痛い! 痛いって! もう大丈夫・・・」
ぜぇ、ぜぇ、と息を付く雛森と、日番谷が見詰め合う。
「ご、ごめんね。日番谷くん。あたしにはレベル高かったわ」
「だ・ま・れ」
「知ってるわよ、あたし。なんで日番谷くんのこと、みんな噂してるか」
「何か知ってるのか?」
聞きたいような、聞きたくないような。
そんな微妙な心境をむき出しにしたような表情で、日番谷が雛森を見やる。

「落ち着いてね。日番谷くん」
「俺は落ち着いてる!」
どうどう、と雛森は日番谷の前に手のひらを翳した。
そして、おもむろに言った。
「袋とじ、よ」
「は?」
さすがに思いの他の発言だったのか、日番谷がぽかんとした。
「ホラ、瀞霊廷通信で、袋とじってたまにやるでしょ。乱菊さんが濡れ猫なんとかってやってたり」
「・・・あぁ」
乱菊はノリノリだったのだが、あまりの弾けっぷりに、鼻血を吹いた隊士は数知れず・・・という。日番谷は開きもしていない。

「・・・で。それが、今の話とどう繋がるんだ?」
イヤな予感が背中を駆け上がるのを感じながら、日番谷は聞いた。
判決を言い渡される者の気分だ。
「だから。だからね」
雛森は続けた。
「発売されるの。袋とじ入りの瀞霊廷通信が」
「袋とじって、誰の」
「・・・日番谷くんの」
「・・・は」
日番谷の顔から、魂が抜け出したかのように、全ての表情が滑り落ちた。
そしてそれが、雛森が失踪前の日番谷を見た最後になった。