「あぁ。スタークやったね。来てくれたんや」
虚夜宮を訪れた俺を迎えたのは、全く意外そうな表情をみせねぇ市丸ギンだった。
そりゃそうか。破面を大量に寄こして脅迫してきやがったくらいなんだから。
初めて会った時と同じ、得体の知れねぇ笑みを頬に貼りつけている。
忌まわしい男だ。
「藍染隊長が待ってはるで。ほな、行こか」
俺の殺気に気づかないはずはねぇだろうに、そのままくるりと背を向けた。
カツーン、カツーン、と音を立て、病的に白く、病的に巨大な建物の廊下を行く。
砂の一粒も遮断した空間のハラの中にいて改めて、こいつらは破面の味方ではないと直感する。
カツーン。
足を止める。
俺は無言で、顔を上げた。
「ようこそ、虚夜宮へ」
前方に続く、長い長い階段。その先に据えられた玉座に、ひとりの男が腰掛けていた。
茶色い髪を背後に流し、白い服を纏っている。その下に覗いているのは、死神の衣装だろうか。
ゆったりと足を組み、右側の肘掛に肘をついた姿だ。
そして、じっ……、と俺を見下ろしていた。
人の目というより、深くて暗い穴を覗き込んでいるような気分にさせられる。
こいつは、バケモンだな。そう直感する。
「この虚夜宮はもともと、別の奴が仕切ってたはずだが?」
「あぁ、彼は、我が傘下に下ってくれたよ」
まるで穏便に説得しました、とでも言わんばかりの言い様だが、そんなはずはねぇだろ。
虚夜宮の元・王者が、初め抵抗し、憤り、そして諦めていったのは想像に難くない。
「君なら、彼の上にも立てる。NO.1の十刃を任せるにふさわしい。特に更なる力を、私によって与えられるなら」
冷たい瞳が、俺を上から貫く。
「私に従え。それだけで、この偽りの世界から抜けられるのだよ」
「あ〜、悪いがよ。そっちの話には興味ねぇんだ」
俺は、ガシガシと頭を掻く。
「あんたらみたいな野心家には分からねぇだろうがな。俺は別に、力なんていらねぇんだ。権力にも興味ねぇし。
普通に、世はこともなしって感じにダラダラ暮らしていければ、それでいいんだよ」
背後にいた市丸ギンが、ぷっ、とこらえきれないように噴出す。
「あかんわ藍染隊長、この人にそういう話題振ってもアカンって言いましたやん。……まぁ、ボクはこの人の言うこと、分からんでもないけど」
藍染は、わずかに片方の口角を上げた。一向に笑っているようには見えねぇが。
「……確かに、君はおもしろい破面のようだ」
「……そりゃドーモ」
「では。質問を変えよう。君はなぜここへ来た。何を求めている」
ハッ、と俺は思わず声を漏らした。それを聞くのかよ。
「俺の住処に押し寄せてる破面どもを退かせろ……それと」
「それと?」
「今から、そこに住んでる女を現世へ帰す。帰した後、その女にちょっかいは出すな」
「君がこちら側についてくれるなら、即座に。交換条件だと言ったら、どうする」
「かまわねーよ、俺は」
くすくす、と背後で市丸が含み笑いをする気配を感じた。
「物好きやなぁ。人間一人助けるために、死神の大量殺戮に加担するやなんて」
「死神のくせに、死神を殺そうとするてめぇらほどじゃねぇさ。破面もな、決して群れねぇが、仲間を殺す奴はひとりもいなかったんだ」
いなかった、と過去形で言わなければいけないことに、初めて憎悪を感じた。
昨日死に水を取った破面の最後の表情が、脳裏に浮かんでた。
こいつらが来てから、きっと虚圏は狂いだしたんだ。
「なるほど」
藍染は頷くと、玉座から立ち上がった。そして、ゆっくりと降りてくる。
気圧されそうになるのを、押さえる。
一歩一歩歩み寄ってくるだけなのに、その姿がやけに大きくなるように見えた。
「ひとつ、言っておこう。我らの持つ『崩玉』により、君は大きな力を得る。
その代わり、力を与えた主である私の命令に逆らうことはできなくなる」
「……そうかい」
こいつに本心から従うことは、絶対にないと言い切れる。
でもかまうまい、と思った。
それと引き換えに、レンが安寧を手に入れるなら。
一年も十年も百年も五百年も。そう流れるような口調で口にしたあいつを思い出す。
もしかしたら……本当に、それは言葉の綾ではないのかもしれないが。
それでも、何事もない平和な日々に戻してやれるなら、そうしたかった。
あばよ、レン。
藍染の手がかざされるのを最後に、俺はそう思った。
……それから、一時間後。
俺は、与えられた服に身を通していた。
どこか死神みてぇな形の衣装だ。しかし、色だけは白い。
この白は清浄とかじゃなくて、ただ空虚な色に思えた。
死神を、殺すのか。この手が。
感傷は何も湧いてこなかった。
昨日この手で、破面の死に立ち会った時のように。
そのころ。うかつにも俺は、あの部屋に残された藍染と市丸の間で、こんな会話がされているとは知る由もなかったんだ。
―― 「あぁ、そういえば藍染隊長。言い忘れてたけど、破面群を率いてるノイトラって気ぃ短い奴なんですわ。もう、攻めこんどるんちゃうやろか。伝達、間に合いますやろか」
―― 「放っておけばいい。些細なことさ、ギン。もう彼は、私の手に堕ちたのだから」