どこまでも続く、白い白い砂の大地。
しかしその場所だけは、様相が違っていた。
砂を染める、血の赤。空気が乾燥しているために、血のにおいもしない。
割れた仮面が、音もなく押しよせる砂の波に飲まれようとしていた。
「……」
俺は、砂を蹴とばしながら、その大地に歩みを進める。
レンとの住処から、ここは10キロと離れていない。破面のスピードからすれば、目と鼻の先だ。
「……あんた……」
砂にもぐった足首が掴まれ、俺は視線を下に向ける。
「……アジューカスか、あんた。誰にやられた」
しゃがみこみ、砂に埋もれた体を引き上げてやる。
ほとんど人間に近い。虚圏の中でも数少ない部類の、アジューカスだと判断する。
金髪を短く刈り上げた、男の姿をしていた。
一体何にやられたのか、左の肩から右の脇腹にかけて、すさまじい斬り傷がぱっくりと口を開けていた。
破面に群れる習慣はねぇが、死に水を取ってやるくらいは、してやってもいい。
「……破面が、群れてやがるんだ」
だから、そいつがひび割れた唇で口にした時、俺は眉を潜めた。
「破面が? なんのために」
「……最近、『死神崩れ』が何人か虚圏に来たのは知ってるか……?」
「いや、全く知らねぇ。悪いが、興味ねぇよ」
俺は右腕でそいつの肩を支えたまま、左手で頭をかいた。
正直言って、虚圏の情報なんかに興味は全くなく、できる限り関わりたくねぇと思うクチだ。
しかも、『死神崩れ』だ? 絶対に、関わるのはゴメンだ。
「あんた、強いくせに勿体ねぇな……」
「ンなことより、気の毒だけどあんた、もうせいぜい数時間の命だぜ。今ラクになるかい?」
いったん破面に身を落とした者が、通常の輪廻の輪に戻れるのか、俺は知らねぇ。
おそらく、塵も残さずに消滅し、二度と転生もしないのだと予想してる。
ふさわしい、と思う。
こんな乾いた砂漠を住処にする俺たちが、たどり着く場所としては秀逸だ。
「……は。破面にやられて別の破面に送られるとは……」
「感傷は無用。そうだろ?」
……
それから数分後、俺は立ち上がった。
残骸と化した男を見下ろすと、立ち上がる。
そのときには、すでに近寄りつつある気配に、気がついていた。
「……ったく、面倒くせぇな……」
破面が群れているって聞かされた直後に、これかよ。
二体の破面が、陽炎の向うから姿を現した。
一人は、体よりも巨大な三日月形の鎌を持った男だった。
細身で、黒髪に白い肌。いかにも酷薄そうな細い瞳が、忌まわしい印象だ。
もう一人は女。腰の辺りまである翠の髪をたなびかせていた。
ピンクのペイントを横一文字に顔に入れ、瞳は髪と同じような翠だった。
バイオリンを思わせる体の輪郭に、なかなかいい女だと思う。
「破面が、死神の真似かよ。似合わねぇ」
男のほうが、足元に倒れた破面を見下ろして、印象通りの酷薄な声を発した。
「俺に何か用か?」
聞いて、しまったな、と思う。
まるで切り出すきっかけを与えてしまったようなものだ。
「ねぇよな、初対面で用なんてあるはずがねぇ。俺は帰って寝る」
「てめぇがなくても俺らはあるんだよ」
「マジかよ……」
言い終わる前に背を向けていた俺は、うんざりして肩越しに振り返る。
「下がりなさい、ノイトラ」
その前に、翠の髪の女が歩み出た。
「強い破面を探しているの。あなたはきっと当てはまる。そう思うけれどどうかしら」
「いやいや、弱いよ俺は。全然駄目だ」
両手を宙に上げて見せる。
「もしも、もっと別の場所で君と会っていたなら、もうちょっと話してたいけどね。
死体を前に、刀を横に話すのは勘弁だな」
「てめぇ、フザけた野郎だな。おいネリエル、てめぇこそすっこんでろ!」
どうやら男女二人は恋人とかではないらしく、それどころか相当に不仲に見える。
憎悪も露に睨みつける男と、涼しい瞳でそれを見返す女を、俺はウンザリして見返す。
なんでよりによって、俺の前でケンカすんだ。他所でやれ。と言ってやりたかった。
「とにかく! お前らが何を考えてるのか知らねぇけどな、他当たれ。こっちに立ち入るんじゃねぇ」
そう言うと、俺は踵を返して歩き出した。
途端、金属質な音が背後に迫り、俺は振り返る。
「てめぇは気に食わねぇ、殺してくぞ!」
ギラリ、と巨大な鎌が、太陽の光に照り映える。
その刀身に赤い血の跡がこびりついているのを見て、やっぱり殺ったのはこいつか、と推測するくらいの余裕はあった。
ノイトラ。
そう認識すると同時に、そいつの鎌が、俺の頭に振り下ろされた。
ふぅ、
俺はため息をつく。
腰に帯びた刀が鞘走る。
横一文字に一閃させた。
「ノイトラッ!!」
鋭い女の声が、空間に木霊した。
「な……」
ノイトラが、目を見開く。
俺が放った一撃は衝撃波となり、一気にノイトラの胴に迫った。
殺したな。
そう思った時、背後に翠が目に入った。
まだ冷静さを残した瞳が、俺のそれとぶつかる。
ほぅ、
そう嘆息したときには、ネリエルはノイトラの肩を掴み、乱暴に背後に突き飛ばしていた。
すかさず、自分も響転(ソニード)で背後に飛び下がる。
「いい動きだねぇ、なかなか」
「ただの一閃で、ここまでの威力があるあなたほどじゃないわ」
ノイトラは、背後に尻餅をついたまま、目を剥いている。
ノイトラとネリエルの前の大地に、横一文字で深い線が引かれていた。
横幅は百メートル。深さは、ざっと三メートルくらいは、あるだろう。
「立ち入るな。俺はそう言ったはずだ」
二人を、順番に睨みすえる。
「越えない限り、俺は戦わねぇ。基本、面倒くせえことは嫌いなんだ。
ただし越えてきたら、どんな手を使っても殺す。覚えておけ」
「この先には、なにがあるの?」
「なに、」
俺は軽く笑った。
「絶対、あんたらには分かりやしないよ」
俺も、つい数ヶ月前までは、想像もつかなかったんだ。
あんなうじゃうじゃいる人間の中から、ひとりを見つけ出すことがあるなんて。
「……」
息詰まるような沈黙の後、俺は踵を返す。
今度は、背後の気配は動かなかった。
***
何だか妙に、胸騒ぎがしていた。
住処に戻る足が焦ってる、とまるで他人の足のように思う。
そして、住処の前に着いたとき、俺は自分の焦燥の理由を知った。
「誰だ、お前。ここで何をしてる」
ためらいなく、腰の刀に手をやり、俺は鋭く問うた。
「嫌やなぁ、ちょっとお邪魔してるだけや。何もしてへんで」
まだ、と抜け目なく付け加えた男を、俺は睨みすえた。
「……死神か」
「元、やけどな」
住処の入口の前に、ふらりと立っていた銀髪の男を、俺は目を細めて観察した。
細い紅蓮を宿す瞳。白い着物をまとい、脇差くらいの長さの斬魂刀が懐から覗いている。
なるほど。
さっき、破面が言い遺した「死神崩れ」とは、こいつのことか。
それにしても。
これほど目の前にいながらも、まったく気配を感じないのは、どういうことだ……?
「さっきの、いい戦いっぷりやったなぁ。もっと見てたかったわ」
何気ない言葉に、ぞくり、とした。
ノイトラとネリエルとかいう二人組と向き合ったとき、まさかもう一人いるとは、全く気づかなかったからだ。
俺は改めて、その「元死神」とやらに目を向ける。
「殺す、と言ったはずだ。あの一線を越えたらな」
「まぁ、そう怖い顔せんといて。僕は戦う気なんかあらへんし。話しに来ただけや」
「話、だと?」
「そ。ちょっとだけ、話聞いてくれへん? 聞いてくれたら黙って帰るわ」
市丸ギン。
その男は、初めにそう名乗った。
そしてそいつが話した内容は、噛み砕くとこんな内容だった。
今より、10日前。
市丸ギンを含む三人の隊長格が、瀞霊廷から離反し、虚圏へと移ってきた。
現在、何十・何百もの破面が、トップの藍染とやらの傘下にある。
彼らの目的は、破面の力を結集して瀞霊廷に攻め込み、死神を滅ぼすこと。
そして、これまで支配を甘んじて受けてきた破面が、逆に死神を支配するのだと。
「……納得いかんって顔やね」
かなりかいつまんだ話の後、市丸ギンは笑みを浮かべたまま、俺を見返してきた。
俺は、肩をすくめる。
「いや? 別に文句なんてねぇ。勝手にやってりゃいいさ、俺を放っといてくれる限り」
「放っておく気ないから、わざわざ来たんやけど。いやぁ、ここまで遠かったわ」
恩着せがましく言われたって、俺が知るかよ。ため息が出る。
「大体、話がうさんくさすぎるんだよ。破面の解放? そんなもん、なんで死神だったあんたらがやってくれんだよ、ボランティアじゃあるまいし。
今の話じゃ、あんたらの『取り分』が、見えねぇんだよ」
狐を思わせる市丸ギンの細い瞳から、紅蓮の輝きが零れる。
「説明せなあかん?」
「死神にゃ、『誠意』って言葉もねぇのか」
しばらくの、沈黙があった。
市丸ギンは、答えない。薄ら笑いを浮かべたままだ。
軽薄な奴、と無視すればいいのになぜかそうできない、薄気味悪さがこの男の全身から発せられている。
まるで「死神」のようだ、と笑えないことを考える。
「……俺に、なにを求めてる?」
「いやね、破面を組織して、十刃ってのを作ったんやけどね。肝心のNO.1がおらんのや。
No.2以下に、探してつれてきてとは言ったんやけど。
考えてみたら、NO.2以下がNO.1候補を力ずくで説得できるわけないわ。さっきの見てよう分かった」
「そりゃ光栄だな。で? お前だったら、それができるとでも言うつもりか?」
「多分な」
どうする。
俺はその瞬間、この得体の知れない男を前にためらった。
いつもなら、遠慮なく刀を抜いていただろう。
でも、場所があまりにも悪すぎる。
そう思った時、
「スターク? 誰か来てるの?」
この瞬間に、もっとも聞きたくない声が、市丸ギンの背後から聞こえた。
「レン! 来るな」
俺が声をかけるのと、レンが市丸ギンの背後のドアを開けるのは、ほぼ同時だった。
「誰……」
レンは、目の前に立つ銀髪の男に尋ねかけたが、途中でドアにしがみつくように全身を強張らせた。
分かるのだろう。
こいつが、忌まわしい気配を背負っていると。
「ふぅん」
怯えた様子のレンを見て、市丸ギンはニヤリと笑った。
「あぁ、気にすんな、レン。ちょっとした、協力を願いに来た人さ」
キン、と音を立てて、刀の鯉口を切る。
しかし心の中では、ためらっていた。レンをどうやって巻き込まずにいられる?
「あぁ、募金みたいなもんや。断られそうやけどな」
市丸ギンは軽い口調で言うと、俺に向き直る。
斬りつけてくるのか、
それとも背後のレンに手をかけるつもりか。
俺が全身に意識を集中させたとき、市丸ギンはわずかに肩をすくめた。
「まぁ、よいわ。初めに言ったとおり、話に来ただけやし」
意外にもそう言うと、市丸ギンはそのまま、ゆっくりと俺に歩み寄ってきた。
レンから離れて、ほっとした、と言わなければ嘘になる。
しかし、その隙をついたように、市丸ギンはすれ違いざまに、微笑んだ。
「よぅ、考えてな。また来るで」
逃げ切れねぇ。
理屈じゃねぇ。本能でそう思った。
一言でスルリと絶望まで届く言葉を残し。
男の姿は掻き消えた。