泣き声が聞こえる。
すすり泣くような、押し殺すような、呻くような。
あたしは、その声に聞き覚えがあった。

「……シロちゃん?」
見回しても、周りはぼんやりとした霞に覆われていて何も分からない。
ここは、いつもの流魂街なの? それとも別の場所なの。
方向感覚が分からない。足を踏み出すと、ふわり、と重心を失ってよろめいた。
体の中心が、なんだかぼんやりとして熱い。

早く……早く、行ってあげないと。
あの子はきっとひとりぼっちで、誰かが手を差し伸べるのを待っている。
「どこなの? シロちゃん!」
いつだって意地を張って平気な顔をしているあの子が、泣くなんてよほどのことが起きたに違いない。
思い通りにならない体を引き摺り、闇の中へと歩き出す。


鉄錆みたいな変なものが、喉の奥からせりあがってくる。それを飲み下し、泣き声の方へと足を進める。
「……シロ、ちゃん?」
目指す先にうずくまる小さな背中を見つけて、あたしは足を止めた。
その銀髪は間違いなく、あの子のもの。でも気のせいか、一回り大きくなったように見える。
その格好も、いつもと違っていた。
粗末な単衣じゃなくて、黒い上下の着物を着ている。そして、白い羽織をまとっていた。
その背中に、「十」とくっきりと字が刻まれている。

その肩が、ぼんやりした視界の中でもはっきりと震えているのが分かる。
「ねぇ」
あたしが呼びかけても、まるで聞こえないかのようにシロちゃんは身動きしない。
近づいて見たら、一回り大きな影を持ち上げるようにして、抱きかかえているのが分かった。
「どうしたの? どうして泣いてるの……?」
肩に手をかけて、覗き込む。その頬に涙が伝うのが見える。

ぽたり。

涙が落ちる。その先を追って、あたしはシロちゃんが抱きしめた影を見やった。
よく見たら、それは、息絶えたように全身の力を抜いて横たわった、ひとりの死神だった。
黒くて長い髪が地面に広がる。白い肌。丸みのある、血の気のうせた頬。
「あ、た、し……?」
馬鹿な、そんな馬鹿な。
凍りついたあたしに止めを刺すように、シロちゃんが口の中で、呟いた。
「……雛、森」
ああ。その胸には、大きな穴が。びっしょりと濡れた死覇装。
死覇装が黒いのはきっと。血の色を、隠すためだね。

声にならない悲鳴がこみあげ、あたしは思わず弾けるように身を起こす。
途端、さっきから感じていた鉄臭さが、吐き気を帯びてこみあげる。
あっ、と思った途端、口から赤いものがはじけるように落ちた。

……また、血だ。

ゆっくりと、あたしは自分の体を見下ろす。
刀の切っ先が、あたしの胸を貫き、前に飛び出している。不思議と、痛みはなかった。
ゆっくりと振り返る。背中の後ろに、見覚えのある独特な形の鍔が見えた。

……ああ、思い出した。

今度は泣かずに、目を覚ました。


***


「あの子たちが、一体何をしたというんだい」
いつしかあたしは、やわらかなカーテンの向こうで、祖母が声を荒げるのを聞いていた。
おばあちゃん。ごめんね、と思う。
あたしを日番谷君が刺した。この事態に、おばあちゃんを流魂街から連れ出したのは、吉良君と阿散井君らしい。
どんなに、恐れおののいただろう。気丈に、あたしの世話をする時には涙を見せなかったおばあちゃん。
日番谷君の名前は、ひとことも口に出さないように努力していたおばあちゃんが、
あたしが眠っていると思っている今、涙声で卯ノ花隊長に迫っている。

「死神になってもきょうだいみたいに、ただ普通に暮らしていただけじゃないか。それなのに、どうして。こんなに惨い……」
卯ノ花隊長の影が、カーテンの向こうに見える。
カーテンの傍に立てかけられた、一振りの刀……氷輪丸。
あたしを貫いたことなど忘れたように、清らかな光を放っている。
あなたも、日番谷君に置いていかれたのね。

「申し訳、ありません」
あたしは、卯ノ花隊長がこれほどに、つらそうな声を出すのを初めて聞いた。
「あなた達は! 神じゃないのかい。それなのに、たった一人や二人の仲間を救うこともできないのかい……」
そっと、掌を胸に当てる。
傷は、もうふさがっている。でもこの胸に、貫かれた時の感触ははっきりと残っている。
―― 「雛森……?」
あたしの中にあった刃が、震えた刹那。
日番谷君の中で、何かが壊れた刹那を知っている。

日番谷君だけは泣かせたくなかったのに。あたしが日番谷君を泣かせた。
日番谷君があたしに血を流させたくなかったのに、刃を向けたのと同じように。

背中をそむけあって、母親の胎内で眠る双子のように。
あたしは日番谷君を感じる。

あたしは、探しにいかなきゃいけない。
あたしの片割れを探すために。

そっと、あたしは冷たい床の上に素足を下ろした。
立ち上がりかけて、呼ばれたような気がして、背後を振り返る。

……そうよね。あなたも、会いに行きたいよね。
壁に立てかけられていた氷輪丸を手に、あたしは立ち上がった。