「虚が出たって? 俺が行く!」
「その書類は三番隊行きよ、副隊長に署名していただいたら持って行ってちょうだい!」
京楽春水は、十番隊の門をくぐった直後、ん? と目を見開いた。
弾丸のように行き交う死神達、飛び交う呼び声。まるで火事場のようだ。
門から現れた他隊の隊長にも、気がつく気配はまるでない。


「どうしたんだい? 一体。活気づいてるねぇ」
一番近くにいて、歩きながら書類に視線を落としていた隊士に呼びかけると、彼は驚いた顔を上げた。
「きょ……京楽隊長っ! 申し訳ありません、お越しになられたのにも気づかず……」
「いいのいいの。別に怒ろうっていうんじゃないから。僕みたいに不真面目な人間が、日番谷君の隊の人たちを怒れる訳ないでしょ?」
頷く訳にもいかず、ますます縮こまる隊士に、京楽はヒラヒラと手を振って見せた。

「日番谷隊長に用があるんだけどね。いるかい? 彼」
「あ〜、隊長はご不在です。何かご用件がありましたら、申し伝えます」
「あれ? そうだったっけ。隊長が不在になる時は、他隊の隊長にも伝達があるはずなんだけどね。何かあったっけ……」
「えっ、あ、いや、ちょっと急用で……すぐ戻られると思いますので!」
慌てた隊士の素振りに、京楽は笑いそうになる。
他の隊士のちらちら寄せられる視線からも丸分かりだが、十番隊は隊長に似たのか、嘘が下手なメンツばかりだ。

「いいよいいよ、また出直すから。それより大変そうだねぇ。なにかあったら僕の隊も協力するから言ってね」
「あ、ありがとうございます!」
いつもサボっている他の隊長ならとにかく、日番谷のサボリなら愛嬌がある。
戻ってきたら、いつも生真面目な顔をした彼をからかってやろうか、などと考えながら京楽は十番隊舎の門をくぐり、通りに出た。
「……ふむ。でもちょっと、気になるねぇ」
出た所で十番隊を振り返り、ひとりごちた。





同じ頃、隊首室では珍しく、乱菊がひとりきりで書類と向かい合っていた。
ふぅ、と息をつくと、筆を硯に置き、肩をぐるりと回す。廊下から、隊士たちの声が聞こえてきていた。
「無断で、現世まで行かれたらしいじゃないか。そしてまだ戻られてないんだって? 一体どういうことだ」
回していた腕を中途半端に止め、会話に耳をそばだてる。
副隊長が聞いているとは夢にも思わず、会話は続いた。

「あの隊長が、そんな行動を取られるなんて。よほどのことがあったに違いないな」
「えぇ。疲れて戻られるかもしれないわ。戻られる前に、残りの隊士で仕事を終わらせておきましょうよ! 戻られた後、ゆっくりお休みになれるように」
「そうだな。……おっと、俺達も立ち話してる場合じゃない」
バタバタ、と足音が遠ざかるのを見て、乱菊はふっと微笑んだ。
いい隊士を持って隊長は幸せだ、と思ったのではない。
いい隊長を持って、あたしたち隊士は幸せだと思っていた。


十番隊は、絶対に日番谷を批判しない。
日番谷が瀞霊廷を裏切り、十番隊が取り潰しの危機にあった時すら、そうだった。

えこひいきとか、心酔しているから……とは、少し違う。
日番谷を、何があろうと信頼に足る人物だと、疑いもなく思っているからだ。
日々危険と隣り合わせの死神の業務において、隊長を信じられることがどれほど救いになるか。
長い間隊長を持たなかった十番隊だからこその思いかもしれない。



「それにしても……」
仕事の山を眺めた乱菊の口から、ふぅ、と何度目かも知れないため息が漏れた。
隊首業務の忙しさは、隊長でしか分からない。
その言葉を、身をもって思い知っているのだった。

まして、護廷の中でも、こなす仕事量が最も多いという十番隊である。
日番谷が普段、涼しい顔でこなしている仕事の量と質に、乱菊は改めて唖然とする。
いかに、乱菊に回ってくる作業が厳選された、数少ないものなのか。
過酷な仕事も少なくない指示書類の数々は、驚嘆というよりもショックでさえあった。
副官の乱菊にさえ回さないということは、これらの仕事は全て日番谷自身でこなしていたのだろうか。


「副隊長はいらっしゃいますでしょうか」
穏やかな声が入口から聞こえ、乱菊は振り返った。
礼儀ただしく部屋の外に立ち、両手を体の前で揃えていたのは、英国の紳士を思わせる風貌の隊士だった。
白いものがかなりの割合で混ざった短髪に、髭を生やした上品な男である。
笑い皺が、優しい印象をかもし出していた。

久徳玲一郎(きゅうとく れいいちろう)。
日番谷が全幅の信頼を置き、乱菊が「オジサマ」と呼んでなついている、十番隊の第三席である。
京楽や浮竹と共に真央霊術院で学んだ彼は、死神としての隊暦をほとんど十番隊ですごしてきた。
ゆえに十番隊のことも、死神全般のことも知り尽くしている、生き字引のような男だった。
上級の貴族出身だという話もあったが、日番谷も聞かないし本人も語らないため、真相は不明だった。

いつも微笑を絶やさない穏やかな気質といい、経験に裏打ちされた知識といい、
若き天才児が率いる十番隊には、欠くことのできない人材だった。


「あらオジサマ。何かしら?」
「隊長のことで、お客様が三名お見えですよ」
「適当に言って、出直してもらって」
「隊長がいらっしゃらないことは、お伝えしています。その上で、副隊長とお話ししたいと」
「え? 一体、誰」
「今は亡き佐伯・一柳・栗栖隊士の奥様でいらっしゃいます」
「……」
一体、どうしてこのタイミングで。つながりそうで、話がつながらない。
訝しげに見返してきた乱菊に、久徳は微笑を返した。
「お会いしたほうが、いいと思いますよ。おそらく今回の隊長の失踪にも、関係があるのではないでしょうか」
「……わかったわ。何がなんだか分からないけど、お通しして」
「承知いたしました」




コポコポ……と部屋の隅で音がして、急須の茶が器に注がれてゆく。
その緑色に透き通った液体の向こうで、4人の女性が向かい合っていた。
「なんですって……?」
隊首室に響き渡った大声に、久徳はわずかに手を止め、そちらを見やる。
「じゃあ、あの三人は涅隊長に陥れられて……滅却師の救援にわざと遅れて行ったってこと?」
「はい」
頷く三人の女性に、乱菊は唇を噛んだ。
重苦しい沈黙を中和するように、久徳が静かに、茶が満たされた器を4人の前においてゆく。
「では、私はこれで……」
「そこにいて」
すばやく飛んだ乱菊の声に、穏やかに頷く。影のように、部屋の隅に下がった。


どうしてその時に、あたしに言わなかったんだ。そう思っていた。
同郷の出身で、そろって人が良かった三人の顔と、目の前の三人の未亡人の顔が重なる。
きっと、言っても乱菊を苦しめるだけだと分かっていて、敢えて報告しなかったのだろう、とすぐに予想がついた。
乱菊は、隊長代理を務めていたと言っても、副隊長。
隊長である涅の命令に異を唱えれば、乱菊の立場の方が危うい。


「……その話を日番谷隊長に申し上げたのが、昨日です。今日が滅却師の命日であることも、お伝えしました。
『俺に任せておけ』そう言って形見の十字架を受け取られたのですが……その時の表情があまりに、思い詰めていらっしゃって。
心配になりまして、もう一度参りました。……日番谷隊長は、もう現世に行かれたのですね」
「……えぇ」
お前には関係ない。
日番谷にしては珍しいほど、突き放した口調で今朝言い放たれたことを思い出していた。
あれは、そういうことだったのか。今なら、その言葉にこめられた、優しさが理解できる。
乱菊は人知れず、机の下の拳をぎゅっと握りしめた。
しかし顔を上げた時には、微笑んでいた。


「ありがとう、知らせてくれて。でも、大丈夫ですから」
「でも……」
栗栖の未亡人が、唇を噛み締める。
久徳が乱菊を見つめる視線を感じながら、乱菊は続けた。
「その滅却師の孫のことなら、あたしも知ってるわ。きっと隊長は、彼に十字架を返しに向ったんだと思う。
隊長のことだから、全部自分が悪いみたいに言っちゃうかもしれないけど、雨竜は頭のいい子だもの。
隊長の責任じゃないって、きっと分かるはず。そして、傷つけたりはしないわ」

旅禍の中でも最も理性的だったその表情を思い出す。
それは確信に近い感情だった。石田雨竜は、日番谷冬獅郎を傷つけない。
どれほど過酷な状況だったとしても、二人の気質が、二人の衝突をさけるように思えた。



三人が何度も頭を下げて帰っていった後、乱菊はしばらく、椅子に腰掛けたまま動かなかった。
その背後に、久徳がゆっくりと歩み寄る。
「……お茶、淹れ直しましょうか?」
「ねぇ」
肩越しに見上げた瞳は、憂いを湛えている。
「こういう時、隊長ならどうすると思う?」
久徳は、あらかじめその質問を予想していたかのように、すぐに答えた。
「最も、亡くなられた方に誠実な行動を。そして、最も自分の不利益を厭わぬ行動を、取ろうとされるでしょう」
「……そうよね」
乱菊は頷きしばらく考え込んでいたが、不意に立ち上がった。




「失礼します! いないのは分かってますけど……」
日番谷の部屋の扉を、乱菊はそっと押し開けた。
主がいない部屋に立ち入るのはためらわれたが、この際仕方ない。
薄暗がりの中で、乱菊はすぐに自分の予想が間違っていなかったことを悟った。

「やっぱり、隊長ったら……」
唇を噛み締める。
そして、床の間の刀置きの上にあった、氷輪丸をそっと取り上げた。
ずっしりと重いその刀は、主の手を離れようと氷雪系最強の斬魂刀には違いない。
握っただけで、掌から駆け上ってくるような冷気に、ぞくりとする。


隊長に、届けなきゃ。
そっと刀を胸に抱く。
敢えて丸腰で謝罪に向った日番谷の行動は理解できるが、今の空座町は危険すぎるのだ。
いくら日番谷でも、丸腰で破面と出くわしたら、ただでは済まないだろう。

慌てて駆け出そうとしてハタと気づいたが、今の日番谷は霊圧を完全に消しているのだ。
懐から伝令神機を取り出そうとしたとき、乱菊はふと、机の上に広げてあった雑記帳に視線を落とした。

「この字……栗栖のだわ」
しゃがみこみ、乱れひとつない端正な筆跡に視線を走らせる。



六月二十一日。日記は、その日付で始まっていた。

六月二十一日
滅却師殿の気配が遂に、十二番隊から完全に消滅した。
彼の死因を作りながら、その魂を救うこともできなかった。
彼は、最後まで死神と滅却師の共存の道を模索していた、尊敬に足る男だったという。
俺は、死神として失格だ。悔やんでも悔やんでも、悔やみきれぬ。

七月二日
次の任務の敵は、予想よりもずっと強い。
上長に報告し交代してもらうべきだが、この三人がこの任務に就いたこと自体、運命なのだろう。
死神失格。それでも死ぬことでしか、死神からは逃れられず、罪はあがなえないのだから。



「栗栖……あんた」
血を吐くような言葉の羅列に、乱菊は思わず口元を押さえていた。
誰よりも人に優しい死神であろうとした、彼の穏やかな表情が、昨日会ったばかりのように脳裏に鮮やかに甦る。
優しいと同時に、自分に厳しい男だった。
諸刃の剣のように、その厳しさは自分を傷つけるのではないか……
かつて思った乱菊の懸念は、最悪の形で現実となった。

死神、失格。
自分を切り捨てるようなその筆跡から、乱菊はしばらく、視線を離せずにいた。


パラパラと日記をめくっていた乱菊の指が、最後のページで止まった。
別人のような殴り書きの文字が目に留まったのだ。
日付は、七月十日。栗栖たち三隊士が、命を落とした日だ。
書いている最中に涙を流したのだろう。
ぐしゃぐしゃに紙は乱れ、文字がところどころ滲んでいた。

「……」
乱菊は、その場に森閑と固まったまま、日記を見下ろしていた。
何かに祈るように、そのたおやかな指を組み合わせたまま。




「……松本副隊長」
入口に立った久徳が、薄暗い部屋の中で机に肘をついた、乱菊に声をかけた。
「……なぁに」
「隊長の机の上に、こんな書類を見つけました。亡くなった宗弦の息子で、雨竜の父親にあたる男……石田竜弦について、です」
「……竜弦?」
「現役からは退いているようですが、彼もまた滅却師です。しかも、その力は息子や父親の比ではありません。
隊長格をも凌ぐ可能性があります。斬魂刀を持たない隊長では、勝ち目はありません」
「なんですって……?」
乱菊は思わず、立ち上がった。
滅却師の生き残りが他にもいたことに、驚いたわけではない。
「隊長は、それを知りながら丸腰で現世に行ったってこと?」
「……そうなります」


なんてことを。乱菊は伝令神機を取り出し、日番谷に電話をかける。
「……電源、切ってるわね」
最も、自分の不利益を厭わぬ行動を。冗談じゃない、と乱菊は唇をかみ締める。
日番谷は、自分がどうなろうが自分の勝手だと思っているのかもしれない。
でも彼は知らないのだ。日番谷が傷ついたら、どれほどに部下がそれを悲しむか。
そろそろ、それを知らなければいけない時期だと乱菊は思う。彼女は久徳を見上げた。
「留守を頼んでもいいかしら?」
「もちろんです。隊長をお願いします」
即座に頷き返し、乱菊はその場を後にした。



久徳玲一郎は言うまでもないですがオリキャラです。
パパ、お姉さん、子供って感じの家族みたいな三人だったらいいな〜、と思う存分妄想!

[2009年 7月 8日]