その頃。
瀞霊廷の西門で、児丹坊は瀞霊廷内を振り返っていた。
―― 今日は、やたらとやかましいな。
バタバタと死神たちが走り回り、甲高い声があたりに木霊している。
一瞬、また旅禍でも入り込んだのか、と思ったが、事態は思ったより奇妙だった。

騒いでいるのが、女性の死神だけなのである。
男の死神は、怪訝そうな・・・もしくは、あまり関わりたくなさそうな顔をして、それを見守っている。

「なぁ。なにか起こったんだ?」
振り返った先にいた、薄い金色の髪の死神に、声をかけてみる。
「いや・・・」
三番隊副隊長、吉良イヅルは、なんとも当惑した顔で返した。
「いまいち、何が起こっているのか分からないんですよ。
まぁ、僕ら隊長格に招集がかかってない以上、それほど深刻な事態じゃないのは間違いないんですが・・・」
「・・・なんか、あっちに人が集まってるように見えるぞ?」

児丹坊は、身長が10メートル以上という、異常な巨漢である。
瀞霊廷内を伸び上がって見渡すと、一番隊のほうを指差した。
「一番隊・・・それは気になりますね」
吉良は怪訝そうな顔をすると、
「ここを頼みます、児丹坊さん」
そういい残し、一番隊の方に駆け出した。

―― まぁ、大した事態とは思えねえけどな・・・
児丹坊は心中付け足すと、一番隊の方を凝視した。
集まっているのは、どうやら女性死神達らしい。
狭い場所にひしめきあっている姿は、ワラワラとかワイワイとかいう擬似語が似合う。
つまり、それほど緊迫しているとは見えないということだ。
藍染の反乱以後、火が消えたように静まり返っていた瀞霊廷が、ここまで騒がしいのは久しぶりだった。

そう思ったとき・・・児丹坊は、小さな足音に振り返る。
「あれ? おめーは・・・」
「中にはいりたいの」
ひたむきな目が、児丹坊を見上げている。
「といってもなぁ。おめは死神じゃねえ。中に入ろうとしようもんなら、上から門が降ってくるぞ? 怪我じゃすまねえから、やめとけ」

「声が聞こえたの。さっき」
児丹坊の言葉を聴いていないように、その桃色の唇が言葉をつむいだ。
「日番谷隊長を拘束せよって」
「はぁ??? 冬獅郎をか? なんでだ??」
「確かめたいの」
言うなり、粗末な草履を履いた、色白の足が、瀞霊廷内に踏み込んだ。

「おい! あぶね・・・」
そう言おうとした児丹坊は、驚きのあまり言葉を止めた。
伸ばした手のひらが、何か透明な壁のようなものに突き当たり・・・次の瞬間、「壁」がふぅっと消え去るのが、見えたからだ。

―― あれは、瀞霊廷の結界か?
瀞霊廷に認められた死神以外がその結界を通り抜けることは、絶対にできない。
通り抜けようとすれば拒まれ、自動的に瀞霊壁といわれる壁が、天から降ってくるはずだった。
しかし・・・
児丹坊は、雲ひとつない青空に目をやって、ぽかんとする。
そして視線を再び戻したときには、その姿はもうどこにもなかった。



「あ・・・ありがとうッしたー!!」
店員の、裏返った声に送り出され、日番谷は店を後にした。
隊長の自分が、いきなりこんな所で買い物したら、店員が動揺してもおかしくない気はする。
しかし、こちらも手段は選んでいられない。
日番谷は、チラリを店の看板を見た。
「駄菓子屋・みかん」
―― さて。そろそろ辿り着くころか・・・
一番隊の方角に目をやると、日番谷はタッと地を蹴った。


一番隊と、二番隊の中心には、建物が二つある。
一番隊に近いほうには、瀞霊廷通信を初めとする本類を扱う、印刷所。
二番隊に近いほうには、最近新しく作られた、露天風呂を含む異常に豪華な温泉施設。
やたら相性の悪いこの二施設、後参者は、一ヶ月前にオープンしたばかりの温泉のほう。

―― 「ここでないと、湯が出なかったのだ」
砕蜂の一言により、強引に工事が推し進められたと言われている。
なぜいきなり温泉を掘らねばならないのか、理由は一切謎のまま、温泉は完成してしまった。
そして、そこには夜といわず昼といわず、温泉好きのかつての二番隊隊長が入り浸っている、という噂も。

そして、その印刷所の前では、ハラハラしながら原稿を待つ、檜佐木の姿があった。
印刷所の玄関の周りには、マラソンコースのゴールよろしく、多くの女性死神たちでひしめいている。
「まだかしら・・・」
「まさか、取り返されたとか!」
「大丈夫よ! 女性死神協会ががんばってたもの! 朽木家の前で」

朽木家の前で・・・その言葉に、檜佐木の背中に、スーッと汗が流れ落ちる。
どうやら、また敵を増やしてしまったようだ。
それだけではない。隣の隊の長、山本総隊長がこの事態に気づくのは時間の問題だ。
その時、どうやって言い訳するか?
馬鹿正直に説明しようものなら、総隊長の前に、まず日番谷に殺される。

1.白哉に殺される
2.山本総隊長に殺される
3.日番谷に殺される

おぉ・・・結局どれも先行きは一緒じゃねえか!
檜佐木が絶望した、その時だった。


「檜佐木副隊長! 一体これは・・・」
女性死神達にもみくちゃにされながら、細身で金髪の男が現れた。
「おぉ、吉良・・・」
檜佐木は、まるで敵陣の中に唯一味方が現れたかのように、あからさまにほっとした表情を浮かべた。
「それが・・・話せば長く、もないか・・・」
こそこそと耳打ちする男二人。

「はぁ? それで、日番谷隊長ご本人の意向は全くの無視で、袋とじを作ったんですか?」
よくもそんなことを、と絶句する吉良を、檜佐木は小突いた。
「そう言うな。隊長には申し訳ないが、これが予算削減に苦しむ瀞霊廷通信と女性死神協会を一度に救う、切り札になりうるんだ」
「まぁ・・・それはそうみたいですが」
吉良は、周囲に満員電車のようにひしめき合う、女性死神たちを見下ろしてため息をつく。

「大体どうして、そこまで予算が・・・」
そこまで言いかけて、吉良は口をつぐんだ。
檜佐木は後輩の顔を、ため息混じりに見やる。
「お前に分からねえとは、言わせねえぞ・・・」

予算削減の原因は言うまでもない、3ヶ月前の、藍染・市丸・東仙による反乱にあった。
壊れた建物の修復だけでも、瀞霊廷には通常の何倍もの予算を注ぎ込んでいる。
自然と、他に振り分けられるはずだった予算が減ってしまうのも、仕方がないことといえた。
特に、市丸と東仙の元にいた二人にとっては、いづらいことこの上ない。

「しょうがない、ですか」
不景気な顔を見合わせ、二人はため息をついた。
「けどまぁ、みな楽しそうですし」
無理やりにフォローを入れようとする、先輩思いの吉良なのだった。
―― ただ一人を除いて、だけど。
「そうだ。そうだよな。皆ここの所沈んでたから、イベントが必要なんだ! そうに違いない」
こくこく、と檜佐木はうなずく。
―― そう、俺が悪いわけじゃない!
あくまで瀞霊廷のため、瀞霊廷のため・・・と罪悪感をかみ殺した。

その時。遠くから子供の声が響いた。
「ひさしゅー!」
ひさしゅう?
檜佐木が声の主を探ると、温泉の屋根に取り付けられた巨大な煙突の上に、小さな影があった。
「俺か?」
檜佐木が自分を指差すと、煙突の上にしゃがみこんでいたやちるは、なぜ自分の名前を知らないんだ、という顔をした。
「ひさぎしゅーへいだから、ひさしゅーでしょ!」
でしょ! と言われても知らない。

「あのなぁ・・・て、そんなことはどうでもいい! 原稿は!」
「あるよー! あたしがトリだって、みんなが」
やちるは、手に持ったSDカードを、檜佐木のほうに示して見せた。
結局いろんな女死神の手を渡り歩いたカードだったが、すばしっこさでは随一のやちるに、最後は託されたものであろう。

「わかった! わかったから、そーっと、こっそり、こっち来い!」
こんな場面を日番谷に見られたら・・・と思うと、ゾッとした。
とっとと大量生産してしまうに限る。
「こっそり、か」
「そうそう。こっそり・・・」
背後からの声に、檜佐木は何気なく返事して・・・ビシリと背筋を硬くした。
この声は。
「日番谷・・・隊長・・・」
「あとで殺す」
物騒な言葉を吐き、日番谷の気配が、その場からふっと消えた。

「おー! ひっつん!!」
「日番谷隊長だわ! あんなところに!」
「きゃー、かわいい!」
女性死神たちがざわめいた。
温泉施設の屋根の上に、日番谷の姿があった。
煙突の上にしゃがんだやちるを、まぶしそうに見上げる。

「ひっつんも、けっこうしぶといねー!」
「うっせえ」
「鬼ごっこしようよ! 鬼ごっこ」
檜佐木のあせりも、やんやと騒ぐ女性死神にも目をくれず、やちるは楽しそうだ。
「もういい、疲れた」
日番谷はそう返すと、懐に手を入れた。
「これ、やるよ」
そう言うと同時に、日番谷の懐から、小さな袋がこぼれたように見えた。

「お?」
やちるの目が、露天風呂のほうに落ちてゆく、袋のほうに向けられる。
「こ・・・こんぺいとう!!」
キラーン、とその目が輝いた。
と同時に、その体が真下にダイブする。

それを見守る檜佐木や女性死神たちには、温泉施設内に消えたやちるの姿は見えない。
「とったぁ!」
声だけが、聞こえた。その直後、
ばっしゃーん!!
あたりに木霊した、大きな水音も。
「・・・え」
檜佐木の顔が引きつる。
その檜佐木を、日番谷が見下ろした。
心なしか、いつもの無表情が勝ち誇っているように見えた。

「湯に沈んだぞ、カード」
一瞬の、沈黙の後。
周囲は、悲鳴に包まれた。