6月21日、早朝。
空座町は、霧雨の中に霞んでいた。


石田雨竜は、黒い傘を差して長い石段を上がっていた。
黒っぽいジーンズに、シンプルな白シャツをまとっただけの姿である。
石段の両側から枝を伸ばした樹木が、傘の上に長い影を落としていた。
瑞々しい翠の葉先から、雨粒が零れ落ちる。
タン、と傘の上で、軽やかな音を立てて弾けた。

空座町・共同墓地。
雨竜は石段の一番上まで上がりきると、睨むように眼下の景色を見下ろした。
空座町の街並は玩具のように小さく、灰色に煙って見えた。



ふぅ。
降りしきる霧雨の音にさえ掻き消されそうな、小さなため息が口から零れた。
ここから祖父・石田宗弦の墓までは、目をつぶっても歩いてゆける。
限りない憎しみと後悔、そして哀しみを胸に抱えながら、通ってきた道だった。
何度あの墓の前で、死神への復讐を誓ってきただろう。
許せない。絶対に、祖父が味わったのと同じ苦しみを、死神に与えてやる。
この手で叩きのめし、あの墓の前で両手をつかせ、謝らせるのだと決めていた。

そしてこの数ヶ月で、瀞霊廷に侵入した雨竜は新たな事実を知った。
現世で死した祖父は魂魄として瀞霊廷に連行され、十二番隊隊長・涅マユリの実験体として悲惨すぎる最期を遂げたこと。
そして、現世で祖父を殺したのは虚だが、死神達は祖父を実験体に使うためにわざと、救援を遅らせたのだということも。

許せない。
ぎり、と雨竜は両方の拳を握りしめた。傘の柄がキリキリと音を立て、その音に我に返る。
自分らしくない、と思う。こんな風に感情的になるのは、自分らしくない。
許せないのは……死神じゃない。
こんな事実を知りながら、死神に対して前のような憎しみを持ち続けられない、自分自身に対してだった。



―― 「6月21日です」
落ち着いた女性の声が、耳を通り過ぎてゆく。
瀞霊廷で最後に会った時の、涅ネムの声だ。

―― 「6月21日? 何が?」
―― 「貴方のお祖父様が、瀞霊廷で消滅した日です」
消滅。その言葉が、雨竜の心を今でも鋭く穿つ。
現世で死んだだけなら、また生まれ変われる。
でも魂までも消滅すれば、もう生まれ変わることすら、できないのだ。

祖父をそんな目に合わせた張本人の娘が、目の前のこの女だ。
復讐するなら今だ、と雨竜は目の前の女性をにらみつける。
両足を綺麗に揃え、両手を体の前で組み合わせた彼女は、まるで祈っているようだった。
その大きな瞳は、涙を湛えているように黒く輝いている。
―― 「そうか」
怒声も、嘆きの声も、自分の口からは漏れてこなかった。
そして、二人の道は分かたれた。


雨脚が強くなり、傘を叩く音に雨竜は我に返る。
もうため息はつかず、墓場への道を歩き出した。