瀞霊廷の大通りは、夕焼けに煌々と照らされていた。
延々と続く建物群の向こうに、高く張り巡らされた城壁が見える。
その更に向こうに、朱色の太陽が、今まさに沈もうとしていた。

切れ切れの雲が、影のように太陽の周囲に漂っている。
なるほど、白いものも更に明るいものが在れば、闇になるのだ。
一番隊舎に向かう大通りの左右には、白壁・黒瓦の隊舎が整然と並んでいる。
通りには、上下を黒で固めた死神たちが、行き交う。
唯一茜色に染まらない黒い姿が、スイッ、スイッとすれ違う様は、まるで影絵のようだった。

仕事を終えた第一陣の足取りは昼間に比べると穏やかで、談笑も漏れる。
「あっ、日番谷隊長、お疲れ様です!」
「日番谷隊長、お先に失礼します!」
同僚で連れ立ち、夕飯を食べにゆく部下たち。
甘味処の前にたむろしている、若い女死神たち。
どの顔にも、暗い影は微塵も無い。
何千年も続いた平和な時代が、まさか壊れようとは、夢にも思っていない表情で。


あれほどのことが、あったのに。


上層部以外の死神は、あの大事件の「真相」を知らされていない。
―― 紙一重の平和、か。
皮膚に当てられた一枚の刃に、気がつかないのは幸せか。

 

まるで何かに審判を下すように巨大な、一番隊の門の前に辿り着く。
そこには、襷(たすき)がけで帯刀した、門番を勤める隊士たちが一分の隙もなく立ち並んでいた。
「日番谷隊長! お疲れ様です」
日番谷が姿を見せると同時に、速やかに波のような動きで頭を下げた。
軽く視線で挨拶を返すと、重々しい音を響かせ、門が開かれるのを見守る。
―― 人を何時間閉じ込める気だか。
当然ながら、気は重かった。


護廷十三隊。
生から死へ輪廻する、人の魂魄の監視者「死神」を統括する機関の名だ。
悪しき魂「虚」など、輪廻を乱す者には戦闘も辞さない、戦いに特化した部隊。
その本拠地「瀞霊廷」を未曾有の事件が襲ったのは、一ヶ月前のことだった。

旅禍の侵入に端を発した事件は、五番隊隊長・藍染の殺害という思わぬ展開を見せた。
当初描かれたのは、藍染を殺したのは旅禍の仕業で、旅禍の拘束によって騒動は収まるというシナリオ。
でも歯車は、死神の思いの外で動いた。
フタを開けてみれば、元凶は藍染を含めた隊長3名にあるという体たらく。
留めることもできず、おめおめと目の前で虚圏へ脱出するのを許してしまった。
後に残されたのは、疑念のままに同士討ちを重ねた、セミの抜け殻のような「護廷十三隊」だった。

これから集まる護廷の隊長たちは、隊長と隊長、副隊長と副隊長が刃を交わした傷跡から、いまだ復帰していない。
それぞれが、それぞれの挫折を味わった事件だった。

 *

―― 「日番谷隊長。おぬし、一時期は誰よりも真実に迫りながら、なぜ読み間違えた」
藍染達が虚圏へ去り、仮初の平穏が訪れた後のことだった。入院していた日番谷を見舞った総隊長に、ポツリとそう言われたのを思い出す。
―― 「儂は常々、おぬしの頭脳を買っておる。しかし、『ある者』が関わると、判断力が狂うようじゃの」
その口調は穏やかでありながら、視線は一挙一動も見逃さないとでもいうように、鋭く日番谷に向けられている。
―― 「俺は……」
次に向けられる言葉を察し、声を上げた日番谷を、総隊長は意図的に遮った。
―― 「雛森副隊長とは距離を空けよ、日番谷隊長。次は、命取りになるぞ」
とっさに怒りがこみ上げ、衝動的に身を起こそうとした時、総隊長に怪我をしていないほうの肩をぐっと掴まれた。
その掌の重みと温かさが、まだ肩に残っている。言葉では伝わらぬ、そう思ったからこそ、掌で伝えようとした思いに気づかないほど鈍くはない。

―― 「……邪魔をしたの。今は、ゆっくり休むがよい」
掌を脇に落とした総隊長は、突然年老いたかのように弱弱しく見えた。この百戦錬磨の総隊長でさえ、苦しんでいる。
―― 「総隊長」
立ち去りかけた背中に、日番谷は呼びかけた。

 *

物思いにふけっている間に、一番隊隊首室の扉の前まで辿りついていた。
廊下には重厚な花崗岩の台が置かれ、その上には二つの花瓶が据えられている。
そして花瓶には、色も匂いも形も違う花が活けられていた。椿、金盞花、馬酔木、水仙。
護廷十三隊の隊花を集めたそれは、合計で十三種類になる。
隊首会に出席した隊長は、自分の出席の証に、左の花瓶に活けられた自らの隊花を右の花瓶に移す。
隊首会中の入室を認められない、副隊長以下の隊士のために、はるか昔つくられた習慣だった。

この花々を準備した平隊士は、三人の隊長の離反を知らない。
日番谷は無言のまま、馬酔木を見下ろした。
鈴蘭のような形の可憐な花弁をつけた、すみれ色のひと房は、優しげな外見に似合わず毒を持っている。
あの藍染の隊花がこの花とは、なんとも皮肉だった。

何の疑いもなく、藍染を尊敬すらしていた頃があった。
雛森が隣にいるにふさわしい男だと認めていた。裏で刃を研いでいたとも知らずに――
―― 「殺します」
あの時、病室を立ち去りかけた総隊長の背中に、日番谷はそう言ったのだった。
総隊長は、ゆっくりと振り返った。
―― 「殺すとな。誰を」
―― 「藍染を、俺がこの手で殺します」
死神たるもの、護るためにのみ刃を振るうべき。かつての自分は、それを当然のことと思っていた。
それなのにあの時、日番谷は死神になって初めて、心の底から誰かを殺したいと願った。
その結果なにが起ころうが、決して後悔しないという、暗い確信があった。
―― 「相手を殺したいと願えば、己をも死地に追い込むことになるぞ」
―― 「構いません。それで藍染を滅ぼせるなら」
分からない、と思う。なぜあの時、総隊長はあんなに、悲しそうな顔をしたのだろう?

鳥が鋭い一声を上げ、庭に直線を描き飛んでゆく。ふ、と日番谷は我に帰った。
馬酔木、金盞花、白罌粟。総隊長の菊と並び、二度と来ない主を淋しげに待っている。
日番谷は手にした水仙を右の花瓶に移すと、残りの花をそのままに、隊首室に足を踏み入れた。





* last update:2012/6/20