見ない顔ね、この街に何をしにきたの?
酔いの向こうで、スターク、と名のった男の人は、わたしにこう言った。
「探しものをしているんだ」
と。

ウィスキーを水で割らず、ストレートで飲む姿が好ましいと思った。
それをそのまま口にしたら、
「割るのが面倒くせぇからだ」
と、真顔で返された。
ウィスキーを割るのも面倒くさがる男が、探しものにわざわざやってくるなんて。
矛盾してるね。そう言うと、
違いねぇ。と口の端をちょっとだけ上げて、皮肉めいた笑みを浮かべた。


「頭、痛い……」
そして、当然のようにわたしは二日酔いの朝を迎える。
ひとつだけ違っていたのは、目覚めたのがわたしの部屋ではない、ということ。
白い床、白い壁、白い天井。白いカーテン。
なんだか病室を思わせる、癇症なまでに清潔な部屋には、ベッドのほか何もない。
その飾りげのない空間は、いかにもスタークという男らしい、という気がした。

シーツを床におとし、はだしのまま立ち上がる。
思ったとおり、白い床はひんやりと冷たかった。
なんだか白が潔癖すぎて落ち着かない。
外の景色を見ようとしてカーテンをシャッ、と引きあけて……唖然とした。
青い空は予想どおりだったけれど……大地には、どこまでも白い砂が波打っていた。

慌ててわたしは部屋の中を見回す。
そしてベッドの下に放り出してあったわたしのバッグを取り、携帯を取り出した。
「……圏外……」
東京、じゃないよね。ていうか、日本ですらないよ、きっと。
鳥取砂丘はきっとこんなんじゃないし。


「……こりゃ、いい朝だ」
突然うしろから声が聞こえて、わたしは慌てて振り返った。
ベッドの影から、むくりと大柄な男……スタークが起きあがるのが見えた。
呆れたことに、あたしのベッドの隣の、床の上に寝てたみたい。

言葉を失ったわたしを、スタークの黒い瞳がじっと見つめる。
「目が覚めたらいい女がいる。労せずして益す。最高だ」
「……は?」
わたしは、スタークの言った言葉を反芻する。自然と、眉根がよった。

「まさか、と思うけど。覚えてないの? スタークが、わたしをここに連れてきたんでしょ。昨日の夜」
「ンな訳ない」
即答だった。
「俺が、そんな面倒くせぇこと、する訳ねぇだろ?」

……。
なに、この人。
「酔ったら、記憶飛ばすタイプなの?」
「あぁ? 確かに二日酔いだけどよ。何でお前がそれを知ってんだ?」
痴呆症よりもタチが悪いわ。
「ウイスキー、ストレートで飲むからよ」
「すげぇなお前、何で俺の酒癖が分かるんだ」
「アッタマ、痛いわ……」
外は砂漠だし、男は何も覚えてないし、携帯は圏外だし。
本当にアタマが痛くなってくる。
だいたい、もっかの状況で一番問題なのは、会社に遅刻の連絡をいれられない、ということだった。

ため息をついた時、ぺたりぺたりと床を歩いてきたスタークと目が合った。
「……一目惚れしていいか?」
「それ、昨日も聞いたから」
ふむ、とスタークはうなる。
「それはそれで、いいじゃねぇか。毎朝、一目惚れしなおせるんだからな」
「やっと、記憶をなくしたの、認める気になった?」
「さぁな。昨日会ったんなら、俺はあんたに惚れたんだろうな、きっと」

どうリアクションしていいものか、見当もつかなかった。
だから黙って見上げると、スタークも見下ろしてきた。
「で。惚れていいか?」
「ダメって言った」
「そんなん俺の勝手だ」
「じゃあ、初めから聞かなきゃいいでしょ」
「もっともだ」
なんなのこの人。わたしは、あらためて呆れて、スタークを見返した。
会話が、なんだか前に進んでいかない。
とくに意味もない、オチもない、五分後には忘れてるような中身のない会話。
そういえば、そんな何気ない会話を、ずいぶん誰とも交わしてなかった気がする。
日常会話、というやつを。

見知らぬ環境におかれた違和感は、気づけば薄らいでいた。
わたしは少し落ち着いた気持ちで、窓の外を見る。
自然と、声が漏れた。
「どうしよう……」
「あん?」
「部屋、散らかったままなの」
「部屋?」
「うん。わたしが行方不明になったらきっと、会社から連絡がいくと思うのよ。
で、警察が踏みこんだ時、部屋が散らかってたら、恥ずかしくない?」
はぁ?? 呆れた顔をしたスタークを置いて、わたしはうなった。
「まぁ、そうとう先か。案外、無断欠勤のまま辞めたって思われて終了かも」
「お前にも、家族とか友達とか、いるだろ」
「ひとりもいないわ」
ためらわずに答えると、スタークは少したじろいだみたいだった。
「腐るほどの人に会ったわ。履いて捨てるほどって言ってもいいくらい。でも誰も、わたしのところには立ち止まらなかったから」
教科書を読み上げるように淡々と続けると、大きなため息が返って来た。

「お前なぁ。俺が勝手に連れてきたらしいのに何だけどよ。こういう時は、元いた場所に返してください、とか言わない?」
「そうなの?」
「そうなのじゃねぇ。なんで俺が人間に常識を教えなきゃならねぇんだ……。
とにかく、散らかった部屋以前に、心配することがあるだろ」
「連れて帰ってくれるの? わたしをどこから連れてきたかも覚えてないのに?」
そうか、とスタークは手を打ちそうな顔になった。

なんだか、マイペースな人だなぁ。
こんな状況なのに切羽つまった気持ちにならないのは、床に寝そべった大型犬みたいな、この人の雰囲気のせいだと思う。

「いいのよ。このまま一年も十年も百年も五百年も、こんな毎日が続いたらどうしようって思ってたくらいなんだから」
「十年まではわかるが、百年や五百年ってことはねぇだろうよ」
スタークがため息をついたのを流す。

帰らない、そのことのデメリットが、思い浮かばなかったの。
だって、どうしても会いたい人なんていないし。仕事にやりがいもなかったし。
部屋が散らかってようが、会社に遅刻しようが、戻れば問題になるけど、戻らなければわたしには何の支障もないじゃない。

そうやって、きわめて怠惰な理由で。
わたし、方丈(ほうじょう)恋は、気づけばスタークと一緒に暮らしていたのだった。