それから、30分後。
日番谷は、雨上がりの街に足を踏み入れていた。
明るいような暗いような、霧に覆われているような晴れているような、漠然とした空気が流れている。
あいまいな色彩の中で、信号がパッと赤になったのが目を引いた。

「……たく。隊長にパシリやらせるとはいい度胸だぜ」
足首の辺りまで編み上げた革のブーツが、水溜りを跳ね飛ばした。
ボタンを一つ外した白シャツの胸元に、翡翠色の石を使った、シンプルなアクセサリーが光っている。
古着風のジーンズを履いているところも、子供には不釣合いだが彼にはよく似合っていた。

死神のままでやり過ごすつもりだったのに、モノを人間から買うなら当然、義骸に入らなければならない。
大体、街を歩いてすぐに気がついたが、スイーツが売っているような店は、朝の8時には開いていないのだ。
始業時間に遅れても大丈夫、というのはそういうことか。
もしかして体よくはめられたのか? と思っても、後の祭りだった。

―― 腹、減った……
腹が鳴って初めて、自分がどれほど食事に恵まれていたか思い知る。
出直すか。早くも諦めた時に流れてきた食べ物の匂いに、日番谷の視線は吸い寄せられた。


「……マクドナルド?」
茶色い紙袋に、黄色い「M」の文字。
こんなのを黒崎一護が持っているのを見たことがある。
そういえば、それを見た遊子がこんなことを言っていた。
―― 「おにーちゃんっ、そんなジャンクフード食べてたら、メタボになっちゃうよ」
どういう意味だ? こっそり聞いたら夏梨は、体に悪いってことだよ、とシンプルに教えてくれた。

体に悪い。
そう言われると、つい食べてみたくなるのが人情というものだ。
普段、細心の注意を払った健康食ばかりを口にしている反動かもしれない。
いきなり入口の向こうに現れた銀髪の少年に、レジの女性がぽかんと口を開けている。
それにも気づかず、どこがどう違うのか分からない、ハンバーガーのメニューを睨んでいた時。

「うーん」
いつの間にやら日番谷の隣に立ち、同じようにメニューを見上げていた少女に、視線が吸い寄せられた。


―― なんだ? この女、いつの間に……
身長は日番谷と同じくらいだが、かなり華奢な体つきの少女だった。
ノースリーブの白シャツに、柔らかな水色のフレアスカートが膝上で揺れている。
銀色の、太目のベルトがきらきらと光り、少女の持つ透明な雰囲気に華を添えていた。

自分と雰囲気が似てる。
そう思ったのは、少女が銀色に近いプラチナブロンドの髪で、透き通るような白い肌をしていたからだろう。
しかし、メニューを真剣な顔で覗き込んでいる瞳は、日番谷とは対照的な紅色だった。
細い指を顎に寄せたその横顔は、その雰囲気のままに小作りで愛らしい。

そこまで見やった時、日番谷は反射的に視線をそらした。
そして一瞬の沈黙の後、くるりと少女に背を向けると、伝令神機をいじくっているフリをして考え込んだ。
あまりに、シレッと立っているから見逃しそうになったが。
彼女の左目から、頭にかけてうっすらと覆っている影は、よく見れば仮面ではあるまいか。
普通の人間なら、全く見えはしないだろうが、死神の自分が目を凝らせば分かる。
そして、うまく隠してはいるが、全身からかすかに放たれているのは、明らかに破面の霊圧ではないか。

―― まじかよ……
しかし、日番谷を一番当惑させたのは、そんなことではなかった。
この少女、弱い。
おそらく、自分が素手で頭をはたけば、すぐに泣かせてしまうくらいに、きっと弱い。
死神として、どんな姿であろうと破面は見逃せない。
しかし、明らかに弱い者に対して一方的に戦いを挑むのも、弱い者いじめのようで気が重い。
―― こんな奴、反則だ……
日番谷が思わず背中を向けたのは、そんな理由だった。


「よーし、決めた!」
店内に入ることに決めたのだろう、中を見やった横顔は、どこから見てもあどけない少女だ。
日番谷の正体が死神だということも、この分では気づいていないだろう。
まぁ……いいか。この弱さなら、害になるほどでもない。
今はちょっと、何かを一方的に断罪することに、罪悪感があるのも事実だった。


少女に背中を向け、そのまま歩き出そうとする。
と、その時。
ガシッ、と肩が掴まれた。
振り返ると、満面の笑みを浮かべた少女と目が合った。

「どこ行くんだよ、死神!」
バレてる、と思うよりも先に。少女は可憐な外見とは真逆の言葉を口にしてみせた。
「ボコられたくなきゃ、ハンバーガー代よこしな。ば――――か」