遠くの方で、激しく刀が打ちあう音が聞こえる。耳を澄ませていると光景が目に浮かぶようで、あたしは思わず両目をギュッと閉じた。
集中すれば部屋の中にいても、黒崎君や死神さんたちが敵と戦っている気配が分かる。
時計を見ると、午前9時過ぎを差していた。もう、三時間は戦いが続いている。
気配だけが分かっても、何もできないのが却ってつらかった。あたしは、胸の前で組み合わせた両手に力を込める。
――　どうか、誰も怪我しないで。
空座町に虚や破面と呼ばれている敵が現れるのは、あたしのせいだと言う。それなのに何もできないでいる自分がもどかしくてたまらない。

「織姫ちゃん。眉間にそんなシワ寄せたら、せっかく可愛い顔なのにもったいないよ」
不意に、その場には似合わない長閑な声が聞こえた。と同時に、あたしの眉間に指が押しあてられる。
「あ……はいっ！」
慌てて目をあけると、少し目じりが下がった瞳が優しい京楽さんが、あたしをじっと見ていた。
「そんな気張らないの。みんなこれが仕事なんだから。これくらいの戦い、なんてことないよ」
「でも……虚とか破面の人たちが来てるの、あたしのせい……なんですよね」
組み合わせた両手に視線を落としながらそう言うと、京楽さんの後ろにいた浮竹さんが、白い長髪を揺らせて振り返った。
「君のせいじゃないよ。むしろ、お詫びしたいのはこっちの方さ。死神の戦いに巻き込んでしまって、本当にすまないね。向こうについたら、なんだって力になるから」
「……はい」
二人とも、朽木さんを助けに瀞霊廷に行った時に顔を合わせてはいたけれど、ちゃんと話すのは初めてだった。
あたしの部屋の中に大柄な二人がいると、なんだか合成写真みたいに違和感がある。
こんな戦いの中なのに、どうして？　と思うほどふたりとも穏やかで、あたしに優しくしてくれる。
頷きながら、心がゆっくりと落ち着きを取り戻していくのを感じていた。

浮竹さんの後ろには、和風の門が空中に浮かんでいた。半透明で、背景が少し透けて見えるから、この世のものじゃないと分かる。
ぼんやりと、少し光っているようにも見えた。「穿界門」という名前の、この世とあの世をつなぐ入口だと聞いた。
「んー。みんなよく戦ってくれてるんだけど何分、敵が多すぎるねぇ。もう少し数を減らしたいところだね。
穿界門を通り抜けるまで、10秒はかかる。破面に追いかけて来られたら面倒だ」
「そうだな。もう少し待とう」
京楽さんと浮竹さんの会話を、あたしはどこか現実感なく聞いていた。

朽木さんによれば、敵があたしを狙っている以上、護るものがない現世にとどまっているのは危険らしい。
だから、戦いが終わるまでは、結界で護られている瀞霊廷で過ごすことになる。
戦いは、いつ終わるの？　そんなことは、聞けなかった。
朽木さんや乱菊さんの深刻な雰囲気から、戦いが決して、楽観できないものだと分かったからだ。

自分の一生に関わる、深刻な事態が起こっているのに、どうしても実感が湧かなかった。
明日ごみの日だなぁ、とか。机の上に出しっぱなしの宿題を見て、もうこれ、やらなくていいのかなあ、とか。そんなことばかり考えている。
でも、壁にかけてあるカレンダーの予定に、「たつきちゃんと買い物」とマジックで書いているのを見て、チリリと胸が痛んだ。
急にあたしがいなくなったら、どんなに心配してくれるだろう。
説明すれば、たつきちゃんなら分かってくれる。あんたが一番正しいと思うことをやりな、と肩を押してくれるはずだ。
だからこそ、ちゃんと話がしたかった。でも、こんな状況でそんなことを切りだせるはずもなかった。


部屋の窓から外を見やっていた京楽さんが、口元だけで笑った。
「……朗報、日番谷君が起きたみたいだね」
「頃合だね」
浮竹さんと、顔を見合わせる。そして、そろってあたしを見た。
「一度完璧に虚を叩くよ。そして、その隙に君を連れて行く。準備はいいかい？」
「はい。大丈夫です」
あたしが頷くと、浮竹さんは軽く目を閉じた。そして、腕を前に差し伸べる。その口から、抑揚がない不思議な言葉が流れ出す。
「南の心臓、北の瞳、西の指先、東の踵、風持ちて集い、雨払いて散れ……『掴趾追雀』！」
「敵がどこにいるのか、補足する術なんだよ」
何が起こるのかとあちこち見ていたあたしに、京楽さんが説明してくれた。
「……南に五体。西に七体。東に六体。全部で十八体だね。北が一番多かったが、日番谷隊長と朽木が鎮めたようだ」
「ふむ。そこまで減らせてれば、いけるね」
目を閉じたままの浮竹さんの肩に、京楽さんが手を置いた。そして、ぽつりと言った。
「……廃炎」

「あっ……」
あたしは思わず声をあげていた。敵たちの気配が、一瞬の間に全て、消えた。
「今のは、なんですか？」
「浮竹が場所を補足して、僕がそれを焼き払う。僕たちももう年だからね、出かけて行って一体ずつ倒すなんて骨が折れることはごめんなんだ」
「……」
さらりと京楽さんは言うけれど、一体一体倒すよりも、全部いっぺんに片づけることのほうが大変ということはあたしにも分かる。
二人が、ずっと落ちついていられる理由が分かる気がした。

あたしは、目の前に浮かんでいる穿界門を振り返る。現世とのお別れの時が、迫ってきていた。
その時、ものすごい勢いでこちらに向かってきている気配に気づいた。
「……黒崎君」
京楽さんと浮竹さんが顔を見合わせた。



「井上っ！　まだいるか！？」
ガラッ！　と音を立て、部屋の窓が引き開けられた。開いた窓が跳ねかえるくらいの勢いに、思わずのけぞる。
「はっ、はい！」
「良かった、もう行っちまったかと思った……」
ぜいぜいと息を切らせている。でも、怪我はしていなさそうなのを見てほっとした。
浮竹さんと享楽さんが、ほとんど同時にため息をついた。
「一分くらいだけだよ、二人とも」
「えっ？」
振り返った時には、二人の姿はその場から消えていた。部屋の中で二人だけ取り残されたあたしたちは、顔を見合わせた。

「え、えーと、黒崎、君？」
「お、おう」
妙に、お互いかわす言葉がぎこちない。
黒崎君とは、きっと瀞霊廷に行ってからも会える。だから「お別れ」という訳じゃない。
でも、しばらくの間、学校で会えない。もちろん挨拶もできない。
通りすがりにクロサキ医院を見つけて、黒崎君の部屋の灯りをドキドキしながら見上げることもない。
急にこみ上げて来た気持ちに戸惑った時、急に黒崎君が大声を張り上げた。
「すまねぇ！」
「へ？　え？　何が？」
「すまねぇ」
繰り返された言葉は、苦しそうだった。
「すまねぇ、井上。お前のこと、護ってやれなくて」

――　井上。
そう呼びかけられた言葉の響きは、いつもと同じだった。
そのハスキーな声に名前を呼ばれる度に、たわいない用事でもドキドキした。
呼ばれたいと思いながらもどう声をかけていいか分からず、教室でたつきちゃんと話している黒崎君を、
教室の自分の席から見守っていた、そんな遠い日のことを思い出した。
あれから、朽木さんが現れて。あたし達の距離はぐっと近くなった。
毎朝、あたしが挨拶する度に笑顔で返してくれるようになって、あたしはどれだけ嬉しかっただろう。

「……ねぇ、黒崎くん」
自分の声が思いがけないくらい穏やかなことに、あたし自身驚く。
「楽しかったよね？」
次にいつ、戻ってこられるかわからないこの世界。心底、お別れなんだという思いが胸を突き上げて来たのは、この一瞬だった。
「ンなこと言うな。絶対、藍染を倒すから。お前がこの世界に戻ってこれるように」
まっすぐに、目を見てそう言われた。朽木さんを助けた時と、同じ強い目をしていた。
「分かってる」
絶対にだいじょうぶだ。自分にそう言い聞かせる。
「だから、これからもよろしくね、黒崎くん」
だから、笑っていてほしい。
その願いが届いたみたいに、渋面を作っていた黒崎くんの顔がほほ笑んだ。


「なァにが、よろしくじゃぁ！」
いきなり、開いた窓から乱菊さんが押し入ってきたのは、その直後だった。
乱菊さんの後ろでは、一角さんと弓親さん、京楽さんと浮竹さんが苦笑いしている。
「聞いてたの！？」
あたしが固まり、黒崎君の顔が引きつる。
「ちょっ、アンタら、いつから聞いて……」
「全部よ」
即座に、乱菊さんが黒崎くんに言い返した。
「あんたら、今さらヨロシクも何もないでしょうよ。とっとと告白しちゃいなさいよ、じれったい！」
「こ……は？」
黒崎くんの顔が、カチン、と固まった。たぶん今のあたしの顔も同じ状態だ、と思う。
「今が絶好のチャンスでしょ？　何をやってんのよ！」
「ららら乱菊さん！あああたし、だだ大丈夫だから！」
あたしは自分でも意味不明なことを口走りながら、慌てて乱菊さんと黒崎くんの間に割って入った。
乱菊さんは勘違いしているみたいだけど、あたし達の間には何もない。
黒崎くんを困らせてしまう……あたしはなんとか話題を変えようと、一角さん達を振り返った。

「そそれより、みんな無事でよかった！」
「無事もなにも、戦いの相手を横取りするの止めてほしいっスよ。こっちは不完全燃焼です」
一角さんの言葉は、京楽さんと浮竹さんに向けられていた。弓親さんが腕を組んだまま、ため息をついた。
「掴趾追雀で敵を補足し、廃炎で焼き払う。そんな合わせワザが出来るなら、初めからやってくださいよ」
「いやーすまんすまん。最近ラクしようとして開発した術だから、まだ不完全でね。敵の数が二十より多いと自信ないんだよ」
あまり申し訳なくなさそうな顔で、京楽さんが弁解する。パンパン、と浮竹さんが手を叩いて会話を遮った。
「そこまでだ。いつまた虚が押し寄せて来ないとも限らない。織姫ちゃん、行こう」
大きな浮竹さんの掌が、あたしの背中におかれた。
「一緒に来るかい？　一護君」
京楽さんが、黒崎くんを見下ろす。黒崎くんは一瞬あたしを見て、そして首を振った。
「俺はここにいる。虚が来ても、一体もこの穿界門は通さねぇ」
「……ありがとう」
あたしは黒崎くんにそう言った。さよならとか、元気でね、という言葉は、今はふさわしくない。
まるで、もう二度と会えないみたいだから。

朽木さんと冬獅郎君のふたつの気配が、こちらへ向かっている。
できればお礼を言いたかったけど、瀞霊廷で伝えることになりそうだ。
「おそらくすぐに次が来る。引き続き頼むよ」
「ハッ」
浮竹さんの指示に、その場の死神さんたちが頷いた。
「あたしを助けてくれて、ありがとうございました」
あたしは頭を下げる。顔を上げた時、思いがけず優しい視線に取り巻かれていて、思わず目のあたりがじんとする。
――　きっと、大丈夫。
ためらわずに、足が前に出た。


浮竹さんの後ろについて、穿界門の中に足を踏み入れると、勝手に穿界門が閉まった。
明かりらしいものは全く見当たらないけれど、周りは浮竹さんや京楽さんの顔がぼんやり見えるくらいには明るい。
暗い、鍾乳洞の中にいるようだった。閉そく感がある、何とも不気味な気配が漂っている。
特に寒くはないのに、背筋がぞっとした。まるで周囲に何千何万の目があって、一斉にあたしたちを見ているかのように。

「急ごう。断界の中には、破面も侵入できるからね」
浮竹さんはそう言うと、あたしの手を取って駆けだした。後ろには京楽さんがぴたりとつけている。
――　断界……やっぱり、ここが？
前にも一度侵入したことはあるけれど、大きな黒い波のような敵に追いかけられて、全力で走るのが精いっぱいだった。
今は正式な死神と一緒だからか何も起こらない分、周りを見る余裕はあった。
朽木さんは、あたしにこの「断界」を拒絶できる力があると言った。
でも、改めてこの世界に来ると、自分がどれほどちっぽけな存在かということが良く分かる。
何かできるなんて……「拒絶」できるなんて、想像もつかなかった。

足元は固くはなく、ぶよぶよしている分、足が踏ん張れなくて走りづらい。
転ばないように注意を払いながら、前を行く浮竹さんの背中の「十三」を目印に走り続けた。

――　何かいる。
そう思い出したのは、いつごろだっただろう？
まるで腹痛の前触れのように、来ないで来ないでと思っていたものがどんどん強く大きくなる。
「浮竹……さん、京楽さん」
二人は、この気配に気づいていないのか？　走ったせいではない冷や汗が、こめかみに浮かぶのを感じた。
「待って……」
切れ切れの声は、二人に中々届かない。浮竹さんが怪訝そうに振り返った。
「どうしたんだい？」
「何かいるわ！」
そう言うのが精いっぱいだった。ふと、耳元に生温かい風を感じた。
「困った子だね。この俺の気配に気づいたのか」
知らない男の人の囁きが聞こえたのは、一瞬。そちらを見ようとした途端、太い腕があたしの胴体に巻きついた。



＊　last update：2011/9/23