「五郎!」
愛犬を呼びながら現れたのは犬……ではなく、七番隊隊長の狛村左陣だった。
慌しく柿の木のところまでやってきて、そこに五郎がいないのを確認すると、周りを見回す。
そこで、俺たちの存在に気づいた。
「おーい、狛村くん。五郎ならこっちだよ」
京楽がのんびりと声をかける。狼面のせいで表情の変化が分かりづらい男だが、それでもほっとしたように見えた。
「かたじけない。お主らが移動させてくれたのだな」
三メートルに近い巨体を揺すりながら大股で歩み寄ってくる狛村を見て、五郎が尻尾を千切れんばかりに振り、縄を引っ張った。

「外に繋いであったのを思い出してな。雨が降ってきてすぐ、戻ってきたのだが。良かった」
「なんか、腹が減ってるみたいだぞ」
自由になった時、まっすぐに食べ物が入った紙袋に向ってきたことを思い出して言うと、狛村はううむ、と口の中で唸った。
「やはりそうか。……ここのところ、おからしか食わせておらぬ」
「何で?」
そう言われて五郎を見下ろすと、なんだか肋骨が脇腹に浮いているような気がしてくる。
「本物の空座町をかなり破壊してしまったものでな。今も復旧後の現場検証に行っておったのだ」
ああ、と俺と京楽は同時に頷いた。
藍染との戦いの時、しかたなかったとはいえ狛村は多いに本物の空座町を破壊した。
その修復料金を隊の資金から引き出すとは思っていなかったが、やはり全額懐から出したのか。

「……まぁ、こいつのメシくらい十番隊でまかなってやらんでもねぇぞ」
「本当か!」
何気なくそう言った俺に、狛村はぐい、と身を乗り出してきた。あまりの巨体に、俺は不本意ながら一歩後ずさる。
「……いいけど」
「恩に着る!」
ここで余計な意地を張らず、助けを借りるのが狛村らしい。そう思った時、はるか上の方で犬の鳴き声がした気がして、顔を上げた。
犬と言っても、鼻を鳴らすような……クンクンと鳴くそれは、明らかに子犬の声である。五郎も、鼻をうごめかせている。

「狛村隊長?」
狛村の体のどこをどう通ってもそんな声が出るはずはないが、明らかに発信源は狛村だ。
訝しげに見ると、狛村は困ったように頭を掻き、懐に手を入れた。
「そうだ、すっかり忘れておったのだが……ついでに、この子犬たちのことも頼めぬか」
「……へ」
引っ張り出されてきたモコモコしたものに、俺の視線は釘付けになる。

「おやまぁ、かわいいねぇ。七緒ちゃんが喜びそうだ」
それを見るなり、京楽が声を上げた。片手に全部で五匹、ぬいぐるみのような子犬を持ち上げている。
申し合わせたように、白く柔らかそうな毛並みをしていた。生後一ヶ月くらいの犬が三匹、目が見え始めてすぐくらいの犬が二匹。
生まれた時期はバラバラでも犬種は同じらしく、どれも垂れ耳で前足が大きく、いかにも大きく成長しそうだった。
どれも子犬らしく元気で、今にも狛村の掌から飛び出して落ちそうだ。

「……どこで見つけたんだ?」
聞いては見たが、おおよその答えは分かっていた。
「空座町の上空でな。現場検証の時に、見つけたのだ。ずっとその場に留まり、鳴いておるのが不憫でな」
思ったとおり、狛村はバツが悪そうに答える。
現世に滞留する魂は、人だろうが動物だろうが自縛霊には変わりない。
自縛霊をあの世に導くこと自体は死神として当然だが、瀞霊廷へと連れ込むのは正しいやり方とはいえないだろう。
「五郎の遊び相手にも、よいかと思ってな」
「まあ、ねぇ……」
京楽はあいまいに言葉を濁したが、責めることはしなかった。
こんな子犬が流魂街に送られても、せいぜい霊力がある人間に食われるのが落ちだ。
京楽は子犬たちを見上げると、微笑んだ。
「五匹いっぺんに死ぬなんて、多分まともな死に方じゃないだろうねぇ。でも、死んだ後とはいえ運がいい。狛村くんに拾われるなんてね」

二人の会話を聞きながら、俺は気が気でなかった。
中でも飛び切り元気そうな一匹が、狛村の掌から今にも零れ落ちそうになっていたからだ。
「あ」
狛村と京楽が同時に声を上げた時には、子犬は宙に放り出されていた。
「よっ……と」
とっさに手を伸ばし、子犬を受け止める。
両脇の下を手で支えて持ち上げる。人を怖がるということを知らないらしく、尻尾をぴんぴんと振っている。間近に見て、本当に体格の割に太い前足をしている、と感心する。
近づけた時、舌を伸ばした子犬がぺろん、と俺の鼻先を舐めた。

「っ?」
俺が身をのけぞらせるのを見て、京楽が大笑いする。
「人の顔見るたびいっつも笑いやがって、何がそんなに面白いんだ?」
年上への敬意、というばあちゃんの教えは、ついに頭から吹き飛んでいた。
本当に、一体どういうわけか知らないが、この男は俺と顔を合わせるたび、おかしそうに笑ってばかりいる。失礼ではないのか。

「いやー失礼失礼」
「本当に失礼だ!」
「いや、君が全然気がつかないようだからさ」
「何に?」
「君が、いい男だってことにさ」
「……は」
こんな発言に、気の効いた返事をかえせるようになるには、まだ相当の時間がかかると思う。
また笑い出した京楽は、俺たちに背を向けて歩き出した。そしてヒラヒラと手を振って見せる。
「ほら、早く行こうよ。そろそろ定例の隊首会の時間だ。遅れると山爺がうるさいからね」