水の入った盆を一気にひっくり返したかのように、土砂降りの雨がボクを叩く。

赤く濡れた、血染めのボクを、洗い流していく。

雨はボクの頭を伝い、肩を伝い。ボクが手にした刀へと流れてゆく。

刀にべっとりとこびりついた赤をも、洗い落とす。

でも、洗っても洗っても拭い去れてない。どんどん広がる足元の赤を、ボクは見下ろす。
刀を握り締めたままボクの目の前に倒れてるんは、ボクと年恰好が同じ、子供。
振り仰げば、雨の轟音を上回るような歓声がボクを包んでた。

「市丸ギン! ついに百戦百勝目をあげました!」
「百万環でどうだ!」
「いや、それくらいの金では、ギンは譲れんな」
周りの大人たちの声なんか、聞きなれたモンや。
どうせ、値段が一千万環になったところで、あのオヤジはボクを手放したりせえへん。
いい……客寄せやからな、ボクは。


「ギン」
女の声が聞こえたと思った瞬間、視界が暗転する。
なんや?
声のほうを見たボクの目に、ボンヤリと女の輪郭が浮かび上がった。
その白い、細い右腕からは、今まさに怪我をしたかのように、鮮血が滴っている。

「ギン。あんたは……」
その女は、それだけ呟くと、ボクに向かって、ゆっくりと手を伸ばしてきた。
微動だにせんボクの目の前に、女の腕を伝った血が、ゆっくりと雫の形をつくる。
膨らんだ雫が、ゆっくりと女の腕から離れて、宙を舞う。


***


ポチャン。
市丸ギンは、耳元に響いた水音に、ふっと目を開けた。
横たわったまま、窓を見上げる。

窓から見える空は、曇天。雨の雫が、窓ガラスを静かに濡らしていた。
一時期毎日のように降り続いた雨は、5月になって嘘のように影を潜めた。
そして今静かに降り注ぐ朝の雨は、緑を育み、短い生の謳歌へ誘う、夏のそれに変わろうとしている。

市丸は、もう一度目を閉じる。そして、周囲に誰一人いないことを確認する。
ふう、とため息がその喉から漏れた。
ゆっくりと上半身を起こし、机の上に置かれた水差しを取り上げると、直に口をつけて一気に中身をあおった。
こぼれた水が、細い喉を伝った。

その体格は190センチ近い長身で、体も鍛え上げられているのがひと目で分かる。
しかし、その首元や手首、腰や足首は細く締まっており、色の白さも重なって、実際以上にその体格を華奢に見せていた。
その髪は銀髪。
白い単が、血の気のない肌を覆う。
薄暗い部屋の中で、その姿は白くけぶって見えた。

口元を右腕で拭ったとき、市丸の目は、その右腕に吸い寄せられる。
その長い腕には、何かで斬りつけられたような細い刀傷が残っていた。
男にしては細長い指で、そっ、とその傷に触れる。
傷をなぞるその表情は無心で、感情は読み取れない。

不意に、視界の端で、何かが揺れた。
それだけの変化に、市丸の鋭い一瞥が投げられる。
閉じられたかのように細い目が少し見開かれ、のぞいた瞳は驚くほど、紅い。

障子の向こうで、ぼんやりと、小さな影が風に吹かれて揺れていた。
市丸は物憂げな動きで立ち上がると、障子を開けて廊下に足を踏み出した。
ヒタヒタと雨の音が突如大きく聞こえ始める。

絹糸のように細く天から落ちる雨に視線を泳がせた後、市丸の視線は、廊下にぽつんと置かれたそれに注がれた。
シンプルなガラスの花瓶に入れて置かれていたのは、金色に輝く一輪の花だった。
太陽のように明るい色彩のその花は、どこからも差してこない太陽の光にとまどうように、すこし萎れてそこにあった。
―― こんな近くに来られて、ボクが目ェ覚まさんなんて……
思い当たる人間はひとりしかいない。市丸は花瓶を手に取り、周りを見回した。