「大丈夫か、恋次!」
「おぉ、悪ぃ」
ビルの屋上に墜落した恋次を、抱えるように引き起こした。
ちらりと着物の間から覗いた胸から腹のあたりが、内出血でドス黒い色に染まっている。
「戦えるか?」
「当たり前だろ」
恋次は強がったが、あの勢いで背中から落ちたのだ、背骨を損傷していてもおかしくない。
「……一護」
中空を見上げると、一護があのグリムジョーと対峙しているのが見えた。
背筋を伸ばし、ぐっと正面から相手を見据えているその立ち姿には、相手に対する気遅れは全くない。
日番谷隊長と松本副隊長は、一護から10メートルほど離れた位置に下がっている。
二人とも抜き身の刀を肩に担ぎ、静観の構えなのが意外だった。
―― 一護を信頼しているということか? それとも、実力を試したいのか。
一護の背中を無言で見つめる日番谷隊長と、グリムジョーを睨みつける一護を順番に見比べた。
グリムジョーが、口元に笑みを浮かべ、刀を構える。
一護も対照的な動きで構える。
ごくり、と唾も飲み込めないような静寂が、その場を支配した。
と、その時。
「ひゃあっほぉぉー!!」
奇声が唐突に空気を切り裂き、いち早く日番谷隊長が額に掌を当てた。
ルキアが見上げると、見慣れた人影が上空から降ってきた。陽光にキラリと、髪ひとつない頭が輝く。
「うわ、まぶしっ!」
一護と松本副隊長が目を腕で覆った。
「誰がツルッパゲだ!」
その一護の首に、降ってきた男、斑目三席の腕が決まった。
嗚呼、と日番谷隊長の嘆息が耳に届くようだ。
「ぐおっ!」
一護が墜落して空いた場所に、斑目三席と綾瀬川五席がおさまる。
斑目三席が斬魂刀を肩にかつぎ、息巻いた。
「さっきの二匹程度じゃ全然足らねぇんだよ、破面! 腹の穴に紐通して束ねてやっから、まとめてかかって来いや!」
「……イキがいいのは嫌いじゃねぇがな。どこまで持つかな」
グリムジョーは、口角を上げてにやりと笑った。そして刀の切っ先を斑目に向けた、まさにその時。
グリムジョーの眼前に、白い影のようなものが奔った。
「もう一人、だと」
いつ現れたのだ? グリムジョーに気を取られていたせいもあるだろうが、全く存在に気づかなかった。
肩までざんばらに伸びた、漆黒の髪。病的なまでに白い肌。そして、生き物に思えないほどに、鮮やかな碧の瞳。
身体つきは、女のように華奢だったが、男だ。その細い腕で、グリムジョーの逞しい手首を押さえている。
―― グリムジョーよりも、上なのか……?
グリムジョーは不愉快そうに黒髪の男を見下ろしている。しかし、その腕を振り払うことができずにいる。
「退け。グリムジョー」
黒髪の男がそう言った。その冷静な口調がどことなく兄様に似ていて、心中ドキリとさせられる。
「なんだと? 今から楽しくなるっていうのによ」
「すでに他の破面は死んだ。一旦戻れとのご命令だ」
命令、という言葉に、日番谷隊長と松本副隊長が視線を見かわした。
「それがどうしたよ、ウルキオラ。すっこんでろ」
「命令違反は、NOの剥奪に直結する。それで構わぬなら、いつまでも戦っていろ」
「命令とか、NOとか、何やらおもしろそうなことを話してるじゃないか」
綾瀬川五席が、唇に笑みを浮かべてグリムジョーと、ウルキオラと呼ばれた男を見やった。
「君たちの黒幕は、やはり藍染なのか? 破面の癖に、死神崩れに従うなんて美しくないね。僕らはしょせん宿命づけられた敵同士だ」
破面の二人は、綾瀬川五席に視線をやったが、無言だった。
藍染のことを知らなければ……また、根も葉もないことならば、否定しているはずだ。
沈黙の後、口を開いたのはウルキオラだった。
「……我らの戒律はただ一つ。『力』あるのみだ」
ふん、と舌打ちをしたグリムジョーが刀を鞘に納める。
「てめえら。命拾いしたな」
二人の背後の空が、まるで布を裂くようにぽっかりと割れ、黒腔が現れる。
黒腔の向こうには、どんよりとした黒が広がっていた。
戦いが、終わるのか。
そこで気が抜けなかったか、というと、嘘になる。だから。
「来るぞっ!」
日番谷隊長の鋭い声が空間を貫いたとき、とっさに反応できなかった。
しかし、私以外は全員、その言葉に素早く反応して刀に霊圧を込めた。
「虚閃!」
それと同時。何の前触れも無く、グリムジョーがその両腕から虚閃を放った。
さきほど戦った破面のそれと比べると、比較にならないほどの巨大さだ。
その時私の上空で、霊圧がぐんっ、と膨らんだ。
「一……!」
「月牙天衝!」
間髪いれず放った一護の一撃と、虚閃が空中で衝突する。
「……一護」
振り向いた斑目三席の目が、見開かれた。
相殺された虚閃と月牙天衝の衝撃波で、みなの死覇装がはためいている。
私も一護を見やり言葉を失った。
その顔半分が、虚の仮面に覆われていた。
それはほんの数秒の間のできごとで、すぐに仮面は割れ、破片となって一護の足元に散った。
しかし、その外見も、霊圧も、まるで……
穴の向こうに立っていたグリムジョーとウルキオラは、無言で一護を見下ろした。
「……クッ」
ニヤリ、とグリムジョーが笑みを浮かべた。
「次は殺してやるよ、死神」
黒腔がすっと細くなり、一本の黒い線になり……線も、空ににじんで消えた。
***
松本副隊長が、ゆっくりと一護の背後から歩み寄る。
「一護、あんた。その姿……」
そこまで言って、言葉を止めた。「破面のようだ」、それは言ってはならない一言だった。
破面を敵に回して戦っている今の状況で、それはあまりに危険すぎる。
刀を鞘におさめた日番谷隊長が、一護をみやった。
「てめぇ、それ、破面の仮面か?」
ぅわ、と松本副隊長が声を漏らして振り返った。
「ちょっと隊長、今あたし言葉止めましたよね? もう、台無し」
「いつからだ、黒崎」
松本副隊長を無視し、日番谷隊長が一護を見やる。一護は視線を逸らした。
「……白哉と戦っている時、一瞬意識がブレて……それが初めだ」
「その姿で朽木隊長と戦ったのか」
日番谷隊長は意外そうな表情を見せた。
兄様は、それを黙っていたということなのか。日番谷隊長が知らないのであれば、きっとそうなのだろう。
日番谷隊長は、しばし考え込むように視線を下に向けたが、すぐに軽く首を振った。
「まァいい。お前が俺達の敵でなく、その力が使えるんなら言うことは別にねぇ」
すぐに、投げ捨てるように日番谷隊長はそう言った。いーのかよそんなんで、と一護がこぼす。
「敵ではない」持って回った言い方ではあったが、つまり味方と見ているということ。
一護が、少しずつ隊長格に認められようとしている。そのことは、嬉しいと同時に誇らしくもあった。
そう思った時、日番谷隊長の視線が自分に注がれているのに気付き、背筋を伸ばす。
「朽木。お前、まだ動けるか?」
「は、はい! 当然です」
「よし。すぐに瀞霊廷に戻ってくれ。そして伝言を頼む。井上織姫を、なるべく早く瀞霊廷へと連れて行け、と」
「えっ……冬獅郎!」
「日番谷隊長だ!」
食ってかかろうとした一護を、日番谷隊長がギロリと睨んで押し返す。
「さっきの破面は、井上織姫を狙っていた。あんな奴らを相手に、確実に護りきれるのか?
できるかもしれねぇし、できねぇかもしれねぇ。できなきゃ井上織姫は連れ去られる。そんな危険な賭けをするつもりか?」
一護はぐっと言葉に詰まる。戦いの最中には、ついぞ見せぬ表情だった。
「……井上は、何て」
「あんたよりよっぽど肝が据わってるわよ、あの子。頷いたわ」
「……。そか」
それ以上、言う言葉がなかったのだろう。松本副隊長の言葉に一護が黙るのを見て、日番谷隊長が私に視線を戻す。
「重要なのは、その仕事は必ず、隊長格でやらせるってことだ。断界内では戦えねぇ上に、霊圧は丸見えになる。
もし井上織姫が本当に鍵なら、間違いなく十刃を投入してくるはずだ」
「……分かりました」
私は目を閉じ、頷いた。そして、タン、と地面を蹴る。急速に屋根が遠のいた。
* last update:2011/9/19