「うめぇ! うめぇ! 世の中にこんなうめぇものがあるなんて忘れてた」
玄弥は作りたてのおはぎを次々と頬張って感動の涙を流していた。
さっきまで水が飲めずにあれほど苦しんでいたのに、こんな風に普通に食事が摂れるとは信じがたかった。
岩邸にあったもので、驚くほどの手際でおはぎを作ってみせた実弥ははじめ、飢えた野良猫に餌をやるような表情で玄弥を見ていたが、今はやや引いていた。
「不死川実弥おはぎを作るか。ものすごい絵面だ。……それにしてもお前たち、作るそばから食うな。行儀が悪いぞ」
「不死川家では、出来上がりを冷ました奴は罪となり罰せられる」
「お前たちの家には行儀というものはないのか?」
「悲鳴嶼さんも食うか?」
「頂こう。いや……これは確かに、美味い。変な才能があるな不死川! 猫にもあんこを頂く」
皿を手にもぐもぐと全てのおはぎを食べ切り、抹茶を手に一息ついた時には半刻ほど経っていた。
猫がさりさりと音を立てながら手で顔を洗っている。
「兄貴がお袋の味を再現するとは思わなかったなァ」
「俺と須磨がよく手伝ってたろ。でも、隠し味はお袋と須磨しか知らなかった筈だから味が足りねぇ」
「そうかなぁ……」
兄が大好きで、人をからかう茶目っ気もあった須磨の笑顔をふと、思い出した。
実弥兄ちゃんには教えてあげないんだもんね。きっと、そんなことを言って兄をからかっていたのだろう。そんな気がした。
守れずに死んだ弟妹の姿を一人で思い出すのは苦痛が伴ったが、今は笑って思い出せるのが、自分でも意外だった。
「で? もう半分の用はなんすか」
玄弥が綺麗に後を片付け、もう一度抹茶を口にしながら、実弥が聞いた。
兄がそう言うまで、玄弥は一時間前までの会話を忘れていた。おもむろに悲鳴嶼が口を開いた。
「お前たちの母親は、きっと優しい良い人間だったのだろうな。お前たちは二人とも、良い男だから」
実弥は嫌な顔をした。
「残念ながら、俺たちはろくでなしの父親似だ。いきなり何だよ」
悲鳴嶼はしばらく沈黙していたが、やがて懐から、一枚の紙を取り出して実弥に渡した。
「ここに書かれた住所に、心当たりはあるか?」
「ねぇけど。……奥多摩、伊黒の管轄だな」
玄弥も、横から紙を覗き込んだ。奥多摩のとある村の名前が書かれているが、どこなのか全く見当がつかなかった。
「……ここには古くから屋敷がある。住人の名は、不死川という」
「え? 同じ苗字ってことは、親戚か何かかな。親戚づきあいなんてなかったもんなぁ俺ら」
不死川家は親族の縁が薄く、玄弥は父方も母方も親戚どころか祖父母にも会ったことがなかった。家庭内で話題に上ることすら皆無だったはずだ。
それにしても、二人は京橋で生まれ育ったから、こんな山奥には何の縁もなさそうに思える。ただ、不死川なんて苗字はそうそう無さそうだ。
実弥を見ると、兄は口元に指を当てながら、何か考え込んでいる。
「……兄貴? なんか知ってるのか」
実弥はすぐには応えなかった。代わりに、問いかけるような視線を悲鳴嶼に向けた。
悲鳴嶼は、慎重に言葉を選んでいるようだった。
「あの、愈史郎という鬼が言っていたのを覚えているか。不死川家は鬼喰いと、鬼の力を発現する者を代々輩出してきた家系だと」
「……ああ」
「一方で、この不死川家には曰くがある。古くからある宗教の総本山に当たるのだ。その宗教とは、鬼を信仰するもの。
その教義の中には、鬼を喰らいその『神聖なる』力を手にする、と言うものまであるらしい。
私はかつて先代のお館様のご指示で調べたことがあるが、鬼殺隊を警戒していたこともあり、それ以上のことは分からなかった」
「鬼を……喰らう、だって?」
それは、自分の行動そのものではないのか。最も、玄弥が鬼を喰らったのは、力が手に入ると分かっていたからではない。
どうしても呼吸が使えず、精神的に追い詰められて衝動的に口にして初めて気がついたものだった。
「実際に行動に起こしていたかは分からないが。組織的に行っていた可能性も十分にある」
もし本当にそうなら狂ってる、と玄弥は思って心中苦笑した。それを言うならたった一人で鬼を喰うことを思いついた自分が、一番頭がおかしい。
玄弥は、実弥の沈黙が気にかかった。
「……何か心当たりがありそうだな」
悲鳴嶼に訊ねられ、ようやく口を開いた。
「先代のお館様ってことは、かなり前の話だな。なんで今になって、その話を持ち出すんだ?」
「実はな。この家から、鬼殺隊に対しお前の素性を手紙で問い合わせて来ているのだ。お前が柱になってから、過去に何度もだ」
「……そんな話は一度も聞いてねぇぞ」
「先代のお館様は、その手紙をお読みになった上で、あえて返信をされなかった。その理由は私も知らない。
しかし、今のお館様は、少し違った考えをお持ちだ。手紙の内容と、今の状況が先代の頃と違っているからだ。
先日改めて届いた不死川家からの手紙に目を通された上で、私に連絡を寄越された。一昨日のことだ」
「えらく回りくどいな、お館様から直接俺に言えばいいのに。なんであんたを通すんだ?」
実弥の問いに、悲鳴嶼は苦笑いした。
「お館様が直接話せば、それは命令になり強制になる。お館様は、どうするかはお前の判断に委ねたいとお考えなのだ。
……今回の不死川家からの手紙によれば、お前は現在の当主の孫にあたる。今回は素性を問い合わせるものではなく、断定する書きぶりだったそうだ。
その上で、不死川本家への訪問をお前に請うと言ってきている」
「……」
「思うところがありそうだが、そろそろ質問に答えてくれ」
それでも、実弥はすぐには応えなかった。気が短くて結論が早いいつもの兄とは思えなかった。
「……俺たちが当主の孫ってことは、あの糞親父の父親ってことになるのか……?」
「違う」
実弥は短く否定し、玄弥を見返した。
「不死川は母方の姓だ」
「そうなのか? そんなの知らなかったぜ……」
「先日、親父から直接聞くまで、俺も思い出さなかったくらいだからな」
「……え」
先日、父親と再会した時のことを言っているのは間違いなかったが、二人がそんな会話を交わしていたとはしらなかった。
二人が会っていて自分が知らない時間帯―― 恐らく、屋台で自分が酒に酔って寝ていた間だろう。
実弥は悲鳴嶼に視線を戻した。
「宗教だの何だのいう話は知らねぇが、母親の実家に間違いねぇと思う。母親が玄弥を出産する前後の数ヶ月、実家に戻っていた時があって俺も一緒にいた。
はっきりとは覚えてねぇが、京橋からは数日がかりで、ずいぶんな山奥だった記憶が少しだけある。多分ここだろ」
実弥は、とん、と紙を指差した。悲鳴嶼もそれには驚いたようで玄弥を見た。
「お前はここで生まれたのか……?」
そんな事実は知らない。玄弥は戸惑った。それにしても、里帰りして出産するほど縁があった実家と、なぜ母は絶縁状態にあったのだろう。
鬼喰いを礼賛しているらしい、その宗教と自分。なぜか背中がすっと寒くなった。
「どうする? 不死川。鬼殺隊には今、不死川本家の内情を探りたい事情はある。でも、お前が気が進まないなら無理にとは言わない」
無惨の死により鬼がいなくなったことが、不死川本家に何らかの影響をもたらしたのは想像に難くない。
その上で初めて、本家に来るように実弥に要請してきた理由は、ここでいくら考えても分からないだろう。
それに、先代がどんな意図で放置したかは分からないが、鬼喰いの情報がある以上放置はできないと玄弥も思った。
実弥は目を閉じている。目を開いた時には迷いは消えていた。
「お受けするとお館様に伝えてくれ」
update: 20191201