それは、大地から天空へと立ち上る、まばゆい光の柱。
消えない雷のように激しく、虹のように儚い。
光の燐粉が、漆黒の雲が渦巻く空に、ちらほらと舞っていた。
光の柱は消えず、煌々と空を貫いている。
俺は、激しく体を揺さぶられながら、その光をぼぅと見つめていた。
ぜぇ、ぜぇ、と激しい息遣いが耳を打つ。
俺を肩に担いだ男は一心不乱に、光の柱から離れるため走っているのだ。
そして、かの男は喘ぐ息の合間から、途切れ途切れの叫びを漏らした。
獣のように、赤子のように。
泣いているのだ。慟哭している――
何を泣く? 何を逃げているんだ。
俺は悲しくなんてない。
辛くも、恐ろしくもない。
ただ揺さぶられたせいだろうか、体の中が熱いんだ。
まるで体の中に、別の生き物が息づいているようだ。
ぞろりと、それがまた、蠢いた。
***
「……隊長。日番谷隊長?」
頭上から投げかけられた呼びかけに、徐々に意識を呼び起こされる。
目を開けて真っ先に目に入ったのは、長椅子の背に手を掛け、自分を見下ろす見慣れた副官の顔だった。
彼女の長い金髪が、さらりと落ちて日番谷の肩に軽く触れている。
窓から斜めに差し込む夕日がまともに顔に差し込み、日番谷は目をしかめて長椅子から身を起こした。
一体いつの間に眠り込んでいたのか、中途半端に寝入ったせいか身体が気だるい。
「……悪ぃ。寝てた」
乱菊に、仕事中に居眠りするなと数知れず怒鳴っていながら、これでは立場が逆だ。
「隊長ったら」
乱菊は苦笑しながら、隊首羽織の背中に寄った皺を手で伸ばそうとする。
「そこはあたしの寝る席じゃないですか」
「ああ……って、さりげなく何言ってやがる。ここはお前の寝床じゃねぇぞ」
とは言ったが、自分の寝床でもないから、堂々と言えた口ではない。
はぁい、とどこか甘い口調で返す乱菊の横顔が、茜色に染まっている。
空気はひんやりと冷えていたが、窓からは昼間の名残か、暖かい空気が流れて来る。かすかに花の香りがした。
春なのか。不意に、忘れていたそんなことを思う。
立ち上がり、隊首席に置き忘れられたように置いてあった湯呑を手に取ろうとすると、
「淹れ直しますね。おいしいお茶を七緒からもらったんです」
とさりげなく横から取られた。給湯室に去って行く背中に、声を掛ける。
「悪ぃな」
「いいえ」
一瞬、指先に触れた湯呑は、氷のように冷え切っていた。
それだけで、乱菊が一体どれくらいの間、黙って自分を眠らせていたか想像がつくというものだ。
気遣いなんて似合わないことすんな、と言葉が口をつきかけたが、止めた。
こぽこぽ、と給湯室から音がこぼれる。
「……珍しいですね、隊首室で寝込むなんて」
盆に急須と湯呑、そして小皿に入った甘納豆を載せて乱菊が現れる。何気ない口調で続けた。
「うなされてましたよ? さっき」
「え?」
意外な言葉だった。湯呑を受け取りながら、思わず乱菊の顔をまじまじと見る。
「俺がか?」
「そう、俺です、俺」
乱菊は日番谷の口調を真似て言い返すと、日番谷を指差した。
「何か言ってたか?」
「いいえ。でも何だか、ひどく苦しそうで。だから、起こしちゃったんですけど」
日番谷は無言で首を傾げ、甘納豆をひとつ、口に放り込んだ。そして香り高く熱い液体をぐいっと飲み込む。
「……覚えてねぇな」
大体、どんな悪夢よりも、自分たちが直面している現実のほうが今は過酷だ。
「まあ、覚えてないくらいだったらいいんですけど。……疲れてるんじゃないですか?」
「他のオッサン連中じゃねぇんだ、疲れてなんかねぇよ」
事実だった。一カ月ほど前、瀕死の重傷を負った体は、今は全快している。
怪我は日番谷より浅いものの、霊圧を大量に放出した他の隊長の方が、むしろ回復は遅いくらいだった。
「また、そんなこと言って。他の隊長たちが聞いたら怒りますよ」
言葉の割には、乱菊の口調は軽い。
茶をぐいっと飲み干すと、ようやく頭が明瞭に働くようになってきた。改めて、日番谷は副官を見返した。
「そんなことより、俺が寝てる間、誰か遣いが来たか? 臨時隊首会の招集とか」
「いえ、特に今日は」
「珍しいな」
そう返した時だった。不意にどこかで、鈴が鳴るような涼やかな音がした。
「げ。噂をすれば」
乱菊が、窓の外にふわりと現れた地獄蝶を見て眉をひそめる。
「追っ払いましょうか?」
「阿呆。そりゃまずいだろ」
大体、あれを追っ払ったくらいで隊首会はなくならない。
身体の重さがないように軽々と漂ってきた黒揚羽は、春風に乗せられてふわりと部屋の中に舞い込む。
腕を伸ばした日番谷の指先に、音も重さもなく舞い降りた。
「何事だ」
地獄蝶は、流魂街の中で伝令に使われる遣い魔の一種である。
日番谷が声を掛けると、機械のような抑揚がない声が蝶から流れ出した。
「日番谷隊長に、臨時隊首会のご連絡です。これより、一番隊の隊首室までお越しくださいますよう願います」
「分かった」
「確かに、お伝え致しました」
それだけ伝えると、ただの虫に戻ったかのようにまた、ふわりと宙を舞う。
ふぅ、と乱菊が息をつく。そして、隊首机の奥の刀留めに置いていた氷輪丸を手に取り、日番谷に差し出した。
瀞霊廷に常時帯刀令が下りて、もう40日以上になる。ここ百年間、一度もなかったことだという。
「滅多にないことばっかりですよね。40日以上続く帯刀令。連日の臨時隊首会。そして……隊長の昼寝」
「お前そのネタ、いつまで引っ張るつもりだ」
「忘れるまでです」
「お前な。……隊首会が終わるまで、待たなくていいぞ。お前は先に上がれ」
連日、散会が深夜になることも多いのだ。待っている方が身体を壊す。
「……でも」
いつもなら手放しで喜ぶ乱菊が、氷輪丸を手にしたまま、歯切れ悪く黙っている。
気になるのだろう。隊首会で、一体何が話し合われ、決められるのか。
ここのところ、物思いにふけることが多くなった彼女の姿を、ふと思い出す。
「……もし隊首会が早く終わったら、飯でも食いに行くか」
「ホントですか! 珍しい、隊長が誘ってくれるなんて」
満面の笑みを浮かべた乱菊が、一瞬「あ」という顔をした。
「……給料日前のお前に、金がないことは分かってる」
「オゴリですか!? もう〜〜、大好きです、たいちょ♪」
「こんな時ばっかり調子がいいこと言うな」
「あたしはいつだって隊長のことが好きですよ? 毎日だって言いますよ、お望みなら」
「言わんでいい」
心の底に、澱のように不安が溜まってゆくのを感じながらも、決して底を掻きまわして、互いに濁りを見せあおうとはしない。
自分が表面でも平静を保っていられるのは、護らなければいけないこの部下達がいるからかもしれない、と不意に思った。
今ここで、揺らぐ訳にはいかない。
かつて、幼かった自分に「誰かを護って戦う」という選択肢をくれた、この副官のためにも。
「ありがとう」
乱菊が差しだした氷輪丸の柄を握る。いつもと同じ、冷たいが、がっしりと掌におさまる柄糸の感触が掌を撫でる。
―― ?
その瞬間思わず、日番谷は一旦握った手を離した。
「どうかしました?」
「……いや、なんでも」
握ったとたん、何だか胸の中でなにかがぞろり、と蠢いたような気がしたのだ。
覚えがかすかにある感覚だが、思い出せない。きな臭い予感がふっと頭をよぎったが、それも夢のように消えた。
* last update:2012/6/20