一番隊から十番隊は、徒歩ではかなりの距離がある。
いつもなら瞬歩で一息に移動するが、乱菊が待っていると思いながらも徒歩にしたのは、十番隊につくまでに考えを整理しておきたかったからだ。
先遣隊を率いるとなれば、おそらく一刻の猶予もない。明日の朝には十番隊全員に不在の間の指示を出さなければならない。
段取りを考えながら、松明が煌々と燃える正門から離れ、広大な一番隊舎の角を曲がった時だった。

「おい、そこの子供! ここは瀞霊廷の敷地内だぞ。うろうろしてはいかん!」
その声が聞こえた時、初めは自分に声をかけられているとは想像だにしなかった。
振り返ると、一番隊の隊士が二人、うさんくさそうな顔をしてこちらを見ている。
どうやら、今の日番谷の姿は逆光になっているため、二人の位置からは輪郭しか見えていないらしい。
まだ夜も浅いというのに、酒の匂いが日番谷のいるところまで流れてきていた。

子供の姿の死神など、何千人もいる死神の中で、二人だけだ。子供を見て、死神ではないと判断してもおかしくはないが。
ただしこの手の勘違いをされるのは久しぶりだった。
たった二人とはいえ、一人は隊長の自分だし、もう一人は副隊長で常に更木と一緒にいる。
特に後者のほうは、間違えて呼びかけ、十一番隊の隊員に袋叩きにされた隊員が何人もいるという。
絶対勘違いしてはならない、と死神なら肝に銘じているはずなのに、だ。
いつもなら一睨みで返すところだが、どうにも虫の居所が悪かった。

日番谷は腕を組み、二人組に向き直る。
「何だその千鳥足は。そんなざまで今、虚に襲われたら戦えるのか」
「あぁん? このガキ。ナマイキな口利くじゃねぇか」
大股で歩み寄ってきた男が、ぐい、と襟首を掴んできた。
と、白い隊首羽織に触れ、……あん? とでも言いたそうな男の視線が、日番谷の顔に注がれた。そのとたん、絶叫した。
「うぁああああ!! も! 申し訳ありません、お許しください! 日番谷隊長!」
「……お前ら、定時過ぎだからって緩み過ぎだぞ」
きぃん、と鳴る右耳を押さえながら、日番谷はうんざりしながら、ひれ伏す二人を見下ろした。

隊によって多少の差はあっても、平隊士には藍染の反乱についてはほとんど知らされていない。
いたずらに恐怖心をあおり、混乱させないためだ。
しかし、この調子だと、気を引き締めるためにちょっとくらい知らせてもいいんじゃないかと思う。

そう思った時、はるか上から豪快な笑い声が聞こえて来た。同時に、重々しい足音が近づいて来る。
何者なのか気づくと同時に、そちらに向き直っていた。とんでもない高い位置から、人影が差し込んでくる。
「い……なんだ?」
跪いていた二人が、慌てて身を起こす。大きな手のひらが、隣の塀の上に載せられ、巨体が身を傾けてくる輪郭が見えた。
なるほど、この位置だと確かに顔が逆光で見えない、と納得する。
それにしても、この男にとってみれば塀なんて、子供のおもちゃみたいにしか見えないのだろう。
「いちいち騒ぐな。西門の児丹坊だろうが」
日番谷は慌てる二人にそう言うと、児丹坊を振り仰いだ。

「霊圧で、ただの子供じゃねぇって分かるだろうによ。まあ、許してやれ冬獅郎」
身の丈十メートル。人間として常軌を逸したサイズのその男は、人懐こいドングリ眼で見下ろして来た。
瀞霊廷西門の門番を、過去三百年にわたって続けている、有名な豪の者だ。日番谷はため息をつく。
「許すって言うほど怒ってもいねぇよ」
「ホントかぁ? さっき一瞬、殺気を感じたぞ」
背後を見れば、こくこくと隊士二人が頷くのが見えた。
「はい、『このガキ』のところで殺気が頂点に……」
「……とっとと行け」
思い出させてどうする。日番谷が睨みつけると、ハイッ、と二人は異口同音に返事をして、我先にと逃げ出した。
児丹坊の豪快な笑い声が、その後を追う。


「久し振りだな。瀞霊廷の中にいるなんて珍しいじゃねぇか。どうしたんだ」
ひょいっ、と塀の上に飛び上がり、日番谷は児丹坊の巨体を見上げた。
そうでもしないと、数メートル離れなければまともに視線を合わせることもできない。

ふたりが出会ったのは、まだ日番谷が死神ではなく、流魂街に住んでいたころだった。
一介の流魂街の住人から見れば、瀞霊廷の門番は神様の遣いのようなものだ。
月とスッポンほど立場が違っているのに、敬語も使わず呼びかけた自分は、今考えたら相当礼儀知らずだったと日番谷は思う。
ただし児丹坊は、そんな日番谷をおもしろがり、対等に扱ってくれた。
日番谷が隊長に昇格した今は立場は完全に逆転してしまったが、ふたりの友情は変わらず続いている。

児丹坊は、その大きな眉の両端を下げた。
「慈楼坊の見舞いに来てたんだ」
なるほど。それを聞いて、すぐに納得する。

児丹坊には、慈楼坊という弟が一人いる。
狛村率いる七番隊の、第四席だったはずだ。……旅禍の一人、石田雨竜と戦い敗れるまでは。

霊力の要を打ち砕かれた慈楼坊が、死神に復帰するのは絶望的だった。
……最も、慈楼坊は日番谷から言わせれば、自分より弱い者にはとことん冷酷になれる、嫌な奴だった。
だから別段思うことはないが、落ちこんでいる児丹坊を見ているのは辛かった。

「傷は、もう治ってるんだろ?」
「ああ。でも、やっぱり霊圧は二度と戻らねぇみたいだ」
「霊圧がなくなったなら、死神からは抜けた方がいい。特例だが、狛村に口利いてやってもいいぞ」
本来、死神自身の意思で、死神を抜けることはできない。
でも事情が事情な上、人情家で知られる狛村なら、おそらく脱隊を許すだろうという気はしていた。
それに、このタイミングで死神を抜けられるのは、幸運だということもできる。
「……なんかおめ、元気ねぇな。なにかあったか?」
図体と同じくらい大雑把な男なのに、妙に勘が鋭いところもある。早めに話を切り上げたほうがいい、と思った。
「なんでもねぇよ。じゃ、またな」
軽く友人に手を上げてそれだけ言うと、3メートルほどの塀から下に飛び降りる。
「待てよ」
その時、児丹坊の巨大な手が、にゅっと降りてきた。
その手のひらは、日番谷の胴体を軽く鷲掴みにするくらいの大きさはある。
あっ、と思った時には、地上に降りる前に、空中でむんずと身体を捕まえられていた。

「ちょ……おい、何すんだ!」
軽々と身体が持ち上げられ、一旦近づいた地上が、ぐんぐん遠のいていく。
児丹坊の腕が止まった時、ちょうど彼と同じ高さで目があった。とはいえ、児丹坊の頭と日番谷の全身のサイズが同じくらいだ。
「おお、はじめてお前を捕まえたぞ」
児丹坊は何が嬉しいのか、にこにこしている。
そういえば子供のころから、大柄で動きが雑な児丹坊に捕まえられたことは一度もなく、彼が手を伸ばしてきてもするりと逃げていた。
どうやらそうとう、物思いにふけっていたらしい。
「人を鼠みてぇに言うんじゃねぇ」
「言い当て妙だな!」
俺はネズミか。児丹坊にしてみれば、似たような大きさということなのか。自分で言って自分でがっかりしていると、
「十番隊に帰るんだろ? 送って行ってやるさ」
ひょい、と日番谷を自分の肩に乗せると、言い終わるよりも早く歩き出した。

「いいって」
「まあいいでねぇか。たまにゃ、俺もおめとゆっくり話してぇんだ。旅禍の一件からここんトコ、遊びにも来なかったろ」
「……忙しかったんだよ」
「実家にも帰ってねぇだろ? お前に今さら言う必要もねぇだろうけど、ばあちゃんをあんまり心配させんでねぇぞ」
「分かってる」
日番谷はわずかに眉を下げ、頭を掻いた。旅禍騒動から一度も、潤林安の祖母の家には帰っていない。
「とにかく、傷も治ったようで良かった。でもまだ、本調子じゃねぇんだろ? 無理すんなよ」
そう言われて初めて、この男も藍染との戦いに参加していたことを思い出す。
「もう、問題ねぇよ」
そう首を振って、児丹坊の肩から周囲を見下ろした。
十メートルの視界からは、瀞霊廷の黒々とした屋根が、延々と連なっている。
平地が多い敷地の中で、双極だけが異様に高く突き出している。その頂きの部分が月光で白く見える。
流魂街に住んでいた頃は、よく児丹坊に肩に乗せてくれとせがんだものだった。
少しでも上は、少しでも上へ。決して遠い昔ではないあの頃、毎日のように思っていた。

「考えごとか? なんかあったか」
「たいしたことじゃねぇよ」
敵と戦って死ねと、命令が下ったとは言えない。
戒厳令が敷かれた現在、副隊長にすら戦略の詳細は知らされないはずだ。
確かに、こんなことが表ざたになれば皆、浮足立つだろう。
瀞霊廷の死神の頂点に立つ隊長でさえ、玉砕覚悟でかからなければいけない敵がいるなんて。

―― 死ぬことが、皆怖いからか。
そこまで考えて、バカみたいだと思い直した。
死神として、死を超越した存在であれと常より言われているくせに。
そもそも、自分のような流魂街出身者は皆、現世ですでに一度死んでいる。
それでも。やはり怖いとすれば、それは何故だ? 存在が失われるからか。

無意識のうちに児丹坊の横顔を、じっ……と見つめていたのだと思う。
「冬獅郎……」
―― 俺もやはり死ぬ直前になれば、怖いと思うのだろうか。
人の魂を狩り、支配する死神の癖に。
「冬獅郎!」
突然児丹坊が大声を出した。そのいつになく緊迫した声に、急に我に返る。
「な、何だよ」
「おめ、どうしちまっただ」
日番谷の顔くらいありそうな目が、悲しそうだった。
「何が」
「さっき俺を見たおめの顔、別人みてえだったぞ……なんか、死神みたいな」
「あ?」
「……なんか、ぞっとしたぞ。俺は」
ふたりはつかの間、視線を交わしあった。日番谷は意識的にため息をつく。
「言うに事欠いて何言ってんだ。今の俺は死神も死神、護廷十三隊の隊長だぜ」
「そうだったな。ただの子供だったはずなのによ、今や隊長様だ。おめは、俺達の誇りだ」
真っ向から照れ臭くなるようなことを言うと、大声で笑い出す。
この男は、変わらない。何だかそれを思うと、ほっとした。

「……児丹坊」
「なんだ?」
「もうちょっとしたら俺、ここを空けるかもしれねえ」
「なんだ。任務か?」
「俺がいない間。婆ちゃんと、澪。そして、雛森を頼む」
児丹坊の訝しげな視線を感じる。
様子がおかしい、思ってるのがその顔にまともに出ている。それでも、言っておきたかった。


ぐっ、と児丹坊は唇をかんだ。
「任しとけ!」
ニヤリと笑って続けた。
城門が見える直前で、児丹坊の肩から滑り降りる。
「……な、冬獅郎」
日番谷を見下ろし、不意に児丹坊が言った。
「あんまり遠くへ行ぐなよ。俺、寂しいだろ」



* last update:2012/6/26