「うっ!」 うめき声を上げ、起き上がろうとした肩をぐっとつかんで床に押しつける。 「でかした黒崎!」 石田とチャドが飛び出してきたのを視界の隅に捉えたとき、足元から聞きなれた声が聞こえた。 「い……一護?」 「おぅルキア……、って、あれ?」 一護はとっさに返事をして、固まった。なぜ今ここで、ルキアの声が。きょろきょろと辺りを見回すと、プルプルと腕の下で小柄な体が震えた。 「貴様は一体、何をやっているのだ、一護!!」 「へ」 その時になって、ようやく一護は、自分が押さえつけていたのがルキアだということに気づいた。 「……」 互いの顔の距離は、50センチくらい。両手で両肩を押さえつけ、のしかかっている姿はまるで…… 「一護……」 低い声に、固まっていた一護は慌てて顔を上げた。殺気を全身にまとわせ、斬魂刀を開放しようとしている赤髪の男が、見えた。 「ま、まて恋次、誤解だ誤解!」 「うるせー!! てめぇ、ルキアに何してくれてんだっ!! 卍解っ!!」 どーん、とその場にどこか間の抜けた爆発音が響いた。 「……だからよ、聞けよ。動きが早すぎて、顔とか体格とか見てる余裕なかったんだよ!」 「そうそう。死神が、こんなに早く来てくれるなんて思ってなかったしね。って、聞いてくれてる?」 「……ウム」 三人は順番に、目の前で仏頂面をつくっているルキアと恋次に向かって事情を説明した。……ていうかどうして、正座しなくちゃいけないんだ。 「分かっておる」 ルキアはもうよい、と言うようにヒラヒラと掌を振った。 「ガキと言えども十五。そろそろ色気づいてもよいころだな」 「だから! 分かってねぇ、あんた分かってねぇよ! っていうか俺は十六だ!」 実年齢はとにかく、見た目は年下にさえ見えるルキアに、色気づいたとか言われたくなかった。 「そんなことより、瀞霊廷がよく、君たちがここに来るのを容認したね?」 石田の何気ない言葉に、カチン、とルキアと恋次が固まった。 「容認して……ねぇのか?」 おそるおそる聞いてみる。考えてみれば、たった一人だけ助っ人に寄越すなんて中途半端なことをするだろうか? ……いや、ありえねぇな。 総隊長の顔を思い浮かべながら自問自答する。二人は思ったとおり、気まずそうに頷いた。 「貴様ら三人だけ行かせたところで、モノの役にも立たぬと思ったのだ!」 ルキアは、キツイことをさらっと言ってのけると、懐に手を入れた。そして、50センチ四方くらいの紙を取り出し、その場に広げた。 「なんだこりゃ?」 何気なく見下ろして、すぐに気づく。 「これは!」 石田が身を乗り出して、食い入るようにそれに見入った。 「あそこにある、でかい城の内部地図かい? すごいな、どうやって手に入れたんだ?」 「なに、兄様の机の上に偶然広げてあるのを見つけてな、お借りしてきたのだ」 それって、盗んだんじゃねーか? 一護はそう思ったが、言わないことにしておく。大体白哉にしても、わざと広げておいたんだろうし。一護は、もはや本人達以外が全員信じているに違いない、「白哉、妹溺愛説」を思い出していた。 「なんにしろ助かった! あの城の内部がどうなっているのか、正直困ってたんだ」 石田は、早くも城の中枢を見つけたらしく、指で道をたどっている。 「あの城の名は、虚夜宮。かつて最強と呼ばれた破面の牙城だ。今は藍染がその地にいるが…… この城内の構成から見ても、玉座の位置は変えていないと見るのが得策だな。すると」 「ここだな」 ルキアが差した一点を見て、石田も頷いた。 そこは、なだらかな弓形を描く「虚夜宮」とやらの建物の、中央奥に位置する場所。網の目のように張り巡らされた道は、最終的にはその場所に集約されている。 「こんなモンがあったんだな」 一護が見上げると、ルキアは眉間に皺を寄せた。 「我々死神を甘く見るな。破面との戦争はいずれ起こるものとして、情報収集を重ねておるのだ。……まぁ、このような事態は夢にも思っていなかったがな。我々の失態だ」 まさか、死神が虚夜宮の主になるとは。ルキアは彼女には珍しく、自嘲気味の笑みを浮かべた。 「とにかく!」 恋次が、沈みかけたその場の空気を引き立てるように大声を出すと、立ち上がった。 「ピクニックじゃあるまいし、こんなとこで地図広げてても始まらねぇ。行くぞ」 「そういえば、急に虚が攻めて来なくなったな」 つられて立ち上がり周囲を見回すと、ルキアがにらんでくる。 「通してくれる気になった、とでも思うか? むしろこの沈黙は……」 そこまでしか、ルキアは言うことができなかった。 カッ、カッ、と硬質な音が、頭上の岩の上から聞こえてきていた。 「……蹄の音か?」 ルキアが怪訝そうに、眉を潜めて上を見上げる。一護も並んで見上げたが、まぶしくてよく見えない。 「馬か、カモシカでもいるのか」 動物好きのチャドが身を乗り出したが、多分チャドの期待通りのモノは出てこない気がした。 「……ンッ?」 やわらかい香りが、鼻腔をくすぐる。目を凝らした先で、翠の髪が空気に流れた。 「お、女?」 太陽を背負っているせいで顔がはっきり見えないが、その輪郭は明らかに女だった。目がなれるにつれ、深い翠色の髪をもつ、色白の女だということが分かった。鼻から両頬にかけて横一文字に、ピンクのペイントが施されている。淡い翠色の瞳が、一護たちをまっすぐに見つめていた。 カッ。 もう一度音が響いた時……その場にいた全員が息を飲んだ。 「じ……人獣?」 馬にまたがっているのかと思ったが、そうではなかった。その女の下半身は、ヒトのものではなかった。カモシカを思わせる、4本の足がついていたのだ。華奢にさえ見える豊かな上半身とは逆に、伸びた足は筋肉質で、力強く地を蹴っている。まるで神話に出てくる神獣みたいだ、と一護は場違いなことを思う。確かに、髪と同じ翠色の長い尾が風にたなびいている姿は、神々しくさえあった。 「……あなた達が、侵入者ね」 大人の女を思わせる、穏やかなしっとりした声が周囲によく通った。 「お前らが捕らえた、仲間を取り返しにきただけだ!」 一護が怒鳴り返しても、女は涼しげな瞳を向けただけだった。 「私の名は、ネリエル。階級は5。これ以上部下を失うわけにはいかないわ。だから、この区域の支配者の私が、ここへ来た」 「NO.5……十刃か!」 いきなり、一番出会いたくなかった上位の破面にかち合ってしまったわけだ。一護と恋次はちらりと視線を交わし合う。前にふたりでかかって、一太刀も浴びせられなかったグリムジョーが、NO.6だと言っていたはずだ。あれよりも、更に強い、ということになる。 「……その足。逃げても無駄そうだな」 ルキアが、ネリエルの四本の足を見やり、ため息をついた。 「あなた達の誰よりも足は速いわ」 自慢するようでもなく、さらりとネリエルが返した。 「だろうな……もともと退路はない。押し通らせてもらうぞ」 ルキアが、それに続いて恋次が、同時に斬魂刀を構える。ネリエルは軽く息をつくと、背後に携えていた武器を手に取った。 「なんだアレは……槍か?」 女の体長くらいの長さはゆうにある、巨大な槍だった。あの細腕にどうやって、と驚くくらいに大きく、ドリルのような穂先が中央の持ち手部分をはさんで、両側に取り付けられていた。冗談じゃねぇ、と一護の頬に冷や汗が伝う。あんなモノに差されたら、あっという間にあの世行きだ。 「いっ……石田、行け! 同じ槍だろ!」 「そうだ石田、行け!」 「って、あんなモンと一緒にしないでくれ!」 一護とルキアに、石田が焦って怒鳴り返した瞬間、ネリエルが大きくやりを背後に振りかぶった。五人が身構えるよりも早く、その槍を思い切り投げつけた! 一護はとっさに、そばにいた石田とチャドを突き飛ばし、自分も地面に転がった。激しい轟音に振り返ると、背後にあった数十メートルの崖が原型もなくなるほどに砕け、崩れ落ちるのが目に入った。一護たちの体の何倍もあるサイズの岩が、何事もなかったかのように岩に飲み込まれ、消えてゆくのを唖然として見守る。 ―― 無茶苦茶だ、こいつ…… 死神たちの持つ斬魂刀と比べても、一撃の破壊力が大きすぎる。瓦礫と化したその場で、ルキアと恋次が身を起こすのが見えた。しかし二人とも、まるで天災に出くわしたかのように茫然自失の表情だ。 ネリエルは、動揺を隠せない死神たちを感情のない視線で見渡した。 「退きなさい」 厚みのある紅色の唇から放たれた言葉に、耳を疑う。 「あなた達では私には勝てない。あきらめなさい」 「ふざけんな……」 一護はぎりっと奥歯をかみ締めて、ネリエルを睨み返した。 「お前らが一方的に宣戦布告して、勝手に井上を連れ去ったんだろ! ただ指をくわえて見てろっていうのか?」 「そうよ」 ネリエルの答えは、即座に返された。 「この世は弱肉強食。弱い者は、強い者に何をされても仕方がないのよ」 何をされても、仕方がない。その言葉を反芻した一護の脳裏に、浮かんだ光景があった。もう恐ろしく昔のことに思えるが、現世で織姫がさらわれたその瞬間のことだ。 あの時、遠のく意識の中、頬にぽたぽたと落ちる温かな感触に、一護はわずかに意識を取り戻した。目を開けると、織姫の泣き顔がぼんやりと映った。 ―― 何を……泣いてるんだ? 聞きたいが声が出ない。織姫は自分の目から零れ落ちる涙にも気づいていないようだった。ただ、一護の体に視線を落とし、一心に祈るように力を込めている。少しずつ、全身を貫いていた痺れが元に戻ってゆくのを感じる。 「おい、そろそろ行くよ」 頭上で男の声が聞こえ、一護は突然全てを思い出した。あれはNO.1十刃、スタークと名乗った男の声だ。奴は無事なのに……自分達は、どうしてしまったんだ? 自分の下に広がっている血だまりを見て、一護は戦いの結末を知る。 ―― 井上っ…… 金縛りにあったように、声をかけたくても、声がでない。指一本動かすこともできない。なんとか声を絞り出そうとした時、掌に冷たい感触があった。織姫が身につけていたヘアピンだ、ということが分かる。 織姫が、そっと一護の耳元に口を寄せた。 「どうか。……しあわせに」 織姫は、ぐっと目じりを押さえると、涙を振り払った。 「今、行くわ」 織姫の体温が遠くなる…… 「何をされても、仕方がない、だと……?」 声が震えた。懐の中に、織姫が残したヘアピンの感触があった。きっと、遺品のつもりであの時、一護に託していったものだ。 「そんなはずあるか! お前らがいくら強かろうが、井上を苦しめる権利はねぇぞ!」 ネリエルは瞳を細めて、そんな一護を見返した。 「そう、戦うのね。私も容赦はしない」 「お前ら、先へ行け!」 一護はルキア、恋次、石田、チャドを見下ろした。 「一護、しかし……」 「井上があの城のどっかにいる」 斬月の切っ先をネリエルに向けながら続けた。 「早く助けてやりてぇ。きっと不安がってる」 「……分かった。必ず、追ってこいよ」 ルキアが一護の背中を叩き、瞬歩で姿を消した。4人とも姿を消した後、大きく深呼吸をする。怖い、とは思わない。力が体の底から湧き上がって来るのを感じていた。 * last update:2010/10/11
補足です。
ネリエルはこの話では、現役の十刃(NO.5)にしてます。
それにともなって十刃の設定も絶賛捏造中です(笑)
[2010年 2月 11日]