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そう。
わたしは、うらやましかった。きっかけは、ただそれだけだった。

あんな風に、何の迷いもなく、一途に誰かを愛したかった。
すなおに笑って、涙を流し、怒って、悲しむ。
わたしもそういう風に、ずっとなりたくて……かなえられなかった。

だからかな。
憧れて、憧れて……そして結局、すごく、すごく憎くなった。
そう。だからなんだ。
バチがあたったんだね。わたしたちは。

もう、痛くない。悲しみも、苦しみも感じない。
手を伸ばす。
そして祈る。
あなたの無限の未来に、祈りをささげる。
どうか。
あなただけは、どうか自由に。
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100% BABY


色が和らいだ青空は、リーンと鳴りそうに、すっきりと澄んで高い。
夏の終わりというよりも、秋の初めに近づいた朝だった。

 

キン!!
剣戟の音が冴え渡る。

太陽を背にして立っていたのは、外見は八・九歳くらいに見える少年だった。
黒い死覇装を纏っているが、彼のトレードマークでもある隊首羽織は身につけていない。
銀色の髪に縁取られたその輪郭は、子供とは思えないほどに鋭い。
深い翡翠色の瞳が、目の前に立つ蜂蜜色の髪を持つ女に据えられている。
手にした長刀の切っ先を、ゆっくりと目の前に立つその女……松本乱菊に向けた。

乱菊は乱れた息を整え、自らの斬魂刀を向かい合う日番谷に向けた。
―― 隙は。
日番谷を伺うが、一秒も立たないうちに諦める。
全身が、まるで一本の刀のように、研ぎ澄まされて付け入る隙なんてない。

 

「そろそろ、決めちゃったらどうだい」

緊迫した場面には似合わない、ノンビリとした声が、周囲に響き渡った。
「気合が抜けるんですよ、京楽隊長の声」
乱菊はわざと、大きな声で言い放つと、あたりを見回す。
息をずっと詰めて見守っていたのだろう、ため息が会場全体に広がる。
二百人分の、ため息が。

ここは、十番隊の隊士全員が入れる、広大な修練場だった。
そして、向かい合う日番谷と乱菊の周囲では、集まった全員が、固唾を飲んで見守っている。
二人と隊員達の間に、八番隊隊長・京楽春水が立っていた。
黒ずくめの着物姿の中で、唯一色鮮やかな女物を羽織っているのが、鮮やかに目に映えた。

 

「気合が抜けンのは、てめーが緩んでるからだ」

日番谷の、子供にしては落ち着いた声が、広場によく通った。
スッ、と一歩踏み出すのを見て、乱菊もまた、刀を低く構える。

「俺は病み上がりなんだ。今年なら、ソイツを取れるかもしれねーぞ」

チラリ、と日番谷が視線を広場の隅に走らせるが、乱菊にはそれを見る余裕など無い。
見る間でもなくわかっている。
そこには、地面に突き立てられた木刀の上に、引っ掛けられた隊首羽織が揺れている。
その背中には、黒々と「十」という文字が刻まれている。

 

「……行きます、隊長」
「おぅ」
乱菊が眦を決してにらみつけると、日番谷が頷く。

「ひゅう、相変わらず本気の勝負だね」
京楽が編笠に手をやった瞬間、その眼前を疾風のような影飛んだ。

ギン!!
剣戟の音は、コンマ数秒遅れて聞こえたようだった。
「あんな怪我したのに。全く鈍らないですね……」
蜂蜜色の髪が揺れる。その前髪は、全身の震えを受けて、小刻みに揺れている。
本気の乱菊の打ち込みに、彼女の胸ほどしか背丈が無い少年はピクリとも動かなかった。
まるで、巨大な壁のようだ。
「このままじゃお前、万年副隊長のままだぞ」
落ち着いた翡翠の瞳が、彼にまだまだ余力があることを表している。
「……、本望、です!!」

次の瞬間。
キィン、という澄んだ音色と共に、乱菊の刀が青空に高く高く、跳ね上げられた。

「勝負あった!」

京楽がすかさず、声を上げる。
やや遅れて、周囲にどよめきが広がり……すぐに、大歓声へと変わった。

 

「おめでとう、日番谷君」

京楽が、嬉しくもなさそうな顔をしている日番谷に、隊首羽織を投げかけた。
頭からそれをかぶった日番谷が、ふぅ、と珍しく子供のような顔をして布地から顔を出した。
ポンッ、とその頭を京楽が軽く叩く。
「ガキ扱いすんじゃねーよ」
「ガキ扱いなんてとんでもない。これからも『君が隊長』だ。よろしく頼むよ」
「当たり前だ」
おどけたように言った京楽を、日番谷は睨み上げる。


藍染の裏切りを、最も身に受けた者の一人。
それでも、そんなことが無かったかのように、目の前の少年は平然としている。
それを見て、京楽は編笠の陰で、ひっそりと笑った。

「なんだ、京楽。らしくねーな」
わずかな心の湿りに気づいたのだろうか、日番谷が今度は、まっすぐな目を京楽に向ける。
「年寄りはね。心の傷も体の傷も、治りが遅いのさ。
特にこんな風に、何百年もかけて培ってきた平和が、偽りだったと気づいた直後はね」
日番谷は、一瞬考え込む。しかし、すぐに首を振った。
「サッパリ分からねーな!」
そして、隊首羽織を肩にかけると、京楽に背を向けた。

「隊長!!」
隊士たちの歓声が、日番谷を覆い隠す。

分からない、はずがないではないか。
重い空気に包み込まれていた十番隊舎に、活気が一瞬で戻った。
それが目的だったから、わざわざ病み上がりの体を押して、十番隊挙げての戦いを企画したのではないのか?
突っ込んでも、この少年は認めないだろうけども。

「君は、間違いなく隊長だよ」
隊士達にもみくちゃにされ、珍しく笑っている日番谷を見つめて京楽は微笑むと、十番隊舎に背中を向けた。