「日番谷冬獅郎」
名前は何だよ。そう尋ねたら、必要最小限の返事を死神は寄こした。
そして、電源を切った携帯電話のようなものをポケットにしまう。そしてリリネットを見返した。
「なんだよ、その何かを期待したような沈黙は」
「……。名乗った後は、名前を聞き返さない? 普通」
「興味ねぇ」
心の底からどうでもよさそうに、ストローで音を立てながらアイスティーを飲む姿に、リリネットはプルプルと震えた。
「あんた、自分の立場分かってんの? あたしにカツアゲされたんだぞ。で、あたしは今まだ目の前にいるってのに何、その態度」
破面を前にして抵抗するでも逃げるでもなく、あっさりと従った少年を見返す。

場所は、マクドナルドの外に設けられている、オープン席である。
二人は、さきほどからハンバーガーセットを前に、向かい合って座っていた。
「そのことなんだが、おい破面」
「リリネットだ!」
「お前、なんで俺と差し向かいで食ってんだ。他にも席空いてるだろうが。そっち行けよ」
じろ、と翡翠色の瞳で見返してくる日番谷に、リリネットは胸を張った。
「追加で食いたくなったら、タカれないじゃん」
そう返しながら、苦……と顔をしかめコーヒーを一口飲む。
「破面って、そんなに貧乏なのかよ?」
三番の番号札を指先でくるくる回しながら、日番谷が呆れたように見返す。
「バカにすんな、金を忘れたんだよ」
「バカじゃねぇの」
「うっさい!」
感情を逆撫でして憚らない少年に、リリネットはドン! と拳でテーブルを叩いた。

「ケンカ売ってんなら買うぞ! どっちが上か、思い知らせてやる」
自分だって、十刃なのだ。こんな半人前の死神に、負ける謂れはない。
日番谷はそんなリリネットを見返し、しばらく無言だった。そして、不意に右手を上げる。
やる気か? 身構えるリリネットの前で、日番谷が言葉を発した。
「あ、三番こっちです。あと、砂糖を追加でひとつ」
「はい! かしこまりました。こちら追加のお砂糖になります」
ハワイアンバーガーのセットを盆に載せた、スマイル0円のお姉さんが、リリネットに砂糖を差し出す。
どうやら、コーヒーと格闘しているのを見抜かれていたらしい。
しばらく憮然としていたリリネットだが、結局砂糖を受け取った。
「食えば」
日番谷に促され、釈然としないながらもハンバーガーに手を伸ばす。
一息ついた後、テーブルに肘をついて、この生意気な少年を見つめた。

「何だよ?」
ポテトを口に運びながら、視線に気づいた日番谷が胡散くさげな視線を向けてくる。
「……あんた、仲間から聞いてた死神と、違う」
それは、リリネットの本音だった。
死神といえば黒髪黒目で、黒い着物に身を包んでいる陰気くさい連中だと聞いていた。
でもこの少年の髪はまぶしいくらいの銀色だし、目は深い青色だ。
「死」のイメージは全くなく、雪や海みたいな、自然界にある明るく澄んだ印象だった。
どちらかというと、この色合いは破面に近いと思う。

「そりゃ、死神っても色々だ」
日番谷は何気なく返してきたが、この平凡な会話は変だと思う。
死神と破面は敵同士。死神は、破面と見れば襲い掛かってくるものだと思っていた。
魂の輪廻を護るだか知らないが、大義名分を振りかざして機械みたいに淡々と襲ってくるイメージがある。
幼い頃のリリネットは、見たこともない「死神」の悪夢にうなされたものだった。
こんな風に、普通に会話を交わす日が来るなんて、嘘みたいだ。

「見習いだから、違うのか?」
殻になった砂糖の袋を手慰みに折りたたみながら呟いた言葉に、ピク、と日番谷が眉を動かした。
「あ? 誰が見習いだと?」
「半人前でしょ? どう見ても。大体、刀も持ってないじゃん」
日番谷はあぁ、と初めてそれを思い出したような顔をした。
「お前こそ、半人前だろうが」
言い返され、カチンとくる。あたしはNO.1刃の従属官だ! と言ってやりたいが、さすがにそこまで短慮になれない。
「なんだと、やるか? 死神なんて、正義ヅラで破面を斬ろうとしてさ。大嫌い」
「それが俺達の仕事だ」
「しごと……」
淡々と言った日番谷に、リリネットは唇をかみ締める。
仕事、なんてつまらないもののために、一体何人の破面が「殺された」と思っているのだ。

「……あんた達はさ。虚とか破面を斬り殺して、嬉しいの? 魂をまた一つ浄化したって、いいことしたって思うの?
そりゃ、死神にとっては、あたし達はただの成仏できない魂の集まりなのかもしれないけどさ。
破面だって一人ひとり心があるし、それぞれ生きてるつもりだよ。なんの権利があって『殺す』のさ」
翡翠色の大きな瞳が見開かれ、リリネットをじっと見つめてくる。リリネットは負けじと見返した。

日番谷はしばらく、その問いには無言だった。しばらくして、バリバリと後頭部を掻いた。
「……なんか今日は、この手の会話が多いな。調子が狂うぜ」
「なんの話?」
「こっちの話だ」
日番谷はそれだけ言うと、空になった容器をトレイの上にざっと集め、立ち上がった。
「おい! ちゃんと答えろよ」
「……死神だって同じだ」
「は?」
「死神だって、一人ひとり心があるし、生きているつもりだ」
リリネットはつかの間黙り、日番谷の言っている言葉の意味を考えた。
その間にも日番谷はテーブルの上を片付け、リリネットに背を向ける。

「! おい!」
リリネットは無意識に手を伸ばし、その袖を捕まえて引き止める。
日番谷は驚いたように振り返ってリリネットを見下ろした。
少し迷っているようだったが、口を開く。
「……ひとつ、忠告しといてやる。この街で、そのうち死神と破面の戦争が起こる。
虚圏に帰れ。そして、二度とここには来るんじゃねぇぞ」
あぁ、とリリネットは目を見張る。
確かに虚圏では、ちゃくちゃくと戦いの準備が進んでいる。
二度と来ないどころか、戦争が始まれば真っ先に、スタークと共にこの地に乗り込むはずだ。

「……分かった」
リリネットはしばらくして、頷いた。
「あんたこそ、さっさと死神の世界に帰りなよ」
殺したくないな、とチラリと思う。そして自分の考えに驚く。
わずかに微笑んで、リリネットは日番谷の袖を掴んだ指を離した。
「じゃあな」
「ああ、じゃあな」
そう返した日番谷の口元が、わずかに微笑んでいる気がした。
ああ、死神だって笑えるんじゃないか。そうリリネットが思った時。


たんっ


テーブルの上に響いた軽い音に、日番谷とリリネットは弾かれたように振り返った。
誰かが近寄ってきた気配に、全く気づかなかった。
見上げた先には、栗色の髪で、冷たい瞳をした男がいた。
その長い指を、テーブルの上についた体勢で、男は二人を見下ろした。

その男の目を覗きこんだ瞬間、ぞくりとした。
無表情の瞳の中には、冷たく暗い炎が燃えている。
「憤怒」と名づけてもいいような、感情が。
そしてその視線は、まっすぐに日番谷を貫いていた。


「……石田竜弦か」
返した日番谷の声は、落ち着いている。
その瞳は、怒りも怯えも映していない。
二人の男は共に整った、人形のような顔立ちをしている。
でも、その雰囲気は動と静。全く異なっていた。

「死神は、私の存在を把握していないと思っていたがな」
竜弦はさらりと日番谷を「死神」と呼ぶと、リリネットには目もくれずに、胸ポケットに手を突っ込んだ。
銀色の輝きが零れ、リリネットは目を見張る。
「貴様が、これをもってきた死神か?」
古びているが、輝きを失っていない十字架が、その手には握られていた。
それを見返した日番谷が、怪訝そうに眉を顰める。
「どうしてお前がそれを持っている?」
「質問しているのは私だ」
怜悧な瞳が、すれ違う。数拍の沈黙の後、日番谷が頷いた。


「来てもらおうか」
そのまま竜弦は背中を返し、通りに歩き出した。
「なんだよ、お前……」
あたしを無視するとは何事だ。立ち上がったリリネットを、日番谷が掌を伸ばして静止する。
「馬鹿、やめろ」
「あいつナニモンだよ!」
「滅却師。その辺の死神じゃ比較にならないほど強ぇぞ。もちろんお前より」
「あんたは勝てるのかよ?」
日番谷は答えなかった。その視線は、通りに出た竜弦を追っている。
ゆっくりと立ち上がった日番谷の肩を、リリネットが掴む。

「何だ、破面」
「リリネットだっつってんだろ。あんた、刀もないのに勝てんの?」
「無理だな」
あまりにさらりと言い放たれ、リリネットは絶句する。
「でも、俺はあいつと戦うつもりはねぇ」
「あんたになくても、あいつは殺す気まんまんだったぞ!」
「俺達死神は、過ちを犯した。過ちは、償わなきゃいけねぇ」
「償うって……ちょっ、待ちなって!」
「一体何を焦ってんだ?」
日番谷は、その涼しげな翡翠色の瞳でリリネットを見返した。
「お前は破面。死神の俺を心配する必要が?」
ぐっ、とリリネットは言葉に詰まる。
そうだ。あたしは一体何をしているんだろう。
スタークには、死神には気をつけろ、と耳にタコができるほど言われているはずなのに。
「……」
するり、とその手が日番谷の肩から離れた。

「死神には、殺されんなよ」
パシャッ、と水音を立て、水溜りをブーツの足が踏む。
声をかけようとしたが、その時には日番谷は竜弦のあとを追っていた。

「……なんだよ」
二人が消えた後の通りを見つめながら、唇を噛み締める。
「お前こそ、破面のあたしを心配してる場合かよ……」
ポツリと呟いた声は、その場に取り残された。