それから、三十分後。隊首室には、水を打ったような沈黙が広がっていた。
隊長たちの前には巨大なモニターが運び込まれ、全員の視線は話し続ける涅と、モニターに向けられている。
「……戦略の説明は以上だヨ。質問がある者はいるかネ?」
小一時間、ほぼ止まることなく話し続けた涅は、機械じみた動きでくるりと隊長達を振り返った。

「……は!」
質問の代わりに、更木が笑声を響かせた。
「なんて弱気な策だ、笑わせるぜ。相手が破面だろうが藍染だろうが、生き物だから殺せんだろ?」
「ハッ、剣を振り回すしか能がない奴が、吹いてくれるんじゃないか。自分にはできない、の間違いじゃないのかネ」
嫌悪感をむき出しにして二人がにらみ合う。質問をする気も、答える気もなさそうだった。
「やめんか。山本総隊長の御前だ」
睨みあう更木と涅の間に、狛村が巨体をズイと差し入れた。
「なんだてめぇ。そんなでかい図体で、こんな情けねぇ案を受け入れるつもりかよ」
「体格は関係はない」
噛みついた更木に、狛村はあくまで朴訥に返した。
「それが総隊長の決断なら、儂は従うまでだ」
「与えられた任務の遂行こそが、死神の矜持。しのごの言うな」
砕蜂はきびきびとした口調でそう言い放つと、総隊長を見やる。
他に話がないのなら、すぐに準備に入るとでも言いたそうな態度だった。

ふぅむ、と京楽が顎を掻いた。
「その作戦が完璧にうまく行けば、僕ら隊長が全滅の憂き目を見る代わりに、瀞霊廷の死神は皆殺しにはならずに済むわけか。でもなーんか、釈然としないんだよねぇ」
その場に似合わぬ、のんびりとした声で会話に割り込んだ彼に、その場の視線が集まる。
「素朴な疑問なんだけどさ山爺、話の中に一度も王廷の動向が出てこないのは何故だい?
自分達の王様が狙われてるっていうのに気づいてない……なんてことは、ありえないよねぇ」
一瞬だが、総隊長の表情が強張る。京楽は底光りのする目で見返しながら続けた。
「本来、破面なんてのは王属特務の管轄だ。なのに今回は知らぬ存ぜぬを決め込んでるのかい?
死神が、王廷を護るために体を張って涙ぐましい努力をしてるってのにさ。あまりに、血も涙もないじゃない」
「王廷の手を煩わせる気はない! 敵の首謀者は藍染――元死神なのじゃぞ」
「『煩わせる気はない』? 微妙な表現だなぁ、山じ……いや、総隊長。助力は期待できない、の間違いじゃないですか?」
「……何が言いたいのじゃ、京楽隊長」
あの、いつも飄々としている京楽が、総隊長を問い詰めている。
眼は笑っていない京楽と、余計なことを言うとただではおかない、と暗に圧力をかける総隊長の気迫がせめぎ合う。
ぴん、とその場の空気が張りつめた。

日番谷は、心に浮かんだ通りを口にする。
「俺達が、滅びたなら滅びたでかまわないと思ってんじゃないですか」
ぶっ、と京楽が吹いた。率直すぎるよ、とぼやく。
「自分が何を言っているのか分かっているのか! 不遜がすぎるぞ、日番谷!」
一拍置いて、総隊長が一喝する。
ビシッ、と音を立て、隊首室の窓に罅(ひび)がはいった。
この老隊長が、本気で怒りを見せることなど、ほとんどない。隊長の間にも緊張がはしった。
「俺たちの命を盾にするような奴らを、なぜ死神が守る必要が?」
「……今の言葉は聞き捨てならん。撤回せよ、日番谷隊長」
「しません」
まぁまぁ、と京楽が割って入るが、日番谷は総隊長の目を見据えたままだった。
「死ぬのは構いません。死神になる時に覚悟していたことだ。ただ俺は、王廷よりも瀞霊廷を護ることを優先させてもらう。
死神として瀞霊廷を護り、死神として死ぬ。それが俺の望みだ」

不遜だ、と言われることには慣れていた。
未熟すぎる外見のせいか、自分の態度のせいか、多分両方だろう。
ただ、自分の信念を貫くことが「不遜」だとされるのなら、自分は不遜で構わない、そう思う。
「ほんとうかい?」
不意に、言葉が頭の上から降って来た。見上げれば、京楽が編笠を指先で支えながら、日番谷を見下ろしていた。
「死んでもいいと、本当に思っているのかい? 君はまだ若すぎる。僕ら長老組とは違ってね」
そう言った時の視線に、まるで親のような労りが見えて、日番谷は一瞬、返す言葉に詰まった。
「……かまわねぇよ」
本心だった。いくら心の中を探っても、自分の命への執着は見つからなかった。俺は淡白なんだろうか、とふと思う。
「ふん。生意気な言い方は気に食わないが、一部は賛成だネ。そもそも、王廷と我々の間には、もうかつてのような繋がりはない。
これを機に、瀞霊廷の支配は死神にお任せいただければ幸いだヨ」
「そうじゃないんだ、君たちは――」
浮竹が、日番谷と涅を交互に見やり、珍しく次の言葉に迷った。
「君たちは、知らないんだ。藍染が生み出そうとしているというヴァストローデ……最強の破面の、向き合うだけで身の毛がよだつほどの強さをね」

ヴァストローデ、と日番谷は口の中で呟いた。知識としては知っているが、確かに対峙したことはない。
隊長よりも強い、と明言されているのだ。つまりそれは、死神には勝てる者がいない、ということに等しい。
「け、情けねぇな。これだから年寄り連中は嫌なんだ。てめぇのケツを他人に拭かせようってのか」
「くだらぬ議論だ」
熱しかけた空気に、白哉が水を差す。すかさず涅が言い返した。
「くだらないだと? じゃあ、持論を披露したらどうだネ? 朽木隊長。君が隊首会で二言以上の音声を発したのを聞いた記憶がないのだがネ?」
思わず京楽が吹きだし、総隊長と白哉に同時に睨まれてかみ殺した。

議論は、大きく二分している。
涅の案を受け入れ、断固戦うべきと主張する比較的若い隊長と、否定はしないものの避けようとしている年長の隊長と。
年の功を信じるほど日番谷は殊勝ではないが、それでも京楽や浮竹が自分よりも経験豊かで、臆病者ではないことを知っている。
ヴァストローデの勢力は、彼らが言うのなら、おそらく自分の想像以上なのだろう。
ただ勝敗とは全く別のところで、それほど強いなら戦ってみたいと思いもする。不謹慎だと言われるのだろうが。
日番谷はちらり、と卯ノ花を見やった。総隊長に次ぐ古参である彼女が、どのような意見を持っているのかと思ったのだ。

卯ノ花は日番谷の視線に気づくと、にっこりとほほ笑んだ。
「『年寄り連中』の私の意見が気になると?」
「い……いえ」
思わず、心持ち身を引いた。
「そうでしょうとも」
それほど卯ノ花の目は笑っていなかった。
「それなら申しましょう。もはや、議論をしている段階ではありません。総隊長が承認された戦略を粛々と遂行するのが、今できる最善と考えます」
その言葉に対する反論はなかった。
絶体絶命だと嘆いている場合ではないのだ。隊長の代わりに戦える者など、瀞霊廷にはいないのだから。
隊長は、元々たった一人でも一戦隊ほどの戦力を持っている故に、協調はしてこなかった。
しかし、自分より強い敵を目の当たりにして初めて、遅ればせながらも少しずつ、歩み寄ろうとしている。

「それでは、話を初めに戻すとするかネ。さっき私が説明した策について、質問はあるかネ?
もっとも、理解できない、などという間の抜けた質問を受け付ける気はないがネ」
「無い」
「ねぇよ」
「別にない」
涅の問いかけに、白哉、更木、砕蜂がほぼ同時に答えた。
更木に関しては、おそらく「戦える」ということしか腹に落ちていないだろうが、この男には、その理解で問題ないだろう。
この場にいる誰も試したことがない戦法なのだ。結局土壇場になってみなければ何も分かるまい。

総隊長はひとつ、深く長い溜息をもらした。
護廷十三隊の長い歴史の中で、隊長全員の殉職命令を出したのは、この総隊長が最初だろう。
今この瞬間に、その命令が確定したのだ。あたりはしん、と静まり返った。
その静けさは、自分たちがいなくなった後のこの隊首室の静寂を思わせた。
「……それでは、話を進める。京楽、浮竹。お主らの隊は鬼道に優れておる。即刻、全員を集めよ。そして、破面の襲撃に備え、瀞霊廷の周囲の結界を強化せよ。
他の隊も、隊士を瀞霊廷にて待機させよ。今回の戦争についてどこまで部下に共有するかは、各々の判断に任せる」
「はっ!」
隊長たちは打てば響くように返した。浮竹が一歩歩み出る。
「……何じゃ」
「瀞霊廷に入れないと知れば、破面は現世に現れる可能性があります。となればあまりに手薄……俺が現世に行きましょうか」
重霊地である空座町は浮竹の管轄だ。あの黒崎一護を擁していることもあり、気にするのは当然のことだった。ふむ、と総隊長は顎鬚をひねる。
「おそらく、現世が最初の戦場となるじゃろうな。連戦に次ぐ連戦になり兼ねんが……」
その視線が隊長たちの間を泳ぎ、日番谷の前でぴたりと止まった。
「お主が一番臨機応変に動けそうじゃの。初動部隊としてお主が行け、日番谷隊長」
要は何が起こるか分からないが対応しろと言う事か。日番谷の顔がひきつるのをよそに、総隊長はひとつ頷いた。
「誰でも連れてゆくがよい。そして、現世の黒崎一護と連携し、敵の動向を探れ。
……加えて、浦原喜助に直接会い、崩玉の真の力について情報を引き出してくれぬか」
「……会ったこともないですが」
思わず口調がぼやき気味になった。総隊長からの再三の使者にも応じないという浦原喜助が、初めて会う自分に本音を漏らすとも思えなかった。
本気で腹を割って話がしたいなら、浦原と付き合いの長い他の隊長を行かせればいいものを。
日番谷がそう言うと、総隊長は意外そうに見返して来た。
「瀞霊廷を護るために死ねるのじゃろう? それくらいは朝飯前の筈じゃ」
このジジイ……と漏れそうになった暴言は、さすがに喉の奥に押し込めた。


それからは珍しく、議論らしい議論もなく、ほどなくその場は散会となった。
やはり皆、早く一人になって今後の身の振り方など考えたかったのかもしれない。


***


隊首会が終わった直後、浮竹・京楽・卯ノ花が総隊長に近寄るのを横目に見ながら、日番谷はその場を後にしていた。
乱菊との約束があったし、やはり今しがた言われたことに対して、考えを整理しておきたかった。

―― 意外と、何も思わないもんだな。
死ねと言われたのだ。ちょっとは理不尽さに怒るとか、恐怖に襲われるとかあるだろうと思ったが、あっけないほどに動揺はなかった。
というより、今いち実感がわいていないというほうが正しい。
ただ、皆が乗った車から一人だけ先に降ろされるような、心寂しさだけはうっすらとあった。

自分がすべきことは最早、車から降りないよう図ることではない。
自分が車から降りた後、残りの者たちが進み続けられるよう、取り計らうことだ。
そう気持ちが定まると、なぜだかわずかにほっとした。


物思いにふけっていた分、足取りが重くなっていたのだろう。
門をくぐって外に出ようとしたところで、追いついてきた卯ノ花に呼び止められた。
「卯ノ花隊長。なんですか」
さきほどのやり取りを思いだして若干気まずかったが、相手は何事もなかったかのように微笑んでいる。
「こちらへ」
視線で、門番の眼が届かない陰を示される。日番谷は黙って従った。

これほど柔らかな物腰でいながら、あの隊長達を同じ方向性にまとめられるのは、総隊長以外では卯ノ花だけだ。
治癒以外の力を見たことはないが、剣術の腕前は隊長の中でも並ぶものなし、と聞いたこともある。自然と口調が丁寧なものになっていた。
「貴方が退出された後、少し話がありました。その結論をあなたにもお伝えしようと思い、追ってまいりました。それから、総隊長からの伝言をお預かりしています」
総隊長から?
日番谷は思わず眉をひそめた。さっきの発言に対する小言、なら大いにありえる。


卯ノ花は、一番隊の裏庭に当たる場所に日番谷を導くと、縁石のひとつに腰を下ろした。
そうすると、日番谷が卯ノ花を見下ろす形になる。目の前の石庭には、枯山水が広がっている。
白い石のひとつひとつの輪郭と影を、月光がくっきりと照らし出していた。
「綺麗な月ですね」
突然そう言われ、つられて夜空を見上げる。卯ノ花の表情は、今しがたの殺伐とした隊首会が嘘のように穏やかだ。
夜空には、春らしい朧月が架かっていた。満月が、ぼんやりと春霞の中にかすんでいる。
こんな非常事態に、すぎゆく季節や自然の美しさを感じられる者が、もっとも器が大きいのかもしれない。
「きっと今も、瀞霊廷でも流魂街でも大勢の人々が、この月を見上げているでしょうね」
そう言われて頭をよぎったのは、流魂街で暮らす祖母と、妹のような少女のことだった。
月を見上げる横顔、その息遣い。まるですぐ隣にいるように鮮やかに想像できる。
彼女たちには、藍染の反乱後、一度も会っていない。理由はひとつではないが……会いたい、と不意に思った。

卯ノ花は静かに言葉をつむぐ。
「月には願いが映るといいます。総隊長は届かぬ王廷を思う。京楽隊長も同じかもしれませんね。
願いがない幸せな人の目には、何も映らないのかもしれません。あなたは今、誰を思い浮かべていましたか?」
「誰、って」
「あなたは眉間に皺を寄せているより、そうやって微笑んでいるほうが似合いますよ」
言い返す気にはなれず、かといって誰を思ったか素直に口にするのも抵抗があって、日番谷は結果的に黙っていた。
そもそも、自分が微笑んでいたことすら気づいていなかった。
「……それより、総隊長の伝言ってのは?」
気を悪くする風もなく、微笑んだまま卯ノ花は言葉を継いだ。。
「補足からお伝えしましょう。浦原元隊長に、貴方を会わせる理由はふたつ。そのうちの一つは、貴方たちに面識がないからなのです。
他の隊長は皆、彼に対し罪悪感を持っています」
「罪悪感?」
「彼は百年前、藍染の反乱の兆しをいち早くとらえ、我々に伝えようとしました。それに耳を傾けなかったのは私達です。
その彼が残した崩玉が今、死神滅亡の危機を招いているとは、皮肉としか言いようがありませんね」
「なんだって……?」
日番谷はまじまじと、卯ノ花を見返した。藍染の反乱に気づいていた者がいたなど、初耳だった。
もしその時に対処していたら、今このような危機は訪れていなかったのではないか。卯ノ花の表情から微笑みが滑り落ちた。
「私たちはあの時、平和に慣れ過ぎていたのです。敵という敵はおらず、まさか最大の敵が身内にいるなどとは思わなかったのです。
……私達の失策で、貴方がたには辛い思いをさせましたね。申し訳ありません」
卯ノ花はそう言うと、深く日番谷の前で頭を下げた。
「貴方がた」が差しているのが、雛森と自分だと言う事は分かっていた。日番谷は軽く首を振る。
「あんたが悪いわけじゃない。敵が身内にいると夢にも思わなかったのは俺も同じだ。それに――平和に慣れ過ぎてて駄目なわけがないだろ」

失って初めて分かることがある。
祖母と、雛森と、澪と。家族で暮らした平凡で平和な日々が、いかにかけがえがないものだったか。
戦い、壊すことは一瞬で出来る。でも、平和を築くことはひとりではできない。

卯ノ花は、少し眩しそうに日番谷を見上げた。
「貴方は、優しいのですね」
「……は?」
こんな戦乱の中で、言われるにはあまりに違和感がある言葉だった。
「で、もうひとつの理由は何なんですか」
一瞬の戸惑いを隠すように、問いかける。卯ノ花はふふっと微笑んだ。さっきまでとは打って変わり、何だか楽しそうにも見える。
「あなたが不遜だからです」
「え?」
どちらにしろ鬼門の質問だったようだ。
「『崩玉』の正体を知っても、あなたならあまり動揺しなさそうですし」
「……まるで、崩玉の正体を分かってるような口ぶりだな」
「今の段階では、想定にすぎませんが」
卯ノ花は澄ました顔でそう答えると、
「そうそう、総隊長からの伝言をお伝えしなければ」
と続けた。
「『お主はいずれ、総隊長になりうる器。そう簡単には死ねないだろう』と」
「……え」
「伝えましたよ」
卯ノ花隊長の微笑みに目がいっていたせいか、言葉を理解するのが遅れた。

「……俺達に、殉職命令を出した総隊長の言葉とも思えない」
「総隊長も、苦しんでおられるのです」
卯ノ花は瞳を伏せる。彼女もまた当事者のひとりなのに、全く動揺の色は見えなかった。

「特に今は死ぬことより、生き残るほうがはるかに難しいのです。……貴方は、苦労するでしょうね。それでも私はあなたに期待します、日番谷隊長」
それがどこまで伝言で、どこまでが卯ノ花の生の声だったのかは分からない。
日番谷が何か言葉を返す前に、彼女はすでに背を向けていた。



* last update:2012/6/26