ピリリリ……
日番谷は鳴り響く伝令神機を懐から取り出し、着信画面を見下ろした。
「……松本? なんでこんな朝から」
護廷の始業時間は9時。まだ8時にもなっていないはずだ。
普段の乱菊なら、起きてもいないはずなのに。眉間に皺を寄せながら、日番谷は通話ボタンを押した。

「隊長っ!? 今どこにいるんですか?」
伝令神機を耳に押しつけるなり、乱菊の大声が飛び込んできた。
「朝っぱらから騒ぐな。何かあったのか?」
「何かあったのか、じゃないですよ!」
声が高くなり、日番谷は眉を顰める。
「隊長がいないって、みんな大騒ぎしてますよ!?」
「……は?」
日番谷は、思わず伝令神機を見つめた。
なんでこんな早朝から、自分が瀞霊廷にいないことがバレているのだろう。

「たった一人でどっか行っちゃって。ご飯とかどうすんですか? 迷子にでもなったら……」
「待て。俺を誰だと思ってる」
「日番谷冬獅郎君です」
「お前らの隊長だ、俺は! ガキじゃねーんだぞ!」
ご飯とか迷子って何だ。返す日番谷も、声が少し高くなる。

「勝手に出てきたのは悪かった、確かに外出許可も取ってねぇよ。でも始業前なのに、なんで皆気づいてるんだ?」
「朝ごはん食べてないでしょう、隊長」
「確かに食ってねぇが、それがどうした」
「隊長のご飯は、十番隊士たちが精魂こめて作ってるって知ってました? 他の隊士とはメニューも違うんです」
「……」
全然気づいてないだろう、と乱菊の声音が言下に言っている。日番谷は視線を宙に浮かせて考え込んだ。
「そういえば……ちょっと、品数も多かったか」
「倍はありますって。隊長の今の言葉聞いたら、泣きますよ皆」

「たかが飯で泣くほどこと、ねぇだろ」
苦りきった声で日番谷は返す。
食堂は隊ごとにあり、食事は当番制で隊士が作ることになっている。
確かに、やたら凝った料理がでてくるな、とは思っていたが……自分のだけ特別だとは、気づいていなかった。
「隊長、自分がどれほど皆に大事にされてるか、そろそろ気づいてくださいよ」
「……わかってる」
いーえ分かってません。即座に言い返される。
いーや分かってる。と押し問答するのも決まり悪く、日番谷はしばらく押し黙った。
「……で、バレたのか」
「当然です。今日の食事当番は泣いてます」
「だから泣くな、それくらいで!」
屈強な男が多い十番隊の隊士が泣いているのを想像して、日番谷はくらりとした。

「そうでなくても、朝食の場に隊長がいないのに気づかないわけないでしょう?
霊圧も感じないし、皆必死で探してますよ! 箪笥の中から菓子入れの中まで」
だから。どうやったら俺が箪笥や菓子入れの中に隠れられるっていうんだ。
いつもだったら怒鳴るところだが、生憎そんな気分ではなかった。


隊長を見つけたわよぅ、と乱菊が電話の向こうで叫ぶ声が聞こえてきた。
それに返したざわめきの大きさに、日番谷は思わず、石段を降りていた足を止めた。
良かった良かった。ご無事でほっとした。
その言葉の主のひとりひとりが誰なのか、電話の向こうにいても分かる。
途切れ途切れに聞こえる心から嬉しそうな声に、黙って聞き入った。


―― 「君に何かあれば、乱菊さんが泣いてしまうよ」
石田雨竜にかけられた声が、耳に甦る。
雨竜の行動いかんによっては、本当にそうなっていただろう。

自分に何かあれば悲しむのは乱菊だけではない、十番隊全員なのだと分かっている。
こんな風に軽々しく自分の命を扱おうとするのは、決して、それを分かっていないからじゃない。
それなのに、俺は時折、「忘れて」しまう。
自分なんてどうなっても構わない。そんな思いにさらわれそうになる。

「……すまない」
そう声をかけると、電話の向こうの乱菊は、しばらく黙り込んだ。
「……隊長。今どこにいるんです?」
今までのテンションが嘘のように、急に声が潜められる。
短いやり取りで、何かを感じ取ったのだろう。
「……ヤボ用で、現世にいるだけだ。始業までには戻るから心配すんな」
「はぁ? 現世? 一体どうして」
「どうしてって……」
日番谷は、そこで口ごもった。うぅん、と乱菊が電話口の向こうで唸る。
「本当に、どうしたんですか? らしくないですよ。あたし、お迎えに上がります」
「いらねぇよ、ガキじゃねぇんだし」
「でも……」
「いらねぇって」
わざと、ぶっきらぼうに言い捨てる。


乱菊は、石田宗弦の殺害時は既に、十番隊の副隊長だった。
隊長不在の隊として弱い立場に立たされる中、弱音も吐かず隊を切り盛りしていたという。
もしも、あの時点で十番隊に隊長がいれば、涅に面と向かって対抗できたかもしれない。
対抗できれば、あんな惨劇も起こらなかったかもしれない。
でも、全ては可能性の話だ。
責任は乱菊にはないし、知らせる必要もない。そう、日番谷は思っていた。


「隊長? やっぱり何か……」
「お前には関係ねぇよ」
ぶっきらぼうに言い捨てると、電話の向こうの乱菊が、わずかに息を飲むのが分かった。
良心が痛むが、しょうがないと思う。
普段はデリカシーのない行動で日番谷をイラつかせることの多い乱菊だが、傷つけるような言動は一度だってない。
日番谷がいつも何を感じ、何を好んで嫌っているのか、乱菊はおそらく本人よりもよほど分かっているからだ。
きっと今顔を合わせれば、乱菊はたちどころに気づいてしまうだろう。
日番谷が何か重く暗いものを、隠しているということに。


「……分かりましたよ」
乱菊はふぅ、とため息をついた。
その声音がいつになく優しく、日番谷を焦らせる。
やっぱり、すでに何か気づいているらしい。日番谷が何か言う前に、乱菊はふふっと笑った。

「それじゃこうしましょう。隊長は、あたし達のためにスイーツをお土産に買ってくる。始業に遅れてもいいですから。
そしたら、許可得ずに現世に行ったこと、気がつかなかったことにしてあげます!」
「あ? なんで俺が……」
「それで手を打とうって言ってるんですよ」
一転して明るくなった乱菊の声に、ぐっ、と日番谷は言葉に詰まる。
「楽しみにしてます♪」
その言葉を残して、プツリと電話が切れた。

日番谷は憮然として着信画面を見下ろしたが……やがて、ポツリと呟いた。
「部下に気ぃ使わせるようじゃ、まだまだダメだな、俺も」