「くっ!」
爆発的に冷気が噴出し、夜一は顔を手で覆った。冷たいというよりも、痛いほどの冷たさだ。しかし、今にも直撃するかと思った霊圧は、前にスッと現れた影に遮られた。
「マトモにこの霊圧、浴びないほうがいいっスよ」
「浦原、お主は大丈夫なのか?」
「ボクは大丈夫ですよ。女の子は体を冷やしちゃ駄目っス」
相変わらずの、脱力的な台詞を吐いた浦原の肩越しに、半透明の赤い壁が見えた。斬魂刀『紅姫』を前にかざし、冷気を防いでいるらしかった。『紅姫』の本体は嫉妬深い「女」だ。夜一を庇うなど、腹の底では物狂おしく思っているだろう。
まあ、今はそんなことはどうでもいい。夜一は日番谷に視線をこらした。

前方で、パキパキと乾いた音を立て、氷が一箇所に集まってゆく。それは巨大な胴体となり、翼となり、牙となった。幾万もの氷のカケラで形作られた体は、白から深い藍までグラデーションがかっている。
動くたびにキラキラと輝く姿は、幻想的なまでに美しかった。口の部分が大きく裂けると同時に、地響きのような彷徨が木霊し、空気が振動する。
「なるほど、氷輪丸の本体は龍の姿ですか。氷雪系最強、と呼ばれるにふさわしい」
瞳にあたる部分が、真紅に輝いた。そして意思を持ち、周囲に射るような目を向ける。君臨者の、高みから見下ろす視線。しかし一瞬のうちに牙を剥き、襲い掛かってきそうな激情。
一枚のカードの裏表のように、冷たさと熱を併せ持つ霊圧。

その様子を見守っていた浦原が、ニヤリと笑った。
「なるほど。確かに総隊長のお言葉通りみたいですね。霊圧はほぼ同一だが……わずかに、『ずれて』いる。これは面白い」
「面白がっておる場合か」
そう返しながらも、夜一は心中首をひねった。
総隊長から、日番谷冬獅郎がそちらへ行くから頼む、と直々に連絡が来たのは、今からわずか30分ほど前のことだった。概要を聞いた時は、そんな馬鹿なと思った。本来、斬魂刀は持ち主の魂から生まれる。故に、斬魂刀と持ち主の魂は完璧に合致して当たり前だ。しかし目の前で事実として見せ付けられれば、認めるしかなかった。日番谷にとっては晴天の霹靂だったろう、と思えば同情に値する。もしかすればうっすらと気づいていた可能性はあるが、まるで親子が実は血がつながっていなかった、と分かった時のような動揺はあるだろう。
「……はるか昔、斬魂刀の形がまだ定まっていなかったころは、亜種だらけだったって言いますがねえ。亜種の生き残りってところですか。興味深いですね」
だから、面白がっている場合か。このマッドサイエンティストを前にすると、自分がマトモに思えてくる。


「日番谷冬獅郎。我になんぞ用か」
「氷輪丸」の声は咆哮と同じく、地響きや雷鳴のように低く轟いた。
「聞きたいことがある」
氷輪丸を見返す日番谷の髪は、冷気に煽られてたなびいている。
「総隊長は、お前が正式な斬魂刀ではないと言った。お前と俺の霊圧は一致していないとも。それはなぜか、お前は知っているのか」
氷龍は、その問いにはしばらく無言だった。息詰まるような沈黙の後、口を開く。
「知りたいと申すか」
日番谷が頷く。見守っていた夜一には、氷龍の口元がわずかにゆがんだように見えた。
「理由は貴様もよく知っているはず。分からぬというなら、貴様が真実から目を逸らしているだけだ」
「……え?」
日番谷から年相応の声が漏れたのは、よっぽど意外だったのだろう。

「……浦原。どういうことだと思う?」
横に佇む浦原に、小声で問いかけた。
「あれだけでは何とも。真実ってのはなんのことでしょうね?」
肩越しに振り返った日番谷は変わらぬ仏頂面だが、戸惑いも見える。理由に思い至らない、そんな感情が見て取れる。
氷輪丸が、日番谷に挑むようにその巨大な前足を一歩踏み出した。それだけで、冷たい霊圧が波のように迫ってくる。ギラリ、と瞳に凶暴な光が宿った。危ない、と察したのは一瞬。
「全ての鍵を握るは、貴様自身だ」
声と同時に、目にも留まらぬ速さで口から冷気を吐き出した。


すさまじい勢いで、地面が氷に覆われてゆく。日番谷が瞬歩でその場から飛びのいた。
「遅い」
地を這う冷気の先端が、舌のようにうごめく。それは、日番谷が持つ刀に巻きつくと一気に奪い取った。そして、口の中に刃を飲み込んだ。
「答えを知りたければ、この刀を我から取り戻してみるがよい」
日番谷が無言で、体勢を低くする。口元で何か呟いているように見えたが、何を言っているのかまでは聞こえない。
「まずい日番谷、避けろ!」
叫ぶよりも速く、氷輪丸は口から氷の柱を次々打ち出した。
「破道の五十八、天嵐(てんらん)!」
凛とした日番谷の声がそれに返す。と同時に、巨大な竜巻が少年の周囲から巻き起こった。突風の直撃を受けた氷輪丸が翼を広げ、中空に舞う。氷のカケラが周囲に飛び散る。日番谷を狙った氷の柱はことごとく方向を反らされ、周囲の地面に突き立った。日番谷がキッと顔を上げ、空中の氷輪丸とにらみ合う。激しい戦いの予感の中でも、息を飲むほどに美しい立会いだった。
「取り戻してみろ、と言ったか。『氷輪丸』」
少年と思えぬ威圧感が、その低い声から放たれる。
「分かってるんだろ? その刀は俺のものだ。返してもらうぜ」
「……やってみろ」
返事の代わりに日番谷は腕を氷輪丸に向って差し伸ばした。
「……玲槍」
現れたのは、丈は5メートル、一抱えの太さはある氷の槍。こんな技は鬼道にはない、とうことは、日番谷独自の技なのだろう。斬魂刀を持たずに力を操るなど、生半の鍛錬ではない。スッ、と指が氷輪丸を指すと同時に、迅雷の速さで槍が発射された。


「とっ!」
二人同時に、数十メートル離れた岩の上に瞬歩で避難する。
「帽子が凍っちゃいましたよ……」
「お主、ちょっと黙れ」
相変わらず緊張感がない浦原を、横目でにらみつけた。すぐに顔を上げて状況を確認する。大気が振動し、槍はまっすぐに氷輪丸の胴を直撃した。
「効いたか……?」
そう呟いた目の前で、氷輪丸の体に異変が起きた。霊圧を浴びた体躯が、見る見る間に一回り巨大になってゆく。そういうことか、と心中うなずくしかなかった。氷輪丸は、日番谷の氷雪系の霊圧から生み出された姿。その力を受ければ、ますます力をつけて当然だ。
「……なるほど」
日番谷は戦いの手を止め、軽く小首をかしげた。浦原が実験の最中に見せるような、結果を前に考え込んでいるような表情だ。

「分が悪すぎるな、この勝負……」
苦々しい思いで口角をあげた時、浦原の飄々とした一言が静まり返った空間に響いた。
「氷輪丸は大きくなりますけど、日番谷隊長は小さいままですね」
「……」
日番谷が、それこそ凍るような視線を浦原に寄こした。
「あぁ、日番谷隊長! そんな目で見られたら……アタシ凍っちゃいます♪」
バカヤロウ!
彫刻のようにビシバシと固められている浦原を見ても、同情心は当然起こらない。

「てめえ。緊張感なくなるから、どっか行け」
もっともじゃ。
「いや、空気を和ませようと……」
「黙れ」
日番谷と夜一の声が重なった。和ませる必要など金輪際ないから、ちょっとは空気を読め。
「氷雪系の霊圧は、逆効果ってことでしょ? ちょっとお茶でも飲んで仕切りなおし……」
「だな」
更にキレるかと思ったが、日番谷はそれ以上かまわず、氷輪丸に視線を戻した。

「破道の六十、鎌鼬!」 
決して軽度ではない鬼道を、いとも無造作に放つ。真空でできた刃を、相手に向けて打ち出す技だ。斬魂刀でも叩き折るというこの術を、真っ向から受け止めるバカはいない。
氷輪丸も例外ではなかったらしく、背後に避けるのを詰め寄り、二発、三発と打ち込んだ。避け切れなかった一発が、氷輪丸の右の角にかすった。角は砕けたが、すぐに元通り再生される。
―― 何で、右腕しか使わない?
左手も使えば、もっと数を撃てるだろうに。
「なるほど。氷雪系の鬼道じゃなければ、強化はされねぇのか……赤火砲!」
左腕に、赤い光が宿る。
―― 二重詠唱か!
そう思い立った直後、両掌をバン、と叩き合わせた。赤い光は、あっという間に全身を包み込む。

違う。
二重詠唱は、二つの異なる術を時間差で打ち出す高等技術だ。
「これは・・・鬼道の融合か?」
「ほぉ。面白い術を使いますね」
帽子の鍔をクイッと指で持ち上げ、浦原が目を見張った。日番谷の背後に現れたのは、三日月状の鎌鼬の刃。ただ、足元から、頭上にまで達する2メートル近い巨大なものだ。そして今は、焼けた鉄のように真っ赤に色づいていた。
「じゃぁ、焔ならどうだ?」
その霊圧に、氷輪丸が一歩引いた。その動きを見越していたのだろう、日番谷が電光石火の勢いで、その懐に飛び込んだ!



* last update:2012/10/11



エドワード・エル○ックな日番谷くんを、うっかりお届けしてしまいました><