十二番隊資料室から見える空は、既に夜に変わっていた。
誰も見ていないのをいいことに、ふぁ、とひとつ、大欠伸をする。
さすがに少し、疲れを感じていた。

「失礼いたします。……マユリ様?」
背後の扉が開き、俺は欠伸を中途半端なところで止めた。
「涅ネムか」
俺をあんな奴と一緒にすんじゃねぇ。ていうか霊圧で分かるだろうに。
そう思いながら、深い椅子から身をおこし、肘立てに手を掛けて振り返った。

扉の前で身をすくめるようにして立ち、目を見開いている涅ネムの姿が目に入る。
目の前にいるのが俺だということに、ほっとしたようにも緊張したようにも見えた。
手には、盆を持っている。
「失礼いたしました、日番谷隊長」
すぐに頭を下げ、資料室の中へと入ってくる。
「日番谷隊長がいらっしゃるとは、マユリ様からお伺いしていたのですが。少し驚きました」
「? どうして」
「この機械を使いこなせるのは、マユリ様だけだと思っていました」
「ああ」
俺は、目の前でチカチカと悪趣味な緑の文字を点滅させているスクリーンに目をやった。
膨大な量の文字が、今も次々と吐き出されている。
パチッ、とキーボードを叩き、俺はスクリーンの動きを止めた。

「難しいっていうより、涅の癖がつきすぎてるんだよ、単に。仕様を理解するのに数時間はかかったぜ」
数時間、と言うなり涅ネムは絶句する。どうやら、予想より短かったらしい。
「おかげで、死神達が重ねてきた悪行の歴史がよく分かったぜ。若干後悔してるくらいだ」
勝手に、ため息が漏れた。

イカれてる、と何度も思った。
このままこんなところでこんなものを見ていたら、マッド・サイエンティストたちの仲間入りをしてしまいそうだ。
それほどまでに、ひどい代物だった。
死神はもとより、捕らえてきた流魂街の魂、人間、虚、破面、なんであろうが徹底的に実験し、調べ上げた記録の数々には、吐き気を催すくらいだった。

「……こんなことを、護廷が今まで許してきたなんて、な」
研究する側にとっては実験でも、被験者にしてみれば、拷問以外のなにものでもないだろう。
俺にも、これは輝かしい研究なんかじゃなく、ただの死の羅列にしか見えない。
文字を見たまま固まった俺を、涅ネムが遠慮がちに見下ろす視線を感じた。
「お疲れかと思ってお持ちしましたが、不要でしたか?」
スッ、と盆を俺の前に降ろしてくる。握り飯がいくつかと、茶が湯気を立てていた。
「いや、食う」
我ながら淡白だと思うが、それはそれ、これはこれだ。

「うまいな」
久しぶりに食った飯のせいか、本当にそう思った。
「隊長にお出しするにはあまりに粗食かと思ったのですが……」
まともな食材がそれしかなく、と続けた涅ネムの言葉に、嫌な予感がする。
他の食材は、いったいどうなっちまってるんだ。
でも、褒められて頬を赤らめたのを見て、ちょっと驚く。
機械みたいな奴かと思っていたが、涅マユリの傍を離れると、人間らしいところもあるらしい。

「……何か、有用な情報は見つかりましたか? 何かお手伝いいたしましょうか」
「あぁ……」
俺は握り飯を咀嚼しながら、またスクリーンでの情報検索を再開した。
「死神の限界を超える実験。それが腐るほどあって、そして全部失敗してるのはよく分かった」
まぁ、それは意外なことでは全くない。
涅マユリ自体、実験は成功していない、と明言していたくらいなのだから。

でも、藍染はそれに成功していた。
「藍染……」
俺は思い出すのも嫌な名前をつぶやくと、キーボードに指を走らせ名前を検索条件に加える。
藍染が具体的に実験をしていたとは考えにくいが、何か情報が引っかかってくる可能性はある。

「……あ」
しばらくして、涅ネムが声を上げた。視線は、スクリーンに向けられている。
「なんだ、これ」
俺も検索を途中でストップさせ、出てきた文字に見入った。
藍染、の文字が点滅していた。その情報に目を通し、俺は思わず声を上げた。
「どうなってんだ? 鳳橋三番隊長、平子五番隊長、愛川七番隊長、六車九番隊長が一度に行方不明。
現場に向ったのが五番隊副隊長・藍染に第三席・市丸だと……?」
今より、百年前。たしかに、そのころ複数の隊長が行方不明になったと聞いてはいたが、一度に四人もいなくなるほどだとは聞いていなかった。
というよりも。口が重い……というべきか。誰も、当時のことを語ろうとはしないんだ。

「そのころにはネ。隊長格だけじゃない、複数の魂魄消失事件があったのだヨ。服を置いて、霊子のみが消失してしまう、という事件がネ」

涅マユリの声が背後から唐突に聞こえ、俺はギクリとする。画面に見入っていたせいか、まったく資料室に入ってきたのに気づかなかった。
動揺を隠し、問いかける。
「人為的なものか」
「そのようだネ、自然にはありえないヨ。四隊長の消滅も、その一環として扱われた」
「待てよ」
俺は、画面をスクロールしながら眉をひそめた。

「明らかにおかしいだろ。確かに四隊長の前にも、死覇装だけ残して行方不明になった死神はいるみたいだが……。
見ろよ。隊長たちだけに絞れば、服だけ残して、ていう記述はどこにもないぜ」
画面を指差し、俺は涅を振り返る。
「これを同じ事件だとするなら、隊長たちは『消滅』していない。これは『失踪』事件だ」
「……全く、何を鬼の首をとったように言うのかと思えば……そんなこと知っているヨ」
癇症に頭をかきながら、涅は俺を見下ろしてきた。イライラしているのが丸分かりだ。

「知っているなら、どうしてそれ以上調べないんだ」
「中央四十六室が、絶対にこの件には手を出すなと言ったのだヨ。さもなければ技術開発局を取り潰すとネ」
「はぁ? お前それでも科学者か!」
「技術開発局がなくなるということは、この私が研究を続けられなくなるということなのだヨ! これほどの世界の損失が他にあると思うかネ」
「いっぱいあるだろ! 当時そこを突っ込んで調べてたら、百年以上経って俺たちがこんな機械と格闘せずにすんだかもしれねぇんだぞ!」
「こんな機械とはなんだネ!」
「ああ!?」

「……マユリ様」
まさに白熱しだした時、申し訳なさそうに涅ネムが口を挟んだ。
八つ当たりの色を多分に滲ませて、涅マユリが娘をしかりつける。
「何だいネム、うるさいネ!」
「ここを」
涅ネムが指さした箇所を、涅マユリと俺も凝視した。

それから、五分後。俺たちは、沈黙の中にいた。
「……藍染惣右介。十番隊第六席、だと……? あいつ、元々十番隊だったのか」
「時が時なら、君の部下だったわけだ」
「ンなことはどうだっていい。問題はここだろ」
俺は、スクリーンの一角を指差した。
「まぁなんにしろ、これは君の仕事だネ」
「残念ながら、そうみたいだな」
俺は、立ち上がる。
無関係だと思って通り過ぎようとしたところ、いきなり冷水をぶっかけられたような、冷え冷えとした気持ちだった。

「日番谷」
ドアを開けたとき、背後から涅の声が呼び止めた。
振り返ると、いつになく真顔で、こちらをじっと見ていた。
「私は藍染が嫌いだヨ。それでも、ただ一ついいことをした。中央四十六室を殺したことだヨ」
「……否定はできねぇな」
俺は肩をすくめる。はっきりいって、生前の中央四十六室は、目の上のタンコブ以外の何者でもなかった。
全員死んでいるのを発見したとき驚きはしたが、残念だとか悲しいとは一切思わなかったくらいだ。

「ただし。奴らが何かを禁止するには、共通の理由がある。『危険』という理由がネ」
「……分かってる」
「ならいいヨ」
背中を返した涅親子を見送りながら、俺は考える。
涅マユリが、わざわざ俺に「危険だ」と念を押すほどの何かが、この先にはきっとある。
やめておくなら今だと、言下に言われたような気がした。
でも……
「虎穴に入らずんば虎子を得ずっていうもんな……」
今の自分たちに突破口を見つけるためなんだ。
大きく深呼吸すると、俺もその場を後にした。