「という訳で、貴方のところにやってきたんです。檜佐木副隊長」
尊は、九番隊舎の執務室から、ちょうど出てくるところだった檜佐木を捕まえて、事情を説明したところだった。
「次は瀞霊廷通信の編集員の檜佐木副隊長のところに、日番谷隊長が来られたのではないかと」

「オイ! これ運んでおいてくれ」
檜佐木は、通りすがりの隊士に、手に持っていた書類の束を手渡すと、尊を見下ろして、ため息をついた。
「あぁ。確かに日番谷隊長は昨日の夜、自室にいた俺のところに来たよ」
「そ! それで? 袋とじは・・・」
「あれは、恐ろしい夜だった・・・」
詰め寄る尊を他所に、檜佐木は遠い目を窓の外に向けた。
「そう。それはまるで、俺の大切なものが否定されたような・・・」

「あ! ちょっとストップ」
尊は、檜佐木の顔の前に手のひらを翳し、すかさずけん制した。
「自分の話はいいですから。ウチの日番谷隊長の話をしてください」
この檜佐木、後輩の面倒見のいい兄ちゃんなのはいいのだが、山本総隊長に勝るに劣らないほど、話が長い。
しかも、自分の話が。
顔はいいのにモテないのは、俺話が多すぎるからではないかとの噂もあるくらいだ。
「あー・・そうか?」
檜佐木は一瞬寂しそうな顔をしたが、ガリガリと頭をかくと、昨夜のことを話しだした。

 

その夜、檜佐木は、自室にこもり、ギターを爪弾いていた。
「き〜みを、あ〜いしてる〜俺。I love you〜」
作詞・作曲、檜佐木修兵。お世辞にも、うまいとは言えない。
うるさい、という評判をいただくくらいだ。
しかし、その時檜佐木は、ノリに乗っていた。自分の世界に入り込んでいた。
「you〜〜。Thank you!」
決まった・・・ジャーン、と最後にギターを鳴らし、目を開けたときだった。

「ふっ!」
いつの間にそこにいたのか。
自室の襖を開けてそこに佇んでいたのは、十番隊隊長・日番谷冬獅郎だった。
その表情は、まったくの無表情である。冷や汗が、つーっと檜佐木の背中を流れた。
ど、どうする? どうする俺?
1.「何の御用ですか?」何事もなかったかのように振舞う
2.「いいでしょう、この曲?」敢えて地雷を踏んでみる
3.逃げる

「待て。檜佐木」
日番谷は、窓から脱出しようとした檜佐木を止めた。
「は? イヤ。曲は・・・」
「あさって発売の、瀞霊廷通信のことで、聞きたいことがあって来た」
げ。
尚悪い。
顔を引きつらせた檜佐木を正面から見ながら、日番谷はズイと部屋に踏み込んできた。
「何が載ってるか見せろ」

「イ! イヤ! 楽しみにして頂いてるとこ申し訳ないんですが、いくら隊長でも、発売前の瀞霊廷通信を見せるのはちょっと・・・」
「俺が無断で掲載されてる可能性があってもか??」
違う。今日の日番谷は、いつもと違う。
声に、激しくドスがきいている。

「えっ、いやそれは」
「ここにあるんだろ?」
「い! いいえ! ありません!!」
「さっき、すぐそこの廊下で出会った九番隊の隊士に聞いたら、『自室で最終チェック中だ』と言ってたんだが!?」
日番谷の声に、はっきりと分かるほどの怒りが篭っている。
まずい。これは本格的にまずい。
タイミング悪く、隣の部屋から、隊士の声が聞こえた。
「日番谷隊長。本はありましたか?」
「ああ。今見せてもらうところだ」
そういいながら、日番谷が檜佐木を真っ向から睨みつけた。
はっきり言って、非常に怖い。

あ・・・後で覚えてろっ・・・!
声だけでは誰とも分からない、某隊士に檜佐木は悪態をついた。
檜佐木は、こっそりと、それとは分からないほどかすかに、後ろに視線をずらせる。
確かに、さっきまで瀞霊廷通信の最終チェックをしていたのは事実だ。
しかし・・・読み終わった後、机の中に仕舞ったはず。

「そっちか?」
しかし、そのわずかな瞳の動きを、日番谷は見逃さない。
檜佐木を押しのけて、机のほうに歩み寄ろうとした。
―― 万事休す!

「ギ! ギターとか興味ないっスか、日番谷隊長!!」
とっさに檜佐木は、手にしていたギターを、日番谷の前に突きつけた。
「あーん?」
育ちの悪さを前面に出して、日番谷が胡散臭そうな目をギターと檜佐木に向けた。
しかし、檜佐木は乱菊から聞いて知っている。
日番谷は何事にも淡白に見せて、新しいものには目がないのだ。
狙い通り。日番谷は、怪訝そうな顔のまま、指先でギターの弦を弾いた。
ピーン、と高い音が鳴り、日番谷の視線は弦に注がれる。
「こうやって弾くのか?」
ためしに手渡してみると、あっさりと受け取った。

ちゃぶ台に腰を下ろすと、見よう見まねでギターを持ち、ぎこちない手つきで、もう一度弦を弾いた。
視線は、完全にギターに落とされている。
―― 一丁上がり!
隊長といえども、所詮は子供。
ひとつのものに集中している時に、別の玩具を与えられれば、そっちのほうに目が向く。

チラリ、と檜佐木は、次号の瀞霊廷通信を仕舞った机の引き出しを見やる。
ちょっとだけ引き出しが空いているが、大丈夫、これなら日番谷の位置から見えることはない。
ほっ、と檜佐木は胸をなでおろす。
そう。あの特別付録だけは、絶対に載せなければいけない。約束、したのだから。
後は、日番谷にもう少しギターを弾いてもらって・・・適当なところで帰ってもらえばいい。
それにしても、完璧な曲だ。そう、俺の作曲センスを見事に・・・
「ん?」
そこまで考えた檜佐木は、日番谷を見やった。

ためらいのない指が、ギターの弦の上を踊る。
爪弾くのは、さきほど檜佐木が弾いていた曲に他ならなかった。
ただ、檜佐木と比べれば、段違いに腕がいい。
弾き始めは、いかにも初心者、という手探りな音だったはずだ。
しかし、一曲弾き終える間に、タップリ情感まで込めるまでに上達するとは。

「なんで・・・一曲全部知ってるんスか!」
檜佐木の悲鳴のような声に、弾き終わった日番谷は、こともなげに言った。
「なんでってお前、毎晩みてぇに部屋で弾いてるだろうが。隣の隊舎だ、嫌でも聞こえる」
「なんで弾けるんスか!」
「どの弦がどの音を出すか分かれば、簡単だろ」
簡単だろ・・・簡単だろ・・・簡単だろ・・・
日番谷の最後の言葉が、エコーのように檜佐木の中で響き渡る。

そう。
日番谷冬獅郎は、ただの子供ではない。死神史上最年少で隊長格まで上り詰めた、神童なのだ。
それを失念していた。
「まぁ、こんなしょうもない曲なんて、どうだっていい」
「ど・・・」
しょうもない曲? どうだっていい?
檜佐木が凍りついている間に、日番谷はギターをちゃぶ台に立てかけ、立ち上がった。
「じゃあ俺は、用事を済ませるとするか」
そう言った途端、ふっ・・・と日番谷の姿が、その場から掻き消えた。

「あっ!」
檜佐木が声を上げたときには、その姿は、瀞霊廷通信を仕舞った机の前に現れていた。
「ちょっと待・・・」
手を伸ばしたが、間に合わない。日番谷はさらりと机を開け、中の瀞霊廷通信を取り出した。
「ちょっと! 瞬歩をこんなことに使っていいんスか!」
「やっぱりあった、袋とじ!」
檜佐木の言葉など全く聞いていない。
日番谷は、乱暴に頁をめくった、が・・・

「オイ。それはどこにあるんだ?」
「え? いやだから」
「吐け!」
まるで、取調室の警察官のような言葉を吐いて、日番谷は檜佐木に詰め寄った。
「ちょ! ちょっと! 寒いっス! 俺凍ってるっス!」
日番谷に襟首をつかまれたところから、パキパキと着物が氷に覆われていく。
「今日中に写真届けるって、乱菊さんが昼間・・・!」
ぴたり、と日番谷の手が止まった。
そのまま、檜佐木の襟首を離す。

―― しまった・・・
檜佐木は自分の口を呪ったが、今更手遅れだった。
チラリ、と目の前に立つ日番谷を見上げる。そして、
「ひぃ・・・」
思わず、悲鳴を上げていた。

「まー・つー・もー・とー・・・!」
ビキッ、と日番谷のこめかみに浮かんだ血管を見た、と思った途端、日番谷の姿は、その場から消えていた。
・・・それが、檜佐木が失踪前の日番谷を見た、最期だった。