「松本、戻ってるか?」
十番隊の隊首室の扉を開け、首を中に突っ込む。
「戻ってますよ、もちろん」
妙に小さい、囁くような声が返される。ソファーに腰を下ろした松本は、背もたれ越しに俺に目をやると微笑んだ。
上司を胸で吹っ飛ばす程度にガサツな女だと思ってきたが、こんな表情もできたのか。
労るような視線を下に向け、指差して見せた。
「寝ちゃいました。疲れてたんですかね」
「そうかもな。それより、追加があるんだが」
戸を開き、ずい、とバスケットを部屋の中に入れると、松本の口から歓声が漏れる。
戸を閉め、バスケットを下ろすと、わらわらと四匹の子犬たちが隊首室に飛び出した。
実際のところ、ここまで連れてくるだけでも相当の苦労だったのだ。
途中までは狛村が持ってくれたが、狛村と別れて十番隊に入ってからは、飛び出そうとしてくる子犬を押し込めるのが大変だった。
隊舎へ入るやいなや、てんでばらばらに飛び出そうとする子犬と格闘する隊長と、笑いをかみ殺しながら手伝いに出てくる隊士……
世の中、平和になったもんだとつくづく思う。
「全部、十番隊で飼うんですか?」
「無理だろ、どう見ても。他の隊でも欲しがってるしな。でも、小さいうちは全部まとめて預かってた方がいいって狛村がな」
「え〜、一匹くらいは残してくださいね」
「お前が真面目に働くなら考える」
「やた! あたし、お茶淹れてきますね」
顔を輝かせた松本が、そっとドアを開けて給湯室へ出てゆく背中を、俺は見送った。
「あのなぁ、松本」
はーい? と元気な声が、給湯室から聞こえてくる。
「俺が流魂街でどんな扱い受けてたか、お前には言うまでもねぇだろうけど。昔の話をいつまでも引きずるほど、俺はガキじゃねぇぞ」
給湯室は、しんとしている。
「……分かってますよ」
しばらくして、小声で返ってきた。絶対に、こいつ分かってねぇ。俺はため息をつく。
雛森も、会議の後に反省した様子を見せながらも、やったこと自体は後悔してない、という姿勢を崩さなかった。
―― 「日番谷くんをいじめる奴は、あたし絶対に許さない!」
どこまで過保護なんだと、力が抜けそうになったのを思い出す。
確かに、涅の言葉は、俺の過去を的確に指摘してた。俺が白変種だってことも事実だろうし、差別されてたのも事実。
でも、それが何だっていうんだ? と思う。いつまでも過去を気にしてるほど、俺だって暇じゃない。
ただこれ以上この話を続けたところで、無意味だろう。俺は早々に話を打ち切った。
ソファにドッと体を投げ出すと、案外自分が疲れていたのが分かる。
警戒心のカケラもなく駆け寄ってきた子犬たちを無意識に撫でながら、隊首机を見やった。
覚悟はしていたものの、今日一日分の決裁書類がそこには積み上がっている。
いくら松本がフォローしようとしても、隊長しか決裁できない案件は多いから、仕方ない。
やっぱり、今日中にある程度終わらせておかねぇと、明日死にそうだ。
俺がうんざりしたため息をついた時、目の前にスイッと茶が差し出された。
礼を言って受け取った途端、食べ物だと思って身を乗り出してきた子犬の突撃をかわす。
むんず、と松本がその首筋を掴んで遠ざけた。
「それにしても、この子たちどうして死んじゃったんですかねぇ。ま、動物に口がない以上分かりようがないですけど」
俺の向かいのソファーに腰掛け、湯飲みを口に運びながら松本が子犬たちを見下ろす。
「あるじゃねぇか、立派な口が。狛村から、さっき道すがら聞いたんだ」
「狛村隊長から?」
「あいつ、犬と話せるからな」
「あっそっか、『こいぬのきもち』て、正にそういう連載ですもんね」
へぇぇ、と感心しながら、松本は瀞霊廷通信に狛村が寄稿している連載の名前をあげた。
『こいぬのきもち』は、狛村が五郎や、現世で出会った犬たちを交わした会話集のようなもので、
女からは「癒される」とやたら評判がいいらしい。
「残念ながら、涅の言ってたことは当たってたみたいだな。
こいつらは赤ん坊だから、何が起こったのかわかってねぇが……
狛村がこいつらのたどたどしい説明から想像するに、飼い主に殺されたのは間違いなさそうだ。
狛村の補足によると、現世には純血種の犬を繁殖させて売る商売があるらしい。
こいつらの犬種は、黒が普通で白は規格外なんだ。
白は売れねぇし、黒で生まれた方も、白い犬がやたら生まれる血筋だってばれれば値段が下がる。だから……」
「だから、飼い主が殺したっていうんですか? 色が白いってだけで?」
「そうみたいだ」
俺は、頷いた。
「外見が黒だろうが白だろうが中身は同じ。それでも、黒は高値で売れるが白はゼロに近い」
「なんで!?」
「理由なんてねぇよ」
そう答えて、嫌な気分になる。
こいつらがそれを理解したら、理由もないのに殺されたのか、とあまりの理不尽に怒り出すだろう。
理由もないのに忌み嫌われたり、理由もないのに傷つけられたり。
許されないはずなのに、そんな出来事は現世にもソウルソサエティにも、当然のように転がっている。
もし俺に力がなければ。この犬たちと同じようになってなかったとは、言い切れない。
「……隊長?」
「なんでもねぇよ」
心配そうに覗き込んできた松本の顔に、我に返る。
一瞬、思いがけないほど重いことを考えていた自分に、ぎょっとした。
「ねぇ、隊長」
背後から声が聞こえた。振り返るより先に、長い腕が首の後ろから回された。
「あたしは、隊長の味方ですからね?」
「知ってる」
いつもなら暑いうっとうしい、と跳ね除けるところだが、タイミングを計り損ねた。
もぅ、と唸った松本は、俺の首に回した腕に力を込めてくる。
「それだけですか? こーんないい女、他にそうそういないですよ?」
「知ってる」
しばらくの間をあけて、ふふ、と頭の上で含み笑いが聞こえた。