京楽よりは、こいつのほうがよっぽど相手にしがいがある。俺は五郎に向き直る。
そうすると、京楽がひょいと俺の上から、五郎を見下ろしてきた。
「ははあ。このままじゃ濡れちゃうね。優しいねぇ、日番谷くん」
「そんなんじゃないっス」
「犬が傘差して、君は濡れてるのに?」
そう言われて初めて、俺は自分が濡れているのに気がつく。前髪が頬のあたりまで落ちてきていた。
京楽は声を出して笑うとしゃがみこみ、五郎を木の幹に縛っている綱に手を伸ばした。
「だからって、このまま雨が止むまで傘を差してるわけにはいかないでしょ。どこか、屋根があるところへ繋ぎなおしてあげた方がいいね」
「それなら、そこの修練場のところがいいだろ」
「ああ、あそこなら縁側もあるし、いいね」
綱の端を握った京楽が立ち上がる。自由になった五郎は、俺が手に提げた赤い紙袋に鼻を寄せ、くんくんと匂いを嗅いだ。
「これは駄目だ」
俺が手を引くと、縄を引っ張って俺から五郎を引き離した京楽が、おもしろそうに笑った。
「現世帰りかい?」
「は? なんで」
「なんでって」
京楽はますます楽しそうに、指を立てる。
「ひとつ。その紙袋は現世のあるお店のものだ。HAPPINESSって書いてあるね、あそこのケーキは極上だね。
でもその紙袋は見たところ新品じゃない。誰かがお店で買い物をして、後で使うために袋だけ取っておいたんだねぇ。
おおかた、黒崎一護君のところへ寄ったら、その袋に入れてお土産を持たせてくれたのかな。
そうそう、あの夏梨ちゃんって子は元気かい?」
「ぐっ……」
「で、その表情が止めだね。間違いない」
「……あんた、本当にヤな奴だな」
「こんな大人にはならないようにね」
「……」
京楽は、俺の恨みがましい視線に気づかないように修練場に歩みより、縁側の下の柱に綱を結びなおした。
雨が強くなっても、縁側の下に入れば濡れないだろう。
「……あんたのせいなんだぞ」
「ん? 何が。心当たりがありすぎて、どれのことだが……」
そんなにあるのかよ、と俺はうんざりする。だが、目下のところ俺を悩ませているのは一つだけだ。
「夏梨のことっス。あいつ、死神になりたいって聞かねぇんスよ。あの京楽ってオッサンが言ったんだからなれるはずだって」
俺の語尾は、いきなり爆笑した京楽の声に遮られた。
少し前、夏梨はひょんなことから現世で命を落し、紆余曲折を経て瀞霊廷へとやってきた。
普通ならこのまま「死」として処理されるはずが、三人の隊長による嘆願のため、超例外的に現世へ送り返されたのだが……
その一件で、黒崎夏梨の名前は総隊長を初めとして、死神たちの知るところとなってしまった。
夏梨を助けるために口を利いてくれた一人である京楽に感謝すべきではある、が。
「死神としての素質がある」など、少々口が滑りすぎたきらいがある。
俺が不機嫌さも露ににらみつけると、さすがに京楽も笑い止んだ。
「素質はあると言ったけど、賛成はしてないよ。彼女が死神を目指すことが、そんなに気に入らない?」
「気に入る、入らないの問題じゃねぇ。人間が死神になるなんて、ありえねぇだろ」
「一護くんがいるじゃない」
「あれは、しょうがねぇ理由があったからだろ。なんで、ただの人間が、死神になって虚を倒さなきゃならないんだ? 死ぬかもしれねぇんだぞ」
まぁそれもそうだねぇ、とのんびりと言い返されて、俺はいい加減腹が立ってきた。
ふぅむ、と京楽は軽く唸りながら編笠を掻くと、不機嫌になった俺を見下ろしてくる。
「でもさ。彼女は生まれつきの霊圧が高い分、周りの虚を引きつける。抗う術を身につけなきゃ、常に危険にさらされることになるよ。
君が夏梨ちゃんの願いを頭からはねつけられないのは、その辺の事情があるからじゃないの?」
「はねつけてるつもりっス」
即座に俺は返す。
「虚に襲われたら、どうするんだ?」
「俺が護ります」
「死神と人間には、それはそれは深い溝がある。それでもかかわり続けると?」
瞬間、京楽の瞳が底光りを帯びた気がした。俺は一瞬の間をあけて、うなずく。
「……ま、その覚悟はつい先日、見せてもらったしね」
京楽はしばらくして、肩をすくめて続けた。
「頭ごなしに反対する気持ちもわかるけど、一度聞いてみたらいい。どうして彼女が死神を目指すのか。思いがけないことを言われるかもしれないよ?」
いかにも、自分はそれを知ってる、みたいな言い方だと思った。
そういえば、夏梨が前に瀞霊廷に来た時、俺が手続きに走り回ってる間に京楽と夏梨が二人きりになる時間があったはずだ。
突っ込んで聞こうとした時、急速に接近してきた霊圧に、俺たちは同時に顔を上げた。