「んー!!」
一護は、四番隊舎の門を一歩出ると、両手を大きく空に伸ばして、大欠伸をした。
パタパタ、と廊下を走る音に振り返ると、急患が出たのか、急いで走ってゆく隊士の姿が何人か見えた。
「勇音さん!なんかあったのか?」
その中に、ここ数日で見慣れた長身の副隊長の姿を認め、一護は声をかける。
一護を越えるほどの長身をいつも丸めて歩いている虎徹勇音は、今日も気弱そうな笑みを浮かべた。
「いえ、ちょっと十一番隊の方々が……」
暴れてるんだな。
眉を逆八の字に形作った虎徹を見て、一護は頭を掻く。
「すいません、薬臭いしうるさいし、ゆっくり休めないですよね?」
一護が黙ったのを、不快に思ってのことだと思ったのか、勇音が申し訳なさそうに頭を下げる。
「あ、イヤイヤ、そんなんじゃねーよ。怪我してからずっと世話になってるし」
一護は慌てて手を振る。
藍染によって上半身と下半身が後一歩で分断されるような傷を負ったのだ。
織姫の治療の効果が高いとはいえ、回復のために手を尽くしてくれた四番隊に、あれこれ言う気はなかった。
それに、病院の薬の匂いや空気は、嫌いではなかった。
逆に落ち着く、といっていいくらいだ。
実家が医者だからだ、というのは何となく認めたくなくて、誰にも言っていないけれど。
「何か手伝うか?」
一護の言葉に、勇音はぴょこん、と大柄な肩を跳ね上げた。
驚いたように見開かれた目が、柔和な笑みに彩られた。
「いいえ。ありがとうございます、黒崎さん。お心遣いありがとうございます」
―― なーんか、死神たちと争ってたのが、ウソみてーだな……
勇音と別れた一護は、大通りをペタペタと歩きながらもう一度頭を掻いた。
「ねぇ、待ってよぅ!!」
貴族の子供だろうか、着飾った少女が、兄と見える少年を追いかけてゆく。
「平和だ……」
思わず、口に出していた。
一護の想像の中の死神は、仲間であるルキアに死を押し付ける、無機質な存在でしかなかった。
そう思っていたのは、ほんの一週間前の話だ。
でも、もし同じようにルキアが浚われても、もう刀を向けることはできない、と思った。
仲間の裏切り、という最悪のシナリオにそれぞれに悩みながらも、一護に笑顔を向けてくれる死神たちを見て、思ったのだ。
死神だって、思うことは人間と変わらないと。
そう思えるようになったことは自分でも驚きだが、嬉しいことでもある。
「十一番隊でヒマでも潰すか」
ふぁ、ともう一度欠伸をしながら、ひとりごちる。
一角や弓親、やちる辺りがいれば、そして更木がいなければ、殺される心配なく時間を潰せそうだ。
そう思って、十一番隊の方に足を向けた時だった。
「ん?この気配……」
一護は、ただでさえ深い眉間のしわを更に深くして、上空を見上げた。
―― また敵襲……て訳じゃねーよな?
一護は、霊圧を感じ取るのが苦手だ。
ただ、近くで戦いがあれば、ボンヤリとその気配だけは判るようになっている。
しかし、もしそんな近場で騒動があれば、周りの死神がこんなにノンビリとしているはずがないだろう。
一護は、談笑しながらすれ違った、何人かの死神を見て思った。
しかし、一旦感じ取ってしまった気配を、無かったことにするわけにもいかない。
一護は少し迷ったが、気配がする方向へと足を向けた。
「ココ……だよな」
一護は、「十」の巨大な数字が墨書きされた裏門の前に立っていた。
中を覗き込むが、門の周りには誰もいないようだ。
「それにしてもデッカイ文字だな」
幅1メートル四方ほどの木製の看板に、十五センチくらいの筆跡で「十」の文字。
ものすごい圧迫感だ。
この中は十番隊の敷地だが、それでも入りたければどうぞ、と言いたげである。
―― は、入りたい……
そういう風に書かれると余計、入りたくなるのが人情というものだ。
それに敷地内は、がやがやと何やら祭りのようなにぎやかさだ。
その時だった。
「入りたけりゃとっとと入れ」
「へっ?」
唐突に降ってきた声に、一護は周りを見回した。
少年か、女のような。それにしてはちょっと低いような、中性的な声だった。
「誰……!」
そう叫んだとき、ふ、と一護の上に影が落ちた。
見上げるが、そこにはもう誰もいない。
「気の……せいか?」
その声に返す者は誰もいない。
ただ、季節はずれな涼しい風が頬を吹きぬけた。
一護は首をかしげながら、その声に押されるように門の中へと足を踏み入れた。
「誰かいませんかー、っと……」
十番隊は、さすがに無用心ではないか、と部外者の一護が心配になるほど、静まり返っていた。
どうやら、隊士全員が一箇所に集められているようだ。
にぎやかな声を頼りに歩いていった一護は、「修練場」と書かれた門の中に、ひょい、と顔を突っ込んだ。
「お前、何者だ!!」
即座に、門の内側で談笑していた数人が振り返る。
「ま!待った待った。悪気があったわけじゃねーよ。門のトコに誰もいなかったから、つい」
一護が顔の前に手を出し、敵意が無いことをアピールする。
露骨に怪訝そうな顔をしながらも、刀を向けてくる訳ではなさそうだ。
十一番隊だったら、おそらく最後まで言わせてもらうことも無く、刀の雨が降るんだろうが。
―― 死神って、隊によって随分性格変わるんだな。
そう思った時だった。
「あら?あんた、一護!!」
素っ頓狂な声が、あたりに響き渡った。
蜂蜜色の、腰まで波打つ髪。明るい蒼の瞳。
そして……一度見たら忘れることの無い、色っぽすぎる容姿。
「ら、乱菊さん?」
助かった、と胸をなでおろした。
一護が入院した二日目、他の女死神たちを連れて、見舞いに寄ってくれたのは記憶に新しい。
瀞霊廷での自分の立場が飲み込めていなかった一護にとって、乱菊たちの笑顔は、ゆっくり寝ていてもいいのだと安心するに十分なものだった。
「松本副隊長!お知り合いですか?」
「えぇ。この子は黒崎一護。瀞霊廷の客人よ」
客人?そういう扱いになってんのか。
副隊長、という乱菊の立場がそうさせるのか、男達は一斉に警戒を解いた。
「判りました。ご無礼を、黒崎殿」
「え?あ?いや、そんな、気にすんなって」
丁重に頭を下げられて、一護は動揺する。
黒崎殿、なんて呼ばれたことが、人生にあっただろうか。
慌てた一護を見て、隊士達は一斉に笑った。
一護は、自分を取り巻く死神達を、もう一度見回した。
無骨な雰囲気の男が多いが、破顔した時の笑顔が思いがけず人懐こい。
こんな空気は、決して嫌いじゃない。そう思った時、乱菊が一護の目の前に進み出てきた。
「しかし、どーしたの?急に。戦いの匂いでもかぎつけてきたの?」
後半は、イタズラっぽい口調になっている。
「あぁ、なんか、試合でもしてんのかなーと思って」
藍染の反乱後一週間後なんて、隊士も疲れてるだろうに。
その一護の思いを汲み取ったように、乱菊は苦笑した。
「一番疲れてるのは隊長のはずなんだけどね。律儀だから」
「律儀?アンタのところの隊長が?」
十番隊の隊長といえば、名前だけは知っている。
戦いの最中、虎徹勇音の天廷空羅によって名前を聞かされたからだ。
「十番隊の隊長、日番谷冬獅郎が藍染に斬られた」
その言葉は、今でも生々しく耳によみがえってくる。
「今出て行ったところだけど、出会わなかった?」
「イヤ……誰にも」
そういえば、裏門の前で誰かの声を聞いた気もするが、あれでは「出会った」内に入らないだろう。
「十番隊ではね、年に一度、全隊士参加の練習試合……通称『下克上』があるのよ」
「げ……下克上?」
修練場の脇に設けられた屋内道場の縁側で、乱菊から一護は茶を受け取りながら返した。
目の前の修練場では、隊士たちが後片付けに追われている。
「そう。戦いのルールは簡単。トーナメント形式で、勝った者は今後一年間、負けた者の上に立てる。
隊長だって例外じゃないの。例えばあたしが隊長に勝てば、あたしが隊長になるの」
「すげー、実力主義だな……しかしなんでまた、そんな面倒なこと」
一護の呆れたような声に、乱菊はふふっ、と笑う。
「十番隊は、ずっと隊長を置いてなかったの。だから、日番谷冬獅郎が隊長に抜擢された時は、ひと揉めしたのよ。
今更、外からの人間を受け入れたくないって」
「この十番隊がか?」
穏やかに談笑が広がる修練場を、一護は呆れて見渡した。
とてもじゃないが、騒ぎを起こすようには見えない。
「あたしも、隊長が就任する直前までは心配してたのよ。
でもここに来た隊長は、挨拶なんて何もせずに、名乗りさえしないで言ったの。
『全員修練場へ来い』てね。そして、二百人全員と試合をしたの」
「こ、こいつらと、全員」
「そうよ」
こともなげに乱菊は言った。
「そしてアッサリと勝って、最後に言ったの。
『血筋も立場もどうでもいい。中身で本物かどうかが決まる。それが俺の十番隊だ。
ついて来る奴だけ、ついて来い』」
軽い、武者震いが一護を襲った。
二百人全員を打ち負かした状況。放たれた言葉。
それは、胸に涼しい風が吹きぬけるような、すがすがしさだった。
「その一言で、十番隊は日番谷冬獅郎に恋したの。それっきり、醒めない恋をね」
ソイツは、きっと自分を顧みないほど、優しい男だな。
一護が、一番初めに思ったのは、自分でも思いがけず、そのことだった。
大軍を率いる将は、信頼されなければならない。
なぜなら、トップを信じられない部下は規律が乱れ、迷い、命を危険にさらすからだ。
隊長とはいえ部下全員と戦うような無謀は、部下への思い無くては犯せない。
「会ってみてえな、そいつに」
傷を押して今日その「下克上」とやらを決行したのも、
反乱によって動揺した部下達の迷いを、吹き飛ばすためだったのかもしれない。
もしそうだったら……
一軍全員が「惚れた」としても、おかしくないと思う。
「……あんた、児丹坊の見舞いに行った?」
しかし、そんな一護に返されたのは、思いがけない乱菊の言葉だった。
「あ?児丹坊?行ってねえけど?」
「行ってみればいいわ」
その瞳に、イタズラっぽい光が宿っている。
納得いかないまま、一護は頷いた。