あ、日番谷隊長ですか? イライラされてましたねえ……
そりゃあもうイライラしますよ、あれではねえ……
まぁアタシ、イライラしたことないから分からないッスけど。
浦原喜助は、怪しげな帽子の鍔の奥で、怪しげな笑みを浮かべた。

「ねーねー隊長! これ見てください、これ!」
松本サンは、ショーウィンドウの向こうを指して、日番谷隊長を手招きしてます。
しかし、ショーウィンドウの中にあるのは、やたらピラピラやフリフリがついたスケスケな下着。
日番谷隊長は、慣れてるのか予想がついてるのか見向きもしません。
「す、すごい……牛丼にクリームシチューがかかっている……!」
牛丼屋の前で目を輝かせているのは朽木サン。
大貴族の令嬢なのに、お気の毒ですねェ。

「お、おい! 刀があるぞ、刀が!」
髪一本ない頭をキラリと陽光に輝かせてるのは斑目サン、
「馬鹿だねえ一角、普通の刀が売ってるわけないじゃない。これ刃入れしてないよ」
美形ですが、パッツン髪がそれを台無しにしているのが綾瀬川サン。
その隣の店で、ひたすらゴーグルを試着しているのが阿散井サン。
現世に来た本来の目的を、皆忘れてしまっているようですね。

「お前ら……」
瀞霊廷一、常識というものを持ち合わせているお気の毒な少年隊長は、プルプル拳を震わせてます。
言葉を続けようとして、ふ、と視線を店の中にそらせました。
中にはテレビ番組が映っているのか、ここからもチラチラと光が点滅してるのだけが見えます。
しっかり聞こえましたよ呟きが。
「ガ○ダム……」
現世の商店街、おそるべし、です。
ドスッ
その浦原の尻を、黒崎一護が蹴飛ばした。
「てめー、実況してねーで話しかけろよ! いつまでたってもハナシが進まねーだろ!」

 
***


―― なんなんだ、この微妙な沈黙は?
筋肉隆々の体格に三つ編み、トドメのようにエプロン着用の、テッサイの存在がいけないのだろうか?
黒崎一護は、自分たちがうっかり作り出してしまった沈黙に内心困っていた。
ちゃぶ台の周りにずらりと勢ぞろいした死神たちの前に「粗茶ですが」と茶を並べる、
テッサイの声がやたら大きく聞こえるほどに、死神たちは無言だった。

死神たちと、向かいあうように座る浦原・テッサイの両サイドから見られて、一護は尚更当惑する。
隣に座るルキアが、ひょい、と肘で一護を小突いて来る。
―― 貴様が両方の接点なのだ。貴様から話せ、一護。
長くはないが濃い付き合いで、言いたいことは視線で理解できる。
が、いきなり死神たちがそろって現世にやって来た理由も分からないのに、どう口火を切れというのだろう。
―― あぁっ、寝てやがる!
一番話を振りやすそうだと思った乱菊は、きちんと座りつつ、よく見ると舟を漕いでいた。
困った、と一護は駄目押しのように思いながら、その場に居並んだ死神たちを順番に眺めた。


ブルーのワンピース姿のルキアは、まあ見慣れている分違和感はない。
問題は、ルキア以外の死神にあった。まるで合成写真のようにその場になじんでいないのは、今まで死覇装姿しか見たことがなかった……ためだけではない。
ジーンズと派手な赤のシャツ、額にそり込みの上、ご丁寧に刺青さえ入った、チンピラにしか見えない恋次。
あちこちから下着が見えそうで目のやり場に困る、短いシャツにミニスカート姿の乱菊。
開襟シャツをズボンにINした、昭和時代の不良のような一角。
鮮やかに前髪を七色に染め、カタギにはまるで見えないのにネクタイを締めた弓親。
死神には見えない、という意味では変装は失敗していないのだろうが、普通の人間にも見えないから成功もしていない。

それに、さっきから一護は、居眠りをしている乱菊の隣にいる、少年のことが気になっている。
襟が大きめの白シャツにユーズドのジーンズという格好は、大人びているとはいえこのメンバーの中では普通で、体格だけ見れば双子の妹たちと同じくらいか、少し下に見える。
さっき町中で、宇宙船隊もののアニメのCMに視線を奪われていた姿は、銀髪碧眼の外見はさておき、普通の小学生だった。
しかし、他の死神達がこの少年に対する態度で、副隊長クラスである彼ら彼女らより、この少年が上なのはすぐに分かった。
となれば、隊長か。確かに、これまで刃を交わしたことがある更木や白哉と、同じ匂いがした。
「黒崎サン」
不意に浦原が声をかけてきた。
「何か話してくださいよ。フリフリ下着でもホワイトシチュー牛丼でも刀でもゴーグルでも、はたまたガンダ○でもないお話を」
「……ガン○ム?」
恋次と一角が同時に首を傾げた。
「ここに来た理由はそんなんじゃねぇ!」
眉間に皺を寄せて話を遮ったのは例の少年だった。
おーおー、そうだろうよ。一護は思わず吹きだしそうになったが、少年が睨んできたため慌てて堪えた。

浦原は、少年に向き直る。飄々とした空気は、相手が一護だろうが隊長格だろうが変わらない。
「崩玉のことっスね。皆さんにはご迷惑をおかけしました」
ひょい、と一同に頭を下げて見せる。
「崩玉」の名に、ルキアの眉がかすかに顰められるのを、一護は見逃さなかった。
ルキアが知らない内に浦原から埋め込まれた崩玉のために、瀞霊廷で死刑宣告を受けてから40日余りしか経っていないのだ。
「軽々しく謝るんじゃねぇ」
子供とは思えないほど凄味のある声が、少年の喉から漏れる。一護は思わず少年を見つめた。
「そこの朽木に手をついて謝れ。話はそれからだ」
ルキアが、驚いたように顔を上げた。

そうか、と今さらのように一護は今まで全員が黙っていた理由を悟った。
あの騒動があってから、浦原とルキアが顔を合わせるのは初めてのはずだ。
何事もなかったようには済ませない。少年から漏れていた隠せない怒りが、無意識のうちに全員を黙りこませていたのだろう。

浦原は無言のまま、身を起して両手をついた。そしてルキアに向き直り、頭を下げる。
「日番谷隊長のおっしゃる通りで。申し訳ありませんでした」
ルキアは、唇をかみしめたまま、浦原を見つめている。その視線が思いがけなく和らいでいることに、一護は驚いた。
「もう、いいのだ。謝られて気が済んだ。……恐ろしい出来事だったことに間違いはないが、正直、今は生まれ変わった気分でいる」
それを聞いていた恋次が、おそらく無意識のうちにわずかに口角を上げた。
ルキアが恋次や白哉に感じていた溝が埋まったのも、あの一件がきっかけだったのは間違いないのだろう。
瀞霊廷で一度別れた時にルキアが見せた清々しい笑顔を、一護は不意に思いだした。

「ま、全てはこれからだけどね。まだ何も終わってないわよ。ですよね、隊長?」
いつの間に目を覚ましたのか、乱菊がそう言って、さっき日番谷と呼ばれた少年を見やる。少年は渋面で返した。
「……それが分かってるなら居眠りしてんじゃねぇ」
はぁい、と乱菊は肩をすくめる。日番谷の不機嫌に、ただ一人影響されていない。
この親しさから見て、日番谷は乱菊の上官か、と想像する。


日番谷は、机に頬杖を突いたまま、浦原に向き直った。
「長ったらしい話は苦手だ、単刀直入に聞く。崩玉とは何だ。総隊長の使者にも核心を明かさなかったのは何故だ?」
「そりゃ、隊長さんに現世に来てほしかったからですよ」
なんだそんなことか、と言わんばかりの気軽な調子で浦原が答えた。なに? と日番谷が顔を上げる。
「埒が明かなければ、しびれを切らして出て来てくれると思ったんです。アタシは隊長さんを直接お呼び立てするほどエラくないですし。少々、困りごとがありましてね」
「困りごとだァ?」
黙って会話を聞いていた一角が、眉をひそめる。
「あんたの力はよーく知ってる。鬼道だけじゃなく、体術剣術も兼ね備えてたことも。一体何を困るってんだ」
「実は、それがいろいろと」
「それより、初めの質問に答えろ」
ぴしゃり、と日番谷が会話を元に戻した。どうやら自分で言っていたように長い話は本当に嫌いらしい。

ふむ、と浦原は一瞬考えるように頷いた。
「崩玉とは、その名の通り破壊するもの。何を? と思われるでしょうが、目に見えるものじゃあないんですよ。
我々には―― 死神でも、破面でも、人間でもそうですが、それぞれに許された力の上限というものがある。
どれほど努力しても、その上限を超えることは不可能だ。そのセオリーは貴方がたもよくご存じでしょう」
「そんなもんがあるのか?」
一護は思わず口を挟んだ。一護から見ると隊長格の力はデタラメすぎて、天井知らずのように思っていた。恋次がそれを受けて頷く。
「俺たちの力の上限はあらかじめ決められてんだよ」
「は? 誰に」
「俺たちより更に上にいる、会ったこともねぇお偉いさんにだよ。俺たちは、王廷って名前しか知らねぇ」
「王廷……そんなもんがあるのか?」
死神といえば曲がりなりにも「神」なのに、更に上がいるということか。正直一護にはピンと来ず、頷くくらいしかできなかった。
「まあな。上にでもいるんじゃねぇか」
恋次は立てた人差し指で、上を差した。そのおざなりな口調と表情で、恋次が決して王廷とやらに好意をもっているわけではないのが分かった。
まあ、流魂街の下層で育ったという恋次には、身分が高いというだけで反感があるのかもしれない。浦原が頷いた。
「分かりやすく言ってしまえば、被支配者である王廷以外の者たちは、王廷の者には勝てないように『設定』されている。
そうでなければ下剋上が起こりかねないですからね。しかしその『設定』を破壊してしまうのが―― 崩玉なんですよ。貴方がたも藍染と戦って、不思議に思いませんでした?」
浦原はそう言って、一同を見まわした。一護は、藍染と対峙した時のことを思い出す。
余裕げな笑みを浮かべて見下ろして来た、あの表情を。まるで、大人と子供が戦うように、力の差は不自然なほど歴然としていた。
「……俺はよく死神のレベルってわかんねぇけどよ。剣八とか白哉は、強いけどどれくらい強いかは分かった。でも、あいつは……底が見えねぇ感じがした」
「藍染は、瀞霊廷を出る時点で『崩玉』の力を使ってたってことか?」
日番谷が口を挟んだ。
「おそらくは」
浦原が頷く。
「崩玉は、誰に対しても使えます。おそらく藍染と結託した元隊長達も、今彼の元にいるだろう破面たちも、
常識では測れない力を手に入れている、と見る必要があるでしょうね」
「そいつはおもしれぇ」
真っ先に反応したのは一角だった。頷き合った弓親と彼の頭を、背後から乱菊がはたく。
「ってーな。何すんだ!」
「おもしれぇ、じゃないでしょ! 勝つ手もないくせに」
「ああん? 勝つと分かってる戦いなんて、つまんねぇだろ!」
「そういう問題じゃないっての!」
二人と乱菊が至近距離でにらみ合う。まぁまぁ、と恋次が間に割って入った。
「……ヴァストローデが更に力を上げている可能性も十分にあるわけか……そうなれば、我々の勝機が更に下るな」
ルキアが表情を暗くした。黙って聞いている一護には一つ一つの単語の意味が全く理解できなかったが、ルキアのこの感想が一番全てを物語っていると思う。

ぽつん、と声が落ちた。
「……おもしれえな」
乱菊がすぐに反応する。
「だから。何がおもしろいんだって――おっと」
その声の主が上官だと気づいて、乱菊が途中で言葉を止める。日番谷の視線は浦原を見ていた。
「ということは、藍染は崩玉を手に入れていきなり使えたってことだな」
「ま、言うほど簡単ではないですが」
「藍染にできるなら、俺にもできる」
「何考えてんです?」
浦原がふと真顔になり、日番谷を見た。
「藍染から崩玉を奪い取ってその力を使えれば、俺たちの勝ちだ」
一瞬浦原は、妙な顔をして黙り込んだ。そして数秒あけて、大声で笑い出す。
「とんでもないものを作ってくれたとお叱りを受けるかと思っていたら、そんなことを考えていたんですか。いやアナタ、アタシが言うのも何ですが結構不遜な方ですね」
「……昨日も二回ほど言われたが、あんたにだけは言われたくねぇ」
「そうでしょうとも」
浦原はこんな時なのに楽しそうだ。
というよりも、そんなものを作った時点で浦原のほうが不遜だろうと一護は思う。王廷の知るところになれば、決して許されはしないはずだ。
それなのに、浦原は崩玉を作りだした。科学者としての血がそうさせたのか、下剋上を本気で狙っていたのかは分からないし、聞くのが怖いような気がする。

なるほど、と日番谷は口の中で呟いた。そしていきなり、一護に視線を向ける。
「おい、死神代行」
「な……なんだよ」
一瞬一護はたじろいだ。人一倍大きな眼のせいか、翡翠色のせいか、その眼光自体のせいか、見られて分かったが異様に目の力が強い。

乱菊が、そんな一護と日番谷を交互に見る。あぁ、と声を上げた。
「普通にいるから気づかなかったけど、初対面? 隊長、自己紹介くらいしなきゃ」
「日番谷冬獅郎。十番隊隊長だ」
日番谷はちらりと一護を見て、そう言った。「一瞥」という言い方がぴったり来る、いかにも関心がなさそうな様子で。
「お前に質問がある」
今まさに名乗り返そうとしていた一護は、当然のようにタイミングを失った。
「ちょい、待てよ。普通名乗った後は相手の名前聞くだろ」
「てめぇは黒崎一護だろ。知ってることを、いちいち聞くのは面倒臭ぇ」
一護は一瞬、返す言葉を失った。初対面の挨拶なんだから、そういう問題じゃないだろうと思う。
「とにかく、死神代行。最近現世に出没する虚の数は増えてるか?」
おまけに、敢えて死神代行呼ばわり。青筋を立てそうになったが、言われた言葉にふと考えを走らせる。
「そういや、そうだな。増えてるはずだ」
前は、2週間に一度ほどの頻度で虚退治をしていたが、ここ一カ月は数日に一度は駆り出されている。
もっとも、一護の力が瀞霊廷に行く前後で飛躍的に伸びているため、手こずった記憶はなかった。
「それは空座町だけの話か? それとも、他の町も同じか」
一護の答えをあらかじめ読んでいたかのように、矢継ぎ早に質問が飛んでくる。
「……空座町だけだな。隣町で霊圧を感じたことは、藍染の戦いの後、まだ一回もねぇよ」

日番谷は、無言のまま何か猛烈な勢いで考えている。
「ちょっと隊長、あたしたちを置いてかないでくださいよ」
乱菊が不満そうに口をとがらせる。仕方ない、と言う風に日番谷が口を開いた。
「現世で虚の出現が増えるのは、瀞霊廷が結界を強化している以上想定内だ。ただし、空座町だけで増える理由が、分からねぇ……浦原」
「ハイ?」
「井上織姫の霊圧が感じられねぇ。お前が関わってるのか?」
「えっ?」
一護とルキアの声がかぶった。唐突に日番谷の口からその名前が洩れると、あまりに違和感があった。
「どういうことだ? 今の状況と、井上がどう関係あるんだよ。つーか、あいつは普通に毎日学校に通ってるぜ」
「普通にいて、霊圧がいきなり消えることはありえねぇんだよ。あんたが消したのか」
横目で一護を見ながらも、その矛先は浦原から外れない。
ぽんぽん飛ぶ日番谷の話に、他の死神もついていけていないのだろう。怪訝そうに顔を見合わせている。
しかし、浦原だけは、論点を理解しているらしい。一護が口を開こうとした時、浦原がぽん、とその場を仕切り直すように掌を叩いた。

「いい質問ですね、日番谷隊長。カンもいいようだ。確かに井上織姫サンの霊圧を消したのはアタシです。ていうか、それが今のアタシの困りごとなんですけどね」
「なんで、ンなことする必要があるんだよ? 井上は……治癒能力はすげぇけど、それ以外は普通の人間だぜ?」
われ知らず、鼓動が高まっているのを感じていた。
「君の千切れそうになった胴体を元通りにしたんだろ? あの子。十分普通じゃないと思うけど」
呆れたような視線を、弓親が向けてくる。
「そりゃそうだけどよ。俺が言いてぇのは、あいつは戦いとは縁がねぇってことだ」
「まあ、それは否定しないけどね。ただ僕がいいたいのは、戦いが好きかどうかと、戦いに巻き込まれるかどうかは関係ないってことさ」」
そもそも戦闘能力は死神の前では無いに近いし、本人も戦いを好まない。
それは先だっての瀞霊廷での戦いではっきりしている。

しかし浦原は、一護の顔を見詰めつつ、ゆっくりと首を振った。
「黒崎サン。はっきり言いますが、アナタは井上サンの力を見誤っている。彼女の力は、単なる治癒能力なんかじゃありませんよ。
全ての事象を拒絶する、恐るべき力です。その力は、アタシにも底知れない。ある意味崩玉よりも危険、かもしれません」
「……事象の拒絶?」
そう言われても、ピンとは来なかった。ええ、と浦原は頷いて続ける。
「アタシにも、その全容は分かりません。しかし空座町の虚の動向を調べれば、皆何かを探しているように見えるんですよ。
何度も彼らの前に姿を見せている黒崎サンを探しているわけではないでしょう。アタシも居場所はすぐ割れるでしょうしね。
井上織姫サンではないか、と思ったのは、ただのアタシの勘ですが。襲われてからでは遅い。
だからアタシは結界を張って、彼女の霊圧を消しました。見つけられないように」

不安そうに話の成り行きを見守っていたルキアが口を開く。
「……霊圧を消したとしても、数を投入すれば時間の問題だぞ。姿が消えるわけではないのだから」
「確かにその通りです。だから、貴方達が現世にやって来るのを待っていたんですよ。会ってみてください、井上織姫サンに。
そして護ってあげてください。場合によっては、瀞霊廷に避難させたほうがよいでしょうね」
「それは分かるが……」
言いかけたルキアは、なんともいえない視線を一護に寄こした。
「俺には、井上が今回の戦いに関係あるとは、どうしても思えねぇ」
「……一護」
ルキアと乱菊が、一護を見つめてくる。聞き分けのない子供に対するような態度に思えて、訳の分からない苛立ちを感じる。
織姫は、絶対今回の戦いには関係ない。ただ、それがただの願望かもしれないと思っても、黙っているわけにはいかなかった。

「井上の家に行くって言うなら、俺も行く」
事実を確かめたかったし、万が一本当に狙われているとしたら、傍にいてやるのは自分だと思った。
「お前は来るな。話がややこしくなる」
にべもなく言い放ったのは日番谷だった。思わず、カッとなって自分よりも格段に低い位置にある銀髪を見下ろす。
「お前は井上の何も知らねぇだろ! あいつはな……」
一護の言葉をシャットアウトするように、日番谷は目を閉じる。
「阿散井、斑目、綾瀬川。お前らは空座町の警備に当たれ。虚が現れ次第、戦闘を許可する。
ただし阿散井、お前は副隊長だ。限定解除がかかってんのを忘れんなよ」
「はい!」
ニヤリ、と三人が顔を見合わせる。三人とも十一番隊の出身だけに、戦いは嬉しいのだろう。
「……心配すんな、一護。俺らが現世にいるんだ、この街の人間には絶対手をださせねぇよ」
動揺しているのを気遣ってくれたのか、瞬歩で消える前に、恋次が一護の目を見て言った。

三人が去ったのを見届けて、日番谷はルキアと乱菊に向き直った。
「俺達はその間に、井上――」
そこで言葉を止めた。一歩進み出た一護が、ガッとその肩を掴んだからだ。
日番谷は胡乱な眼をしたが、何事もなかったようにふたりを見やる。
「――井上織姫の自宅に向かってくれ。俺もすぐに追いつく」
「でも……」
「行け」
ルキアが、心配そうに一護と日番谷を見比べる。そして、一護に視線を止め、軽く頭を横に振った。
そのまま、乱菊とともに姿を消す。頭を冷やせ、という意味なのか、食ってかかるのは止めろ、という意味なのか。
分からないが、それでも熱しきった一護の頭をいくらか冷却する効果はあった。


後には浦原とテッサイ、そして日番谷と一護の4人が残される。
「いつまで人の肩、掴んでるつもりだ」
「てめぇが人の話、全然聞かねぇからだろ」
「お前には関係がねぇ話だろ……」
その声音に、呆れたような、困ったような感情が交る。
「あるに決まってんだろ! 瀞霊廷が危ねぇんだろ? 井上も関わりがあるかもしれねぇんだろ。放っておけるか!」
一護がそう言い返すと、日番谷は怪訝そうに眉をひそめて、こちらを見返して来た。
「聞くが、お前。井上織姫はとにかく、なぜ瀞霊廷に肩入れする?」
「え?」
今度は、一護が怪訝な顔をする番だった。
「一か月前は、敵だった。それより前は、存在すら知らなかったはずだ、違うか? お前が死神を気にかける理由がどこにある」
「そ……そう理詰めで来られると、困るけどよ」
言われてみて、初めて考えた。そして、当然のように戸惑った。
「そういうのに、理由はねぇだろ? 助けるのが普通だから、助けるんだ。お前だって、たとえば誰かが溺れてたら助けるだろ? 
そいつと自分の関係なんていちいち考えねぇだろ」
「質問の答えになってねぇな。大体、瀞霊廷にお前の助けを借りなきゃいけねぇ奴は一人もいねぇ。……ひとつ忠告してやる。この戦いに関わるな」
「……っとーに、生意気な奴だな、お前は!」
ダメだ。こいつを前にキレないでいる自信がない。一護は許せ、と心中でルキアに謝る。

「まーまーまー、止めてくださいよこんなトコで喧嘩は。店が壊れるのはカンベンしてください」
氷のような目を向けた日番谷と、一護の間に浦原さんが割って入った。
「失礼な口をきいたことを黒崎サンに代わってお詫びしますよ、日番谷隊長。
でも、黒崎サンにそんなこと言ったってムダですよ。ルキアさんを助けるために瀞霊廷に乗り込むようなお方ですから」
めんどうくせぇ、とつぶやかれた気がした。

「殺し合いになるぞ」
ぽつりと、日番谷が言う。
「朽木ルキアを助けた時とは訳が違う。死神と破面の総戦力はいいところ互角だと見てる。十人殺せば、十人殺される。
お前の友人知人が巻き込まれる可能性もある。お前自身も死ぬかもしれない。それでも構わないという覚悟がお前にあるのか」
平然と言い放たれただけに、逆に胸にこたえる言葉だった。違う世界に生きているんだ、と断じられたようなものだった。
「……そんな覚悟は、ねぇよ」
どんなに心の中を探しても、「構わない」という答えは出そうにない。
「だったら……」
「でも、生き抜く覚悟はある。周りの奴らも、誰ひとり死なせなくない」
どうしてか分からない、でもその時、日番谷の冷静な瞳が、揺れたように見えた。
何か言いたそうに口を開いたが、すぐに、閉じた。そして、ため息を漏らす。
「勝手にしろ」
とたんに、すとん、と日番谷の肩に置いていた手が下に落ちる。
「あ? えっ?」
思わずきょろきょろと辺りを見回したが、日番谷の姿はどこにもない。1秒前には、目の前にいたにも関わらずだ。
瞬歩を使ったのだろうが、まさに一瞬、一護には日番谷が去る影すら見えなかった。


「あーあ」
浦原が気が抜けた大声を出す。
「せっかく、日番谷隊長が気を使ってくれたのに」
一護は耳を疑った。
「嘘だろ? あれで!? どこが!!」
「戦いになれば、藍染はただの一人も死神を生かしておく気はないでしょう。でも今のところアナタは人間だ、藍染サマのブラックリストに名前はないはず。
しかし関わり続ければ、いずれ取り返しのつかないところまで巻き込まれる可能性は高い。だから日番谷隊長は、アナタを戦いに加わらせまいとしたんです。
誓ってもいいですが、井上織姫サンも戦いに巻き込まないよう、最善を尽くすはずですよ、彼は」
浦原が、誰かのことを褒めることは、実はあまりないと知っている。
信頼しているのか。あの、一護にとっては妹と同じくらいの背格好の少年を。

「……護ってもらったって、ちっとも嬉しくなんてねぇぞ、俺は」
「護る余裕なんてないはずですけどね」
浦原はため息をついた。
「今の日番谷隊長の言葉は重いですよ。『死神と破面の総戦力は良くて互角』。現役の隊長がそう認めたんですから。
さっき話に出て来た『ヴァストローデ』とは最強レベルの破面のことで、本来隊長が勝てる相手じゃありません。
でも崩玉の力を借り、ヴァストローデを上回る破面が現れたら―― その時はもう、死神には打つ手がありません。
日番谷隊長は、そのことを分かっている。だから彼らには、アナタ方を護れない。できるのは、戦火に関わらせないことだけ。
初めっから、日番谷隊長がアナタに伝えようとしていたのは、そういうことですよ。最も彼は、黙って負ける気はないようですが。
あの年で隊長になるだけ合って、なかなか強かですよ、彼は」
「……そーかよ」
納得した訳はできない。でも、日番谷が一護よりも数段高い場所から、全体を見据えて物を言っていることだけは理解できた。
そして、きっと一護と同じくらい不器用な人間だ、ということも。
「……退かねぇぞ、俺は」
隣で、浦原がほほ笑む気配を感じた。



* last update:2012/7/22