「ルキ……!」
悲鳴のような声で私の名を呼ぶ恋次の声が、やけにゆっくりと聞こえた。私は……動けない。
その刹那、黒い影が私と虚閃の間に、電光石火の勢いで飛び込んできた。
「ぐっ……」
押し殺した呻きとともに、鮮血のしぶきが私の頬に飛んだ。
「ひつ……がや、隊長」
日番谷隊長が、後ろ手に構えた刀で背後から襲った虚閃を受け止め、私にぶつかる直前で静止していた。
しかし、このような至近距離で、しかも限定解除の状態では受け止められるはずがない一撃だった。
ビリビリと空気が振動し、背中に担いでいた氷輪丸の鞘が、粉々に砕け散る。
「どう……して」
隊長なのに、席も持たない自分を庇ったというのか。
日番谷隊長と私の力の差は、席次を出すまでもなく歴然としている。どちらが生き残った方が戦いに有利かなど、考えるまでもないというのに。
何がどうなったのか理解できないまま、腕は倒れ込んできた日番谷隊長を受け止めていた。
「隊長っ!」
切迫した声とともに、松本副隊長が駆け付ける。
「……大丈夫」
気を失っても刀の柄を握ったままの日番谷隊長の顔を覗きこみ、息をついた。
「なぜ、私などを……」
「隊長だから、この程度なのよ。あんたがあの攻撃受けたら木端微塵だったわよ」
松本副隊長が私にそう返すと同時に、シャウロンが高い笑声を放った。
「これは思わぬ収穫でしたね。隊長なしに、あの連携はもう望めまい」
「……隊長に、傷を負わせたわね。許さないわよ」
松本副隊長の瞳に、ギラリと好戦的な輝きが宿った。
「朽木、隊長をつれて退がってな。あたしがやる」
明るい青の瞳が、爛々と怒りに燃えている。その隣に立った恋次が、同時に刀を構えた。
しかしその力は、普段の二人と比べれば及ぶべくもなかった。
近くのマンションの屋上に降り立ち、私は背負っていた日番谷隊長を下ろすと、そっと屋上の柵にもたれさせた。
ぽた、と音を立てて、血の雫がその額からコンクリートの地面に落ちる。
衝撃で脳震盪を起こしたのか、完全に意識を飛ばしていた。
いつも遠くから見ていた時は、大きく見えた。
しかしその体格は、受け止めてみれば私よりも一回り小柄だった。
氷輪丸を持っていてこの体重なのだから、実際は私よりもかなり体重も軽いのではないだろうか。
意識を手放しているところを見れば、やはりまだ幼さを色濃く残した少年だ。そう思えば余計痛々しかった。
―― 利き腕をやられている……
右肩の辺りがざっくりと割れ、隊首羽織の純白の肩に、見る見る間に赤が広がってゆく。
この状態から見ても、ルキアを庇うことに精いっぱいで、自分のことまで考えが巡っていなかったのが浮かび上がって来る。
氷輪丸を持ったままでは傷にさわる。そっと離させようとしたが、指がしっかりと掴んだままで離れない。
しばらく離させようと格闘していた私は、不意にこみ上げて来た思いに、ぎゅっと唇をかみしめた。
意識を失っても刀は手放さないほどの、勝利への執念がある。
それなのに、この場で一番弱いルキアを、身体を張って護ってくれた。
―― 「……何があっても生き残れ。死ぬんじゃねぇぞ」
私にその価値があると、言ってくれるのか。
死神の力の譲渡という罪を犯し、一時は死刑を言い渡されたこの私に。
この人はきっと優しいのだ。懐から手拭いを取り出し、頬を伝う血をぬぐった。
そして自分を叱咤する。敵を前に恐怖し、上官に庇われるなど、死神としてあってはならない。
細く裂いた手拭いを、肩の付け根に巻きつけ、きつく縛った。
白い布地は、あっという間に血で染まる。もしかすると、頸動脈を傷つけているのかもしれない。
なるべく早く、井上に診せたほうがいい。
剣戟の音に中空を振り仰げば、松本副隊長と恋次が破面と交戦していた。
しかしやはり、今の状態で戦い続けるのは難しい。じりじりと押されていた。
「……っ、そうだ!」
私は懐から伝令神機を取り出し、技術開発局を呼び出した。
今この状態をひっくり返すには、限定解除を解いてもらう他に方法はない。
何度か呼び出し音が響き、やがて腹が立つほどに冷静な技術開発局の窓口が出た。
「技術開発局ですが……」
「日番谷先遣隊が一、朽木ルキアだ。今戦闘中だがこの状態では無理だ、限定解除を解いてくれ!」
声も荒くまくし立てると、一拍置いた担当は、全く初めと変わらない温度で返してきた。
「限定解除の許可には手続きがかかりますゆえ、あと半日お待ちください」
「は、半日だと? 半日も……」
「待てるはずがねぇだろうが、この大馬鹿野郎っ!」
突然響いた怒鳴り声に、私は思わず悲鳴を上げる。
「ひ、日番谷隊長! 大丈夫なのですか」
「っつー……」
怒鳴ったとたんに傷に響いたのだろう、日番谷隊長は顔をひきつらせて傷を左手で押さえたが、すぐに伝令神機を私の手から奪い取った。
「今ので目が醒めた。で、どうなんだ!」
電話の向こうからは担当者の、しどろもどろの声が返した。
「し、しかし。申請の許可が下りるには、まだ……」
「唸れ、灰猫……」
松本副隊長の始解が、電話の声をさえぎった。あ、と日番谷隊長が声を漏らす。
その瞬間音もなく、砂と化した伝令神機が日番谷隊長の掌から零れ落ちた。
「……」
日番谷隊長と松本副隊長は、しばし無言で視線を合わせる。
「許可が下りた。霊圧を解放しろ」
ぽん、と手を叩いて砂を払い落とすと、日番谷隊長は全員を見回す。
「え? 今、そういう話の流れでしたか? 日番谷たい……」
「いいのよ」
松本副隊長が、問いかけた私を制した。
死覇装の襟をくつろげると、豊かな胸元が覗く。そこに、水仙の形の刺青が刻まれていた。
恋次が二の腕をまくると、そこにも同じように椿の花の紋様が見えた。
「限定解除!」
二人が同時に叫ぶと、刺青は消える。
そしてすさまじいまでの霊圧が、三人から放たれた。
「阿散井! お前は黒崎のところへ行け!」
額から流れ落ちた一筋の血を拳で拭い、日番谷隊長は恋次を見上げた。
滴る真紅に、恋次は眉を顰める。
「でも……」
「ここは大丈夫だ。いいから行け」
「……はい!」
恋次は意を決したように頷き、瞬歩でその場から姿を消した。
「日番谷隊長!」
私は日番谷隊長に駆け寄る。
「私はここに残り、戦わせてください。足を引っ張った分、働かせていただきます」
席があろうがなかろうが、私も死神なのだ。そして、ここは戦場。
足手まといとなったままで、退くわけにはいかなかった。
「そゆことですって。隊長、おとなしくしててください♪」
松本副隊長が日番谷を見下ろし、にっこりと笑う。
隊長に対して、「おとなしくしろ」と言うなど、ルキアには想像もつかないが――
ふぅ、と日番谷隊長は息をついただけで、無言で背後に下がった。
ここは、自分達で何とかしてみせる。
私は斬魂刀「袖白雪」をスラリと抜き放ち、シャウロンに切っ先を向けた。
その少し前に、松本副隊長が進み出る。私を見ずに言った。
「朽木。あいつの強さは本物よ。気をつけな」
「はい」
一方、シャウロンは背後の白髪の破面を一瞥する。
「ディ・ロイ。全力で行け」
「ああ、皆殺しにすりゃいいんだろ」
ディ・ロイと言うらしい破面の声は、壊れたレコードのように掠れていて、どこか人工じみて聞こえた。
二人の破面は同時に掌を私たちに向ける。はっ、と身構えた時には、虚閃が炸裂していた。
「松本副隊長っ!?」
避けようとしたルキアは動かない彼女を見やり、すぐに気づいた。
彼女の後ろには、傷ついた上官が控えている。
「破道の三十三、蒼火墜!」
松本副隊長は刀を持っていない左手を前に出し、「力ある言葉」を叫ぶ。
青い炎がまっすぐに噴き出し、二人の破面の虚閃とぶつかり合う。
「へっ、二人分の虚閃を一人で受けようとは、自惚れすぎだぜ」
ディ・ロイがあざ笑う。相殺しきれなかった虚閃の一部が、松本副隊長を襲った。
「松本――!」
とっさに呼びかけた私の動揺とは逆に、彼女は右手に握った灰猫を構える。
「そうでもないと思うけど?」
ヒュン、と刀を空中で一閃させ、わずか一振りで虚閃をなぎ払った。
虚閃の光が晴れた後には、シャウロンの姿しかなかった。
「上っ!」
松本副隊長の鋭い声に、ルキアは見上げる。
「死ね!」
間髪入れず、彼女の斜め上にディ・ロイの姿が現れた。
歯をむき出し、愉悦に歪んだ表情も露に、彼女に向かって一直線に斬りかかった。
松本副隊長はスッと身を退くと、その場から瞬歩で姿を消す。
「逃げても無駄だ!」
ディ・ロイが辺りを見回した、その次の瞬間。
彼の背後に、松本副隊長の黒い背中が現れた。
「遅いわね」
肩越しに振り返ったその瞳が、妖しい光を帯びる。
「くっ!」
ディ・ロイがとっさに振り下ろした刃を、無造作に横から払う。
「無駄ってのはね。あんたみたいな男のことを言うのよ」
ふっ、と微笑んだその唇が、艶めく。
「破道の三十一。赤火砲」
同じ唇が、破壊の言葉を紡ぐ。
「物理的に灰にしたほうが、気持はいいか」
悲鳴を上げる間もない。圧倒的、だった。
副隊長の任務とは、隊長の背中を護ることだ。
しかし隊長が戦えぬ時は、最前線に立って戦う度量も必要だと聞いていた。
松本副隊長の、潔いまでの強さ。
そして、戦いの最中、軽く目を閉じたまま微動だにしなかった日番谷隊長。
普段は口げんかばかりのこの二人の絆を、見た気がした。
「……貴女は?」
灰になって宙を舞う、ディ・ロイだったものを見やったシャウロンが、無表情で松本副隊長に視線を向けた。
「松本乱菊。十番隊の副隊長よ」
「さすがは副隊長、大した腕前だ。しかしそちらの死神は戦力が上がらないようですね。最も弱い者を私に当てるとは、笑止!」
シャウロンの視線が、一瞬私に注がれる。しかしすぐに松本副隊長に視線を移し、矢継ぎ早に虚閃を放った。
舐められている。ぎり、と袖白雪の柄を握り締める。
確かに私の力は、日番谷隊長や松本副隊長と比較すると大きく劣る。
破面から見ても、実力差は明らかに違いない。それでも、私はこの場を託されているのだ。
松本副隊長は舌を打つと刃を身体の前に斜めにかざし、虚閃の軌道を直前で逸らした。
それでも、虚閃の力に押され、ぐらりと身体がよろめく。
その一瞬のすきをつき、シャウロンは一気に彼女の懐に飛び込んだ。
「死ね」
酷薄な一言とともに、右腕で刀を大きく振りかぶった。
―― いまだ!
私はその瞬間、瞬歩で跳躍した。
松本副隊長につきたてられようとしていた刃が、ガクン、と下に落ちる。
「何……」
目を剥いてシャウロンが振り返る。そして、刀身に飛び乗った私に視線を止めた。
隙だらけだ。袖白雪が半円の軌跡を描き、シャウロンの首もとに吸い込まれる。
しかし私の刃は、敵に届く直前で、シャウロンが左腕に持ったもう一本の刃に受け止められていた。
「甘い!」
シャウロンが勝ち誇った声を上げ、残った一本を私に繰り出す。しかし、その攻撃はもう織り込み済みだった。
「……舞え。袖白雪」
シャン、と鈴を鳴らすような音を立て、握った柄から、刀身の色が純白に変わってゆく。
交差したシャウロンの右の刃が、音を立てて凍てついて行く。しかし、左の刃の動きは止まらない。
一旦退くか、と思った時、その刃が左腕ごと、見る間に刃に覆われた。
―― 私の力ではない。とすると……
一瞬生まれたためらいを、瞬時に断ち切る。
「ちっ!」
舌打ちをしたシャウロンが、刀の上の私を振り落とす。私は中空で、切っ先をシャウロンに向けた。
「初の舞、月白!」
袖白雪を軽く一閃させ、着地する。
その直後、シャウロンの体が、柱状に凍りついた。
私が刀を納めると同時に、それは粉々に砕け散った。
***
「終わったな」
振り返れば、日番谷隊長の姿が、すぐ背後にあった。
痛みを全く感じていないような表情だが、血止めをしたにも関わらず、その右手には血が幾筋も伝っている。
「……助けていただき、申し訳ありませんでした。しかも、二度も」
私は深く頭を下げた。
戦っている最中は頭になかったが、シャウロンは私よりも数段上の霊圧を持っていた。
日番谷隊長が左腕を凍りつかせていなければ、こんなあっさりと勝つことはできなかっただろう。
「すぐに、井上のところに行きましょう! その傷では……」
「馬鹿野郎。まだ戦いは終わってねぇんだぞ。後でいい」
「でも……」
ひらり、と私達の傍に舞い降りた松本副隊長が、日番谷隊長と私を交互に見て、ため息をついた。
「無駄よ朽木。隊長の得意技は鬼道と昼寝、そして痩せ我慢なの」
「……喧嘩売ってんのか松本」
「どうして、私などを助けてくださるのです。部下が生き残っても、隊長がいなければどうにもならぬではないですか」
私の言葉に、日番谷隊長は当惑したような表情を浮かべた。
「理由なんてねぇよ。あの一瞬で、そんなの考える時間もねぇし」
そこまで言って、なぜかわずかに目を見開いた。
「質問の答えになってねぇ――か。俺も人のことは言えねぇな」
私には分からぬ独り言を呟く表情は、不機嫌そうには見えなかった。
「――黒崎」
「え?」
「黒崎と、阿散井がまずいことになってる。向かうぞ」
くいっと顎で示されたほうを見やる。自分達の戦いに精いっぱいで気づかなかったが、霊圧が急激に高まっているのが分かる。
そのうちの二つは、一護と恋次のものに違いなかった。
「一角と弓親はどうしたんでしょう?」
「霊圧を探ってみろよ」
松本副隊長の言葉に、日番谷隊長は呆れたような口調で、南に視線を送った。
「なんだ? この霊圧は……」
釣られて南をみやり、思わず声を漏らす。
霊圧が跳ね上がりすぎてよく分からないが、あれは間違いなく斑目三席の霊圧だった。
こっちも戦いで必死で気づかなかったが、別の破面と戦いを繰り広げているらしい。
しかし、明らかに斑目三席のほうが優勢だった。
松本副隊長が驚き半分、呆れ半分の表情で肩をすくめる。
「三席なのに卍解できちゃうわけ? 限定解除もかかんないし、黙ってるなんてずるすぎ」
「あれでも隠してるつもりらしいぜ。ところで松本、お前にはそういう奥の手はねぇのか?」
「あたし、隊長に全部、包み隠さず見せてますから♪ ……ちょっと、ため息で流さないでください!」
「一護と恋次の元に向いましょう!」
私は思わず先に立って叫んだ。ひしひしと、桁違いの破面の力を感じていた。
* last update:2011/9/19