一瞬、何が起こったのかルキアには分からなかった。
「……あ?」
日番谷もそれは同じだったのだろう。珍しく驚きの声を上げて、周りを見まわした。

つい一瞬前まで、日番谷と刃を交わしていた破面の姿が、どこにもない。
まるで瞬歩で逃げたようにも見えたが、あの状況で逃げる理由がない。
「……お前の仕業か?」
日番谷が刀を引き、織姫を振り返る。
氷輪丸を見やって、ルキアは彼が驚いた一番の理由を知った。鍔から三寸ほどの位置で、刀が折れている。
残りの刀身は、どこにも見当たらなかった。力づくで折られたのなら衝撃があるだろうが、日番谷でさえ気づかなかったらしい。

「ご……ごめんなさい!」
放心していた織姫が、慌てふためいて日番谷に駆け寄る。
「刀、壊しちゃって……あなたは大丈夫、怪我しなかった? あの虚の人も、怪我してなければいいけど……」
「あんな敵の心配なんか、しなくていいから!」
乱菊が突っ込む。おろおろしていた織姫は、日番谷が刀以外は無傷なのを見て、ほっとしたようだった。
「刀はどうだっていい。それより、何をした?」
日番谷はそう言いながら、折れた刀を空中で一振りした。それだけの動きで、失われたはずの刀身が魔法のように元通りになる。
氷輪丸は氷雪系最強の刀。空気中に水分さえあれば、何度でも元の形に蘇ると聞いたことがあったが、目の当たりにするのは初めてだった。
「拒絶……したの。二人の間に生まれてた『力』を」
「さっきの破面は……まだ、気配を感じるな」
「うん。拒絶したのは力だけだから。吹き飛ばされちゃったみたいだけど、大丈夫だと思う」
「だから、大丈夫では困るのだ」
ルキアも思わず突っ込んだ。どこまで人がいいのだ、と付け加えたくなる。

「霊圧を……拒絶した?」
日番谷が独り言のように呟く。織姫にまっすぐ視線を向けて尋ねた。
「今の力、藍染の前で使ったか?」
さすがに、一護を詰問した時とくらべて幾分声は優しくなっている。織姫はコクンと頷いた。
「黒崎くんが怪我をしたから。藍染……さんが黒崎くんから離れた時に慌てて駆け寄ったんだけど、その時力を使ったのを、見られてるかも」
「……なるほど。こりゃ、本格的にまずいな」
日番谷は口の端を曲げて苦笑する。
「何がです?」
「何がじゃねぇだろ、松本。霊圧は、霊子の集合体だ。俺たちの体も断界も、ソウル・ソサエティの物質は全て霊子で成り立ってるんだぞ。拒絶されたらたまんねぇよ」
「……え? 何?」
表情を変えた死神たちを見返して、織姫が戸惑ったような顔をした。
何でもないのだと、そう言ってほしかったのかもしれない。


ルキアはちらりと、部屋の中を振り返った。壁面には、カレンダーがかかっている。
いくつかピンクのマジックで丸がつけられ、楽しげな丸文字が踊っていた。

4月 3日。空座公園でお花見。
4月 8日。始業式。
4月15日。たつきちゃんと買い物。

ルキアはぎゅっと唇を噛み締めた。
織姫が、死神が作った結界を「拒絶」できるかもしれないという可能性。
それは単に可能性にすぎないが、もしできてしまったら、瀞霊廷は滅ぼされかねない。
織姫が決して人を傷つけないと決意しているとしても、藍染側には関係ないだろう。
利用できる力だと知れば、どんな手を使ってでも手に入れようとするに違いない。
「……井上」
名前を呼んだところで、喉の奥に言葉が押し戻されるようなためらいを感じた。でも。この言葉は、自分が口にせねばならない。
「破面との戦いが終わるまで、お前は瀞霊廷に避難するべきだ。そうしなければ、身が危ない」
ひとりの少女の日常が、犠牲になる。
ふがいなさを感じないはずはなかったが、他に手がないのは、事実。

織姫は、一瞬表情をなくして、ルキアを見返して来た。数秒間の、沈黙があった。
「……朽木さんがそう言うなら、それが一番いいんだね。わたし、その通りにするよ」
ほほ笑みさえかすかに浮かべ、頷いた。
「待っておれ。すぐに、戦いを終わらせてみせる」
「うん」
今度は子供のように、こくりと頷いた。そして、視線を伏せる。
「黒崎くんも……戦うのかな」
「もちろんだ。お前が関わるのに、あの男が放っておくはずがないだろう」
「……傍にいられないなら、傷を、治してあげられないね」
「馬鹿者。一護のことなど心配している場合ではなかろう……」
自分が狙われていると言うのに。急に切なくなり、ルキアは視線を逸らした。
「無理しないでって、伝えて」
織姫はふわり、と少しさびしげにほほ笑んだ。

「まあ、話す時間くらいはあるさ」
日番谷は視線を窓の外にやったまま、織姫に声をかける。
「ゲッ、増えてますね」
その視線の先を追った乱菊が、顔をひきつらせた。
「さっきの破面のとこに、四体集まってる。この調子じゃまだ増えそうだな」
「三対四か。でも隊長がいれば楽勝ですね♪」
「いや……」
日番谷は、部屋の中の織姫を一瞥した。
「今、ここを離れるのはまずい。お前らは残れ、俺一人でいい」
「すご……って、さすがにカッコつけすぎですよ、隊長! あたし達、限定解除の状態だって知ってます?」
「てめぇじゃねぇんだ、忘れやしねぇよ」
言い合っている二人を見て、ハッとする。
そういえば、副隊長以上の死神が現世に出てくるときは、「限定解除」が鉄則。
現世に及ぼす影響が大きいため、本来の力の2割しか出すことができないのだ。

「ちょっとぉ、朽木からも何とか言ってやってよ! さすがに無茶よ」
乱菊がルキアを振り返る。こちらを見て来た日番谷と目が合い、ギクリとする。
一緒に行動してすぐ気づいたが、日番谷は会話の間、相手の目をじっと覗き込む癖があるようだ。
こんな強い目に見つめられて、よく乱菊は平気なものだと思う。
自分と同じ氷雪系で、かつ最強の斬魂刀を持つ者に対する、ルキア自身の気後れがそう思わせるのかもしれないが。

「……大丈夫だよ、あたしは」
その時、窓枠まで歩み寄った織姫が日番谷を見下ろした。
「だって、黒崎くんが今、こっちに向かってるもん」
そう言って、すぅ、と東の方を指差す。
確かにそちらに意識を凝らすと、間違えようもない一護の霊圧がこちらに近づいているのが分かった。
おそらく、あと1分もしないうちにこの場に辿り着くだろう。

一護の霊圧に半ば押されるように、ルキアは日番谷に向き直り、口を開いた。
「日番谷隊長、一護なら大丈夫です。任せられます」
その言葉に、日番谷はしばらく無言で考えているようだった。
しかし、吹っ切るように一度、頷く。

「指示をください、隊長」
乱菊の言葉に、日番谷はふたりを振り返る。
「……何があっても生き残れ。死ぬんじゃねぇぞ」
「はい!」
ルキアと乱菊は同時に頷いた。今回の戦いのことだけを差している言葉ではない、と分かった。
これを幕切れに始まる、長い長い戦争―― その終結を、生きて迎えろ、ということだろう。
「先へ行くぞ。ついて来い、松本、朽木」
そう言った言葉を最後に、その体が瞬歩で消えた。



* last update:2012/6/30